■30 悪魔封印です
エンティアに足を咥えられ、思い切り地面へ投げ付けられたアスモデウス。
彼はそのまま、先ほどまで自分がいた場所――闘技場の一角の瓦礫の中に叩き落とされた。
衝撃で粉塵が上がる。
「……油断した」
瓦礫に埋もれながら、そう呟くアスモデウス。
どうやらアスモデウスには、物理攻撃が効くようだ。
(……体を瘴気のように変容できるのは、人間に取り憑いている時だけなのかな……)
アスモデウスは、ワルカさんの体を宿主にしていた。
しかし、宿主のワルカさんの肉体に限界が来た事を察知し、離れた。
おそらく、取り憑いた状態で宿主が死んだりした場合、一心同体で道連れになるのかもしれない。
だから、力の大半を失うことになっても、ワルカさんを切り捨てる方法を選んだのだ。
『神狼の力の程を思い知ったか、悪魔!』
『いつまでもえばっていないで臨戦態勢を取れ、綿毛の塊め!』
着地したエンティアを、クロちゃんがそう叱責する。
瞬時、アスモデウスを一同が包囲する。
「大丈夫? マコ」
と、私の所にレイレが来て、横に立って支えてくれた。
周囲を取り囲まれたアスモデウスは、体をゆっくりと起こしながら皆を見回す。
「年貢の納め時だよ」
剣先を向け、イクサが言う。
アスモデウスは、「はぁ」と小さく溜息を吐いた。
「……仕方が無ぁい」
そして呟くと、顔を上げる。
その真っ黒な双眸で、油断なく周囲を警戒しながら。
「聞け」
飄然としていた声音から一転し、ドスの効いた声を発した。
「今、この街にいる奴隷達の支配権は、まだ僕にある」
「その奴隷達を使って攻撃するって?」
アスモデウスの言葉に、イクサが魔道具の剣を構えながら答える。
崩壊した闘技場は、今や奴隷達に包囲されている。
中にまで侵入してきている者達もいるだろう。
だが現状、洗脳の根源であるアスモデウスを取り囲んでいる私達の方が優勢だ。
「君が奴隷達を動かすよりも早く、君を倒せばいいだけの話だ」
「違う」
しかし、そんなイクサに対し、アスモデウスが言い放ったのはもっと残虐な言葉だった。
「僕を見逃せ。さもないと、今この瞬間、奴隷達全員を操作し、全員に自害をさせる」
「!」
アスモデウスの発言に、皆が体を強張らせた。
その様子を見渡し、アスモデウスは満足げに嗤う。
「ふふっ、罪の無い人間達を見捨てられるかぁい?」
……膠着。
場が停止し、吹き抜ける風の音だけが聞こえる。
「させないよ」
そんな中、私は言った。
皆の目線が、私に向けられる。
「そんな事はさせない」
「……大層な発言だけど、この状況で君に何ができるんだぁい?」
「残念ながら、私には何もできない」
これは本当。
今の私は満身創痍。
私自身に出来る事は、何も無い。
……けど。
「けど、頼りになる仲間がいるから」
――瞬間、アスモデウスの体を、眩い光の幕が覆った。
「っ! なッ……」
いきなりの事に、アスモデウスは瞠目する。
瞬間、そのまま、彼の体は地面に膝を付く。
「《聖女》様!」
その場に、シスターの格好をした妙齢の女性の方々が数名、姿を現す。
彼女達は、聖教会に使えるプリーストさん達。
かつてこの地で、《ベルセルク》達の集落を救った際に、力を貸してもらった方々だ。
プリーストさん達はアスモデウスに対し、祈りの姿勢を取りながら魔法を発露している。
「これは……」
まるで、体の自由を奪われたかのように、跪いたまま停止したアスモデウスが、小さく呟いた。
「この悪しき魔は、わたくし達の《聖域》で押さえつけております」
《聖域》――というのが、この光の膜のような魔法なのだろう。
プリーストさん達のリーダー格の女性(先日も、私と一番会話をした人)が、私の下に歩み寄って来ながら解説する。
「本来は防御壁の魔法ですが、悪しき者を中に捕える事によって、無力化させる力も持っています」
なるほど。
今の弱体化したアスモデウスに、プリーストさん達数人がかりの《聖域》を重ね掛けした状況。
それで、完全に無力化したという事のようだ。
「君達は……」
登場したプリーストさん達の姿に、イクサも驚いている。
「ナイスタイミングだ。よく来てくれたね」
「事前に、《聖女》様からお話は伺っておりましたので」
「そうだったのかい? 知らなかったよ」
そっか、そう言えばイクサ達には伝えていなかったっけ。
この中央区に来る前の準備期間に、冒険者ギルドを通して彼女達に協力をお願いしていたのだ。
元々の理由は、サイラスの存在があるので、《呪い》を警戒しての事だったんだけど。
壁の崩壊を目撃し、遂に時が来たと、待機していた彼女達も応援に来てくれたようだ。
「ここまで読んでいたとは、流石マコだね」
イクサが感嘆するように言った。
いやぁ、ほとんど偶然です。
「ふふっ、これは困ったなぁ」
アスモデウスは、飄々とした態度を崩さないが……しかし確実に焦燥した雰囲気で、そう呟いた。
プリーストさん達は、アスモデウスを覆っている《聖域》を、徐々に縮小させていく。
そして皆で息を合わせると――《聖域》の光は一筋の縄のようになり、アスモデウスを雁字搦めにした。
「今、我々の総力を掛けて、この悪しき魔に封印を施しました」
ふぅ……と、吐息を漏らし、リーダー格のプリーストさんが言う。
「この者……どうやら悪魔族の中でも、相当高位の者のようです。ここまで力を落としていても、その力は我々と拮抗しています」
「生きたまま拘束できるなら、それに越した事はないよ」
私は、アスモデウスを見ながら言う。
「色々と、聞かなくちゃいけない事があるだろうし」
「安全かつ確実な封印を施すため、聖教会を通し《聖母》様にも応援をお願いしたいと思います。それまでの間は、我々でこの者を見張ります。《聖女》様、今後の事は我々にお任せください」
「うん……えっと、まだ私が《聖女》って決まったわけじゃないけどね」
※ ※ ※ ※ ※
その後、アスモデウスはプリーストさん達が数名態勢で見張り、絶えず《封印》を施し続ける事で拘束――そして、連行する形となった。
その処遇は、一時的に聖教会に任せる形となるが、当然、国の危機にも関わる事だ。
連行後、王族をはじめとした各機関と連携を取りながら、今後の方針を決める事になるでしょう――と、プリーストさんはイクサに言っていた。
加えて……。
「ルナト様、お顔を拝見させていただいてもよろしいでしょうか?」
プリーストさん達は、そう言ってルナトさんの下へとやって来た。
「……え? わ、私、ですか?」
突然の事に、ルナトさんも困惑している。
「悪魔の呪縛を打ち破るために、自ら顔を切り裂くなんて……」
「なんと、勇壮なお方でしょう」
「ですが、女性なのですから、そう簡単に顔を傷付けてはだめですよ」
プリーストさん達も、ルナトがアスモデウスの刻印を克服するために、自分で顔の皮を剥いだ事を聞き取っていたようだ。
皆が心配し、彼女の顔に《治癒》を施す事になった。
「……あ、ありがとう、ございます」
ルナトさんは、おずおずとプリーストさん達に頭を下げる。
「……その、よろしければ、私からもお願いが……」
「わかっています。彼女ですね?」
ルナトさんとプリーストさん達が、地面に寝かされたワルカさんの方を見る。
ルナトさんの攻撃を全身に浴び、悪魔の力を失った今、彼女も満身創痍の状態だ。
今回の件の重要参考人として、保護する必要がある。
「どうやら、終わったようだな」
「ガライ!」
更にそこに、ガライとモグロさん、それに闘技場の闘士にされていた《ベルセルク》達がやって来る。
「大丈夫だった?」
「ああ、体を操られていた人間達も、刻印が消えて全員気絶した。あんた達が、諸悪の根源を叩いてくれたみたいだな」
ガライが、拘束されているアスモデウスと、そして《治癒》を施されているワルカさんの姿を見る。
「ふぅ、実に疲れました……しかし、これで騒動は終結ということで、よろしいようですね?」
「はい、モグロさんもありがとうございました」
彼の言う通り。
とりあえず、今回の事件は、こうして一件落着という形となった。
※ ※ ※ ※ ※
こうして、観光都市バイゼルにおける、《ベルセルク》追放に端を発した事件は、その全貌を明らかにし、そして終わりを告げた。
その後の経過を説明すると……。
「……本当に、申し訳なかった」
まずは、スティング王子。
結論から言うと、スティング王子はワルカさんに支配されていた完全な傀儡だった。
しかし、操られている間も、少なからず自覚はあったという。
まるで泥酔しているような、悪い夢を見ているような、そんな心地だったそうだ。
おそらくそれが、アスモデウスと融合したワルカさんの力――《洗脳》の効果だったのだろう。
正気を取り戻したスティング王子は、《ベルセルク》達への謝罪や、街の再建に尽力したいと言っていた。
中央区の壁は完全に撤去。
賭博施設や、それ以外の違法のにおいがするような事業も、一時運営停止させ精査しながら再生に向かって行く方針だという。
「ブッシ! みんな!」
「お前等! 無事だったか!」
獣人をはじめ、闘技場に囚われていた奴隷達も無事解放された。
《ベルセルク》達も久々の再会を果たし、互いに抱き合って喜んでいた。
一応、また街に戻って来る事も許された彼等だったが、しばらくは第二アバトクス村を拠点にしながら生活する形で、今後の展開を決めるという。
「……この度は、大変ご迷惑をおかけいたしました」
そして、ルナトさんの件。
彼女はプリーストさん達に顔を治癒され、今ではすっかり元通りの美貌を取り戻している。
どことなく、ムーにも似ている太い眉。
整った顔立ちに、引き締まった体。
実に美人だ。
彼女も第二アバトクス村を訪れ、そして今までの経緯を聞かされ――理解したようだ。
「……洗脳されていたとはいえ、多くの方々を傷付けて来ました」
どうやら、その事を一番後悔しているようだ。
実に寡黙で、真面目な性格だ。
「それこそ、洗脳されていたんだから仕方が無いと思いますよ」
「今回の真相が白日の下に晒されれば、情状酌量の余地は明白だ。極端に気に病む必要も無いよ」
私とイクサが、そう言って励ます。
「……皆さんには、感謝してもしきれません。おかげで、こうして弟と再会する事も出来ました」
隣に立つムーと目線を合わせ、ルナトさんは微笑む。
「……ウーガさん」
「ん?」
そして、ウーガを前にし、ぺこりと頭を下げる。
「……あの時、ムーを守ってくれてありがとうございました」
闘技場の瓦礫の下敷きになりそうになった時、ウーガがムーに覆い被さって守ったのだという。
イケメンだね、ウーガ。
「おう、容易いもんよ」
「ウーガは凄いんだよ! この村の野菜の育て方も、全部ウーガが指導してくれたんだ」
意気揚々と答えるウーガとムー。
ウーガも瓦礫の下敷きになってたんだから、結構重傷だったんだけどね。
しかし、そんな態度はおくびにも出さず、彼はルナトさんに言う。
「あんたも、ずっと奴隷みたいな生活で大変だったろ。この村の野菜は栄養満点だからな! 食って元気になってくれ!」
そう言って、ウーガはルナトさんの肩をぽんぽんと叩く。
「……は、はい」
能天気であけすけながら、飾り気のないウーガの言葉に、ルナトさんも若干頬を赤らめていた。
ワルカさんは、あの後イクサと監視官の命令の下、王都から派遣された騎士団により連行されていった。
「今回の件の重要参考人だ。だが、まずは安静な状態にして、回復させる必要がある」
色々追及するのは、その後になるだろう――と、イクサは言っていた。
……さて。
残る問題は、あの悪魔。
アスモデウスと、聖教会に関する事だ。




