■29 イクサの力です
「ふっ!」
ワルカさんの体の表面を覆う瘴気。
その瘴気が変質し生み出された巨大な腕が、イクサへと襲い掛かる。
「っ」
イクサは自身の手に持つ剣を掲げ、その一撃を受ける。
爪の斬撃は受け太刀し、腕力の衝撃は受け流す。
「ちっ……」
返す一手で反撃しようとしたイクサの挙動を読み、ワルカさんは後方へと跳躍した。
崩壊していく闘技場。
二人は、瓦礫の上を飛び交いながら交戦していた。
「う……」
その光景を、私は比較的安全な場所で、石榑の壁に体重を預けながら見ていた。
息も絶え絶えの状態だ。
体力には自信があるけど、この症状は体力とは関係無い。
脳への負荷が大きすぎたため、肉体を動かすための各回路が上手く働いていないのだろう。
……むぅ、それでも、ここで何もできずに隠れているだけじゃ意味が無い。
少しでも支援になれば……と、〝回転鋸〟を錬成し、《錬金Lv.3》の力で稼働させようとしたのだけど……うんともすんとも行かなかった。
魔力の問題じゃなく、脳がブレーキをかけているようだ。
「イクサ……」
私は、イクサとワルカさんの戦いを見上げる。
こうなったら、私の最後の行動――壁の破壊の影響が、戦況を有利に運んでくれることを祈るしかない。
空中で、もう何度目になるかわからない、二人の衝突が果たされた。
「……お前」
そこで、ワルカさんが臨戦態勢を取りながらも、何かに気付いたようにイクサへと言う。
「その動き、身のこなし……単純に身体能力が高い……というわけじゃないみたいね」
「おや、バレたか」
ひゅんひゅん、と剣身を回しながら、イクサは言う。
そう、その点は私も気になっていた。
イクサって、こんなに軽やかな動きが出来たんだ――って。
それこそ、スアロさん張りの体捌きだ。
……だったら、過去を遡っても、あの時とか手助けしてくれてもよかったじゃん、というシチュエーションが結構あるんだけど……。
ただ、ワルカさんとイクサの会話を聞く限り、どうやらイクサの動きにキレがあるのには、何かの理由があるようだ。
「……風ね」
その答えを、さっそくワルカさんが口にした。
「さっきから、風の動きが妙に強いのを感じていた……この風は、お前が起こしているもの」
言われて、私も気付く。
二人の戦いに気を取られていたけど、確かにこの一帯に吹き抜ける風が強いような気がする。
「そう言えば、お前も王族。第三王子、イクサ・レイブン・グロウガ。魔道具が使えるという事は魔力があり、魔法を使う素養もある」
瞬間、イクサが足場を蹴り抜く。
一気に加速した状態から、喋っている途中のワルカさんへと剣を振り抜いた。
「軽やかな動きは、風の補助によるもの。この風が、お前の魔法ということね」
襲来した剣戟を、ワルカさんは片方の巨腕で受け止める。
「おっと――」
そしてもう片方の腕を振るい、逆にイクサの体を切り裂こうとした。
だが、一瞬早く、イクサが後方へと飛んでいた。
おそらく、突風の力を使ったのだろう。
イクサの服の胸元が裂ける――間一髪だ。
「……しかし、風の補助を受けているとは言え、戦力ではこちらの方が若干優勢のようね」
ワルカさんは微笑を浮かべて言う。
確かに、ここまでの戦いを見る限り、二人の力は拮抗しているように見えて――その実、少しだけワルカさんの方が上回っている。
イクサの剣はワルカさんの体に触れていないのに対し、ワルカさんの攻撃はダメージこそないが、イクサの体には届いている。
「………」
イクサの頬を、汗が伝う。
このまま戦況が続けば、じり貧。
一気に押し切られる時が来てしまう――。
「……いや」
しかし、イクサはそこで、逆に安堵したような声を漏らした。
「その心配は要らない。どうやら、増援が来たようだ」
「………」
イクサの視線を追う、ワルカさんと私。
『姉御ぉぉ!』
「マコ!」
闘技場の瓦礫を押しのけながら、エンティアやレイレ達が、こちらに向かって走って来る。
おお! みんな!
よかった! 気付いてくれたんだ!
「ふん、今更有象無象が増えたところで、何だっていうの」
ワルカさんの身に纏う瘴気が、その濃度を増す。
「刻印を刻んだ私の奴隷達を、一気にこの場へ大挙させてやるわ。力技の数の暴力で、一網打尽に――」
「気付いてないようだね」
イクサが言う。
「僕の言った増援というのは、彼女達だけの事じゃないよ」
「……何を――」
刹那、ワルカさんの背後に一瞬で、一迅の風が駆け抜けた。
「ッ!」
気付いた瞬間には、ワルカさんの脇腹に矢のような蹴りが叩き込まれていた。
「がはっ!」
吹っ飛んだワルカさんの体が、瓦礫の中に叩き込まれる。
防御が間に合わなかった。
いや……身に纏っている瘴気のおかげで、いくらか防御はできていたのかもしれない。
吹き散る瓦礫の中でふらふらと立ち上がるワルカさんの姿を見て、私はそう思った。
でなければ、彼女の渾身の蹴りを食らって、まだ立ち上がれるはずがない。
「………」
ワルカさんに奇襲を打ち込んだ張本人――仮面を付けた《ラビニア》の戦士、ルナトさんが着地する。
空に浮かんだ満月をバックに、彼女は静かにワルカさんを見据える。
「お前は……どうして……」
ワルカさんが動揺するのも当然だろう。
ルナトさんは、彼女の手により洗脳され、奴隷になった存在。
にも拘らず、操られる事無く、ワルカさんを攻撃したのだ。
「……あなただけは許さない」
ルナトさんは、ワルカさんへと真っ直ぐ歩み寄る。
そこで、私は気付く。
彼女の顔を覆う仮面……その仮面の下から、血が滴っている事に。
「まさか……お前……自分の顔の皮を剥いだのか?」
ワルカさんも気付いたのだろう。
瞠目し、ルナトさんを見る。
「奴隷の刻印を毟り取り……その痛みで洗脳を払ったのか……」
……凄い。
もしその通りなのだとしたら、驚くべき精神力だ。
ワルカさんが先刻、彼女は克己心が強すぎて完全に洗脳し切れなかったと言っていた。
悪魔の力をも除去するとは、恐ろしい胆力である。
「くぅっ!」
叩き込まれたダメージは相当なものだが、ワルカさんはすかさず瘴気の腕を稼働させてルナトさんに襲い掛かる。
だが、結論から言えば――ルナトさんの敵ではなかった。
洗脳が払われ、怒りに燃える彼女の体は、闘技場で見た時よりも更なる速度を見せる。
ワルカさんの猛威を躱し、瞬く間に懐へ入り込み。
その状態から、何十発もの蹴りを、音を置き去りにする速度で叩き込んだ。
「が、ハァ、ッ」
きっとこれが、Sランク冒険者――《跳天妖精》ルナトさんの、真の実力なのかもしれない。
全身を余すところなく殴打されたワルカさんは、か細い悲鳴を上げると、白目を剥いてその場に膝を付いた。
※ ※ ※ ※ ※
………お父さん。
お父さんは?
お母さん、お父さんはどこに行っちゃったの?
『天国っていう、ずっと遠い所よ』
お父さんは、どうして天国に行っちゃったの?
『病気だったの。仕方が無かったのよ』
………。
……嘘だ。
お父さんが死んだのは、病気のせいなんかじゃない。
仕事に失敗したからだ。
それで、色んな人達に責められたからだ。
金。
金のせい。
金がすべてのこの世界で、金は私から何もかも奪って行った。
金さえあれば、お父さんは追い詰められて死を選ぶような事も無かった。
お母さんが再婚するために、私を捨てる事も無かった。
金さえあれば。
だから私は、今の地位よりもっと上に……上に行かなくちゃいけないと、そう思った。
そのために、死に物狂いで努力した、勉強した。
でも、金が無かったから……。
平民の出身で、由緒ある学術研究院も卒業していない私は、受け入れられなかった。
家柄。
賄賂。
金。
金のせいで、私は――。
※ ※ ※ ※ ※
「ああああああああああああああああああああ!」
崩れ落ちた、次の瞬間だった。
ワルカさんは悲痛な雄叫びを上げると、ボロボロの体を駆動させて、まるで最後の力を振り絞る様にルナトさんへと飛び掛かった。
腕を思いきり振るい、その体から伸びる巨腕を叩き付けようと――。
「っっ!?」
が、そこでワルカさんは気付く。
既に、彼女の体を覆っていたどす黒い瘴気は消えている。
今そこには、生身の彼女一人が居るだけだ。
「な、アスモデウス、どこに――」
そんなワルカさんの首筋に、ルナトさんが優しく手刀を叩き込んだ。
ひゅっ――と、喉を鳴らし、そのままワルカさんは気絶する。
倒れる彼女の体を、ルナトさんが受け止めた。
「………」
直前の戦いで、既に満身創痍となっていた体が、これ以上酷使されれば命に係わる。
そして、彼女の身に何かしらの異変が起きた事を理解し、ルナトさんは意識を飛ばす方法で対処したのだろう。
「仕方が無いなぁ」
そこで、空間に黒い瘴気が発生し、それが人の形を作る。
現れたのは、アスモデウスだった。
「見切りをつけさせてもらったよぉ。もう、彼女の体は限界だったからねぇ」
宿主であるワルカさんを、切り捨てた――という事だろう。
アスモデウスは飄々と言う。
「貴重な宿主だったし、契約の一方的な解除は僕自身の力を幾らか失う事になっちゃうけど……まぁ、仕方が無いねぇ。ここは退散させてもらうよぉ」
「……逃がさない」
ルナトさんが、ワルカさんの体をその場に下ろそうとする。
が、それよりも早く、アスモデウスは背中から黒い翼を発現させていた。
翼が大きく羽搏き、発生した強風にルナトさんは思わず体のバランスを崩す。
「じゃあねぇ」
そしてそのまま、アスモデウスの体は上空へと一直線に飛んで行った。
逃げられる。
今回の事件の、諸悪の根源に――。
「え?」
が、そこで、アスモデウスの体が、空中で何かにぶつかった。
アスモデウスが激突した瞬間、空中に一瞬光のようなものが走り……巨大な、透明な壁のようなものがそこに浮かんでいるように見えた。
今のは、一体――。
「逃がさないよ」
口を開いたのは、イクサだった。
彼は、アスモデウスの方向に手を翳し、体の表皮から魔力の発光を迸らせている。
イクサが、何らかの魔法を使っている?
「これはぁ、《結界》かぁい?」
頭上の透明な壁に、アスモデウスは怪訝な顔をする。
「君の魔法は、風の操作じゃないのかい? 一体――」
アスモデウスの言葉は、そこから先に続かなかった。
「――ん?」
気付けば、白い巨大な塊が、足元にいるのに気付いたからだ。
『逃げられると思ったか?』
エンティアだった。
ルナトさんに匹敵する速度で、いつの間にかエンティアが闘技場を駆け上がり、跳躍し。
そして、アスモデウスの足を咥えていた。
『降りてこい! このマヌケめ!』
空中で、大きく体をうねらせ――エンティアはアスモデウスを、地上に向かって投げ付けた。




