■28 Sランク冒険者《跳天妖精》ルナトです
「なんて事を……」
瘴気を変容させた巨大な腕――その先端の獣のような手から生えた爪を、私の喉に突き付けながら、ワルカさんはわなわなと声を震わせる。
そんな彼女を前に、脂汗を流しながら私は微笑する。
この中央区を囲う壁が決壊した。
欲望に塗れた賭博都市の存在が露わとなり、増援を拒む防壁が失われたのだ。
私が出立する前に伝えた作戦通りなら、間も無くここに、この崩落を確認したエンティアやクロちゃん、それにイノシシ君達が率いる第二アバトクス村の戦力が集結する。
スアロさんやオルキデアさん。
デルファイもいるし、《ベオウルフ》や《ベルセルク》の皆もいる。
エンティアやクロちゃんの鼻なら、私の居場所もすぐに突き止めるだろう。
「お前……」
『おっと、大分怒らせちゃったねぇ』
殺気の噴き出るワルカさんと、それを隣で煽るアスモデウス。
せめて時間を稼ぐため、私は体をネジって爪の拘束から逃れようとする。
「……うっ」
しかし、体を動かそうとした瞬間、頭の中に痛みが走り、加えて眩暈が起こった。
痛みは、サイラスに刻まれた《呪い》によるものだろう。
そして眩暈に加えて、脳に靄がかかったように思考がふら付く。
(……ああ、多分、《錬金Lv.3》を使い過ぎたからかな……)
遠隔操作で、大量の工具を稼働させたからだろうか。
きっと、脳に相当の負担が掛かったとか、そういうアレだろう。
ほら、超能力を使い過ぎた的な。
気付くと、視界が赤く染まっていた。
目元から、涙のように血が流れている。
なんだか、仮●ライダージオウのゲイツ君みたいになってしまったようだ。
「殺してやる!」
抵抗する力の無い私の首を、ワルカさんが即行で刎ねようと――。
グッと爪に力が込められた――瞬間だった。
部屋の扉が、甲高い音を立てて切り裂かれた。
「!」
ワルカさんが思わずそちらに目を向ける。
切り裂かれた扉はそのまま向こう側から蹴破られ、中へと飛び込んできた人物は、手にした剣を振るう。
ワルカさんの体から伸びる巨大な腕に、剣戟を叩き込む。
「くっ!」
切り落とされた方の腕は、地面に落ちると同時に瘴気に戻って空中に霧散する。
思わず、後方に距離を取るワルカさん。
そして、壁際で体勢を崩す私の前に立ちはだかる様に――。
「マコ、遅れてすまなかった」
「……イクサ」
その手に剣を握り、イクサが立っていた。
「スティング王子や、その護衛達がいきなり暴れ始めてね……抑え込んでいたら救援に遅刻してしまった」
イクサが手にしているのは、西洋刀っぽい意匠の剣だ。
柄や刀身に飾りの施された、美術品みたいな剣。
その全容から淡い魔力の光が散っているあたり、おそらく彼が鞄の中に所有していた魔道具の一つだろう。
「……スティング王子達は?」
「今は監視官が縛り上げてくれている。闘技場の方では、ガライが《ラビニア》の闘士を押さえ込んでいたよ」
イクサは目前――切断された腕を再生させたワルカさんを睥睨しながら、言う。
「どうやら、彼女が今回の黒幕という事で良いようだね」
※ ※ ※ ※ ※
『どけどけどけどけどけぇぇい! どかねば跳ね飛ばすぞ、人間共ぉ!』
――一方、壁の崩落した中央区内。
いきなり崩れ落ちた壁を前に、パニック状態の衛兵達の横を素通りし、エンティア達は中央区へと到達を果たした。
無論、中にいた賭博都市の客達も驚いている。
「マコ達はどこ!?」
「レイレ殿、落ち着くんだ。この神狼達がマコ殿のにおいを感知し、そちらへと向かっている」
エンティアの引く荷車に乗ったレイレとスアロが、流れていく街並みを見渡しながらそう会話をする。
彼女達だけでなく、後方にはクロちゃんやイノシシ達の引く荷車が続き、その上には《ベルセルク》や《ベオウルフ》達が乗っている。
「お姉ちゃん……」
エンティアの引く荷車には、ムーも乗っている。
本当なら、危険だからついて来てはいけないと言われていたが――この街に行方不明になっている姉がいるかもしれないと思うと、我慢できずついて来てしまったのだ。
「大丈夫だよ、ムー。マコ達が、きっとムーのお姉ちゃんを助け出してくれてるよ」
深刻な表情のムーを、マウルとメアラ(二人も付いて来てしまった)が励ます。
『こりゃ!』
『ぽんぽこ!』
ついでにチビちゃんとポコタも、ムーの体に体当たりして励ます。
『こっちだ!』
マコのにおいを追い、エンティアが駆ける。
そして、辿り着いた先は――。
「……おいおいおいおい、芸術的な事になってんな」
デルファイが、そうぼやくのも無理はない。
彼等が辿り着いた闘技場は、今正に崩壊し始めていた。
ワルカの力によって傀儡と化した闘技場のスタッフ、街の住民、領主の騎士団までもが闘技場に集まり、暴れている。
事情を知らない者達は我先にと逃げている最中だ。
操られている奴隷達は、闘技場の中のマコ、イクサ、ガライを屠るために向かっているのだろう。
瞬間、闘技場の一角が爆発を起こした。
「きゃあ! 何、何!?」
レイレが叫ぶ。
爆発の起こった場所で瓦礫が跳ね上がり、土煙が舞う。
その奥で、黒い漆黒の巨大な腕が縦横無尽に暴れ回っているのが見える。
「なんだ、あれは……」
スアロが呆然と呟く。
彼女達は、その正体が悪魔から授かったワルカの力であるという事は知らない。
「!」
スアロはそこで、土煙の向こうに、巨大な腕と交戦するように剣を構えているイクサの姿を見る。
「イクサ王子!」
『あそこにマコがいるのか!』
エンティアが、叫んだ――その時だった。
ワルカの振るう巨大な腕が、闘技場を構築する壁や柱を巻き込んで破壊する。
その衝撃で吹っ飛んできた瓦礫が、エンティアの引く荷車に向けて落ちて来る。
「……! マズい!」
「逃げろ!」
襲来した瓦礫が命中し、荷車は横転。
その衝撃でエンティアの体に固定されていた手綱等が千切れ、乗っていた者達も放り出された。
「わあぁ!」
弾き出されたムーの体が、地面を転がり闘技場の壁際まで到達する。
「う、うう……」
痛む体を起こそうとするムー。
その時、ムーの頭上で、崩落しかかっていた瓦礫が崩れ、一気に彼の下へと落ちて来た。
「ムー! 逃げろ!」
それに逸早く気付いたのは、同じく荷車に乗っていた《ベオウルフ》――ウーガだった。
感知し、叫ぶが、その時にはもう遅い。
ムーは立ち上がれず、彼の上に瓦礫が降り注ぐ。
「うわあああ!」
ムーの、恐怖に染まった叫び声が響く。
「うおおおおおお!」
迷わず、ウーガは走り出していた。
地面を蹴って跳躍すると、ムーを抱きかかえるようにして、自身の体を傘にする。
「「ウーガ!」」
マウルとメアラが叫んだその時には、ムーとウーガの姿は、降り注ぐ瓦礫の中に埋もれて見えなくなっていた。
※ ※ ※ ※ ※
――闘技場内。
闘技場は今や、客も逃げ出し、ワルカに操られた奴隷達が流れ込み、ガライや《ベルセルク》達を囲い込んでいるような状況となっていた。
まるで、ゾンビに取り囲まれているようだ。
モグロや《ベルセルク》達が、戦士陣営の闘士達(まだ気絶している)から奪った棍棒を構えて応戦しようとしていた、正にその時だった。
「!」
我を失ったように暴れていたルナトの動きが、そこでぴたりと止まった。
「……なんだ?」
彼女を押さえ付けていたガライが、突然の事に訝る。
寸前、彼女の《ラビニア》特有の長い両耳が、何かを聞き取ったかのように微弱に動いたのがわかった。
ルナトは、虚空を見詰めたまま小さく呟く。
「……ムー」
発したのは、弟の名前だった。
「…………――――ぁぁぁあああああああああああ!」
刹那、自身の顔――禍々しい紋章が刻まれた顔を押さえ、再び絶叫を上げながら蹲った。
「おい! その《ラビニア》、正気に戻ったのか!?」
棍棒を振り回しながら、《ベルセルク》の一人が叫ぶ。
「いや、まだ支配の力と戦っているようだ」
おそらく、体や思考を操ろうとする力に襲われているのだろう。
頭を振るい、彼女はその力を必死に払おうとしている。
「あああああ、がぁ、ぐぅうううう」
そこで、ルナトの血走った目が何かに気付く。
近く――そこに、一振りのナイフが落ちていた。
サイラスの使っていたナイフだ。
瞬間、ルナトは腕を伸ばし、そのナイフを掴んだ――。
「何を――」
そして、ガライが止める間も無く。
「あああああああああああ!」
そのナイフの切っ先を、自身の顔面に突き立てていた。
※ ※ ※ ※ ※
「どうした、マウル! メアラ!」
――闘技場外。
クロちゃんの引いていた荷車から降りて来た《ベオウルフ》――ラムやバゴズ達が、マウルとメアラの下に走る。
「ムーとウーガが!」
「瓦礫の下敷きになったんだ!」
二人は、積み重なった瓦礫の山の傍に立ち叫ぶ。
「なんだと!?」
「ともかく、早くどかさねぇと!」
「マコの所には、エンティアやスアロさん達が向かった! 俺達はひとまずこっちだ!」
《ベオウルフ》達が、急いで瓦礫を退けようとする。
しかし……。
「重い……!」
「ぐぉぉ……数人がかりじゃないと持ち上がらねぇぞ!」
想像以上の重量で、一個の瓦礫をどかすのにも数人がかりになってしまう。
『こりゃー!』
『ぽんぽこー!』
一方で、チビちゃんとポコタも、何とか二人を助け出そうと、瓦礫の隙間に潜り込もうとしている。
しかし、隙間は二匹が入り込めるほどの大きも無い。
ポコタのお尻をチビちゃんが懸命に押しているが、無理なようだ。
『ぽんぽこ~!?』
『こりゃー!?』
逆に、引っかかってポコタの頭が抜けなくなってしまった。
「やべぇぞ、もしも下敷きになって骨でも折れてたら……」
「どうしよう、早くしないと!」
想定外の事態に、皆の間に焦りが広がり始める……。
その時だった。
彼等の頭上――闘技場の崩落した壁の穴の縁に、一人の人物が現れた。
その人物は足元を蹴ると、飛翔し、瓦礫の山の前に着地する。
「うわ! な、何だ!?」
「敵か!?」
警戒する《ベオウルフ》達。
彼等の前に立ったのは、仮面で顔を隠した《ラビニア》だった。
「え? こ、こいつ……」
「兎の獣人……まさか」
困惑する《ベオウルフ》達を差し置き、彼女は黙って、瓦礫の山の近くへと向かう。
そして、重厚で巨大な瓦礫に足を掛けると――まるで小石のように蹴り飛ばした。
一つ、二つ、三つ、四つ――と、大の大人の《ベオウルフ》達でも難儀するような石榑の山を、容易く蹴り崩していく《ラビニア》。
その光景を、皆がポカンと眺めていた。
やがて――。
「う……」
瓦礫が撤去され、その下からウーガとムーの姿が露わとなった。
「無事だ! 生きてるぞ!」
「よかった!」
「おい、大丈夫かウーガ!」
手当されるウーガとムー。
チビちゃんとポコタが上げる、『こりゃー!』『ぽんぽこー!』という鳴き声を聞き、ムーが微弱に瞼を動かす。
「……お姉、ちゃん?」
そして、視界の中に立つ、《ラビニア》の戦士――ルナトを見上げて、そう呟いた。
「……ムー」
そんな彼を見て、仮面の奥、ルナトも安堵したような声を漏らした。
「………」
そして、彼女は続いて、半壊した闘技場を見上げる。
破壊され、崩壊していく闘技場の上空に――ぶつかり合う、ワルカとイクサの姿があった。




