■27 アスモデウスです
「魔皇帝……アスモデウス?」
目前――瘴気が形作った悪魔の姿を見て、私は想起する。
魔皇帝。
そういえば、前に王都で遭遇した悪魔も、《蟲の王》……魔皇帝ベルゼバブの手下とか言ってたっけ?
「なるほど、そっちが悪魔本体だとすると……」
私は、ワルカさんの方を見る。
(……彼女は只の人間で、悪魔にそそのかされていたのか……)
油断無く〝単管パイプ〟を構える。
……しかし、本格的に金属パイプがメインウェポンになっちゃってるな……私……。
そんな私を、眼鏡を外し髪が解けたワルカさんは、鋭い目で睨み返してくる。
「あなたも、悪魔の声に惑わされた人間なんだね」
「声? あはは、声?」
私の言葉に、ワルカさんは口元を手で押さえながら、可笑しそうに笑う。
「安く見ないでくれない? 私は、その程度の存在じゃないわ」
そして、自慢げに語り出した。
「私はね、悪魔族と契約したのよ。この悪魔――アスモデウスと契約し、力を授かった」
自身の体から湧き出る瘴気――それが形作った少年の姿の悪魔、アスモデウスを指し示す。
「声に惑わされたなんて……その程度のゴミと一緒にしないで」
『そう、彼女をあまり甘く見ない方が良いよぉ』
ワルカさんに追従し、アスモデウスも言う。
『声を聞かせて、そそのかしたり誑かすって方法もあるけどぉ、相性の良い、波長の合う人間とはこうして契約する事が出来るんだぁ。僕の持つ魔力が、素質ある宿主との相乗効果で、更に強化される。僕の持っていた力と彼女の素質が組み合わさった結果、他者を魅了し、洗脳し、奴隷にする力が生まれた。彼女の願望が、よく僕と合ったんだろうね』
滔々と語るアスモデウス。
魅了し、洗脳し、奴隷にする力か。
だとすると、点と点が線で繋がる事ばかりだ。
おそらく、スティング領主が変わったのも、彼女のせいだろう。
ワルカさんの奴隷になって、彼は悪事に手を染めるようになった。
そしてルナトさんも、彼女に洗脳されていたとすれば――。
「願望……か」
武器を構えながら、私は周囲を探る。
物置のような暗い室内。
奥の方には荷物が積まれているが、よく見えない。
部屋の入り口はワルカさんの背後。
逃げ道は塞がれている。
「元々素質があったって……支配欲でもあったのかな? それとも、お金に対して執着心が強かったとか」
「あはは、まぁ、そんなところね」
分析のための時間稼ぎに、私は会話を続ける。
「厳密に言うなら、恨みがある、かしら」
「……恨み?」
「……金、金金金。昔から、私は金に裏切られてばかりだった」
一転し、ギリギリと歯を噛み締めながら、ワルカさんは喋り始める。
その身から湧き出る瘴気の濃度が、増している気もする。
「金がこの世の支配者。金こそが全てを決める。個人の努力も思いも関係無い……そうよ、金さえあれば、私はもっと高い地位につく事が出来た」
悪魔の力の発露が、少なからず彼女の精神に影響を及ぼしているのかもしれない。
ワルカさんの目が血走っていく。
「金さえあれば、金さえあれば、子供の頃も、大人になっても、そう思わされる事ばかり。金が私の人生を狂わせ、そして裏切られ続けて来た」
隣に立つアスモデウスも笑っている。
この恨みの感情こそが、彼女の素質なのかもしれない。
「金さえあれば……金さえあれば、だから私が逆に金を支配してやる。そうしなくちゃ、私の復讐は成立しない」
刹那――彼女の体から湧き出る瘴気が大きく膨れ上がった。
黒い蒸気が、まるで巨大な両腕のように形を作る。
その手先は、鋭い爪を十本生やしている。
「私の復讐の、邪魔をするな!」
その腕が、私に向かって伸びて来た。
まるで獣の攻撃のように、鋭利な爪先が襲来する。
「ふっ」
手にした〝単管パイプ〟を振るう。
魔道具である〝単管パイプ〟が命中すると、まるで電気が弾けるような音を立てて、爪を弾く事が出来た。
『おやぁ? 魔法を使うのかぁ』
「事前の情報通りよ。こう見えて、この女はSランクの冒険者」
小首を傾げるアスモデウスに、ワルカさんは言う。
「何も問題無い」
「自信満々だね。何か仕込んで――」
瞬間、私は背中に気配を感じた。
「ええ、準備は済ませてあるわ」
ワルカさんの歪に曲がった笑顔。
私は即座に振り返る。
サイラスだった。
この物置に、私達が来る前から既に隠れていたのかもしれない。
その身から黒い瘴気を立ち昇らせ、目は白目を剥いている。
きっと、ワルカさんに洗脳されているのだ。
(……まずい……)
考えた時には遅かった。
サイラスは既に、私の背中に触れている。
刹那、サイラスの《呪い》が刻み込まれ、私の全身に稲妻のような痛みが走った。
※ ※ ※ ※ ※
――一方、闘技場。
「あああああああああああっ!」
「!」
その現象は、いきなり起こった。
それまで気を失い、横たわっていたルナトが、突如声を上げて暴れ出したのだ。
顔面に刻まれた漆黒の禍々しい刻印から、黒い瘴気が滲み出している。
「な、なんだ!? どうした!?」
「押さえろ!」
ガライがルナトの両肩を掴み、無理矢理地面に押さえ付ける。
《ベルセルク》達も、慌てて手伝おうとする。
「……マコ」
何か、異常事態が起きている。
ガライは、観客席の上方――VIPルームの方を見上げた。
※ ※ ※ ※ ※
――VIPルーム内。
「ガアアアアアアッ!」
突如、膝から崩れ落ちたスティング。
しかし次の瞬間には、まるで沸き上がった瘴気に操られるかのように、その場で暴れ出した。
両腕を振るい、無茶苦茶な動きでイクサに襲い掛かる。
「なっ!?」
瞬時、イクサとスティングの間に監視官が立ち塞がる。
そして、スティングを押さえ込んだ。
「スティング王子、どうされたのですか」
「アア、ア、ギァアア」
完全に正気を失っているスティングは、監視官の声にも反応を示さない。
「……!」
そこで、イクサは気付く。
異変が起こっているのは、スティングだけではない。
背後に控えていた彼の護衛、そして闘技場のスタッフも、呻き声を上げ始めていた。
「アア」
「グゥゥ」
「ガハア!」
生身のスタッフ達は、我先にと監視官へ飛び掛かる。
そして護衛達は、装備していた武器を手に取り、イクサへ向ける。
幾本もの刃物の切っ先が、イクサへと襲い掛かって来た――。
「……くッ!」
※ ※ ※ ※ ※
「くぅ……!」
すぐさま、私は〝単管パイプ〟を振るい、サイラスを殴打する。
後頭部の良い所に入った結果、サイラスの体は物置奥の荷物に突っ込み、雪崩の中に埋まった。
そこまで来て、私は思わず膝を付く。
サイラスに触れられた背中を中心に、発生した苦痛で体が思うように動かない。
「あははは、いいザマね」
その隙を突く様に、襲来するワルカさんの瘴気。
鋭利な爪の攻撃を〝単管パイプ〟で弾くが、握力が入らず衝撃で弾かれてしまった。
手から離れたパイプが部屋の隅に転がっていく。
「う――」
そして私の方は、続いて振るわれた瘴気の腕に殴打され、壁際へと吹っ飛ばされていた。
背中を壁に預けるようにして、何とか体勢を整えようとする。
しかし、それよりも早く、伸ばされた巨大な手が私の首筋に爪の切っ先を突き付けていた。
「終わりね」
「………」
「奴隷にした人間は、本人の意識が無くてもああやって操れるのよ」
ワルカさんは、部屋の奥――荷物の下敷きになったサイラスを指差す。
「あの男も、簡単に私の奴隷になってくれたわ」
「……ルナトさんも、ああやって操ってたの?」
荒い呼吸を吐きながら、私は問い掛ける。
「奴隷を作るには二種類の方法があるわ。自分から奴隷にさせる方法と、無理矢理奴隷にする方法よ。前者の方は、私の持つ力の一つ……魅了によって心を奪えば簡単。自分から私の奴隷になる事を望むようになるわ」
『まぁ、簡単な話が色仕掛けで誘惑するって寸法だねぇ』
ワルカさんの背後で、アスモデウスがくすくすと笑いながら言う。
『奴隷には、私の魔力で作った刻印を刻み込む。そうなれば、後は私の思い通りに動く操り人形になる』
「……ルナトさんは……多分、後者の方だよね」
「ええ、あの《ラビニア》のように、強い反抗心や克己心を持つ存在を支配するには、半ば洗脳のようなやり方になるわ。その分、使用する魔力も多く、術者自身の負担も大きくなる」
《ベルセルク》達の追放問題を訴えに来たSランク冒険者。
退け、尚且つ手駒に出来ればこれ幸いと――ワルカさんは、不意打ちでもして彼女を洗脳したのだろう。
「しかし、その方法すらちょっとした刺激で解ける可能性があるほど、あの獣人は精神力が強かった。だから、定期的に直接魔力を注ぐ必要があり、必要以上の情報を与えないようにしていた」
「………」
「お前達が、あの《ラビニア》に直接会おうとした時には、まずいと思ったわ。外部からの接触は、彼女の洗脳が解ける刺激になる」
「……だから、私達がルナトさんと会話した後、洗脳を掛け直しに行ってたんだね」
「ええ、本当に手間を取らせてくれたわね。まぁ、いいわ。今となってはもう終わった事だから」
そこで、私の喉に突き立てられた爪の先端が、更にグッと押し込まれた。
「さて、殺してあげる」
「………」
「気付いているかしら? 今頃、闘技場やVIPルームでも、私の奴隷達が暴れている。それだけじゃない。この街には、他にも私の奴隷達が大量に潜んでいる」
ワルカさんの口元が、妖しく吊り上がる。
「そいつら全員を操って、お前達を殺してやる。無駄な希望は持たない事ね。兵力の差は歴然よ。そして全てが終わった後は、ゆっくり隠滅作業に入る。安心しなさい。外で待っているお前達の仲間も、きちんと一網打尽にしてあげるから」
そして一層深く、爪に力を込め、私の喉を貫こうとする――。
「……気にならなかった?」
そこで私は、声を漏らした。
「……何故、私がこの状況で、魔法を使わないのか」
「抵抗を諦めたんでしょう?」
「温存のためだよ……MPのね……」
私の発言に、ワルカさんは眉を顰める。
「この街に来る前……第二アバトクス村の復興や、数日前の〝準備期間〟の時点で結構MPを使っちゃったからね……大切に使わないといけないと思ったんだ」
「結局、無駄な温存に終わったようね」
「……そうでもないよ」
「……なに?」
脂汗を落としながら、しかし私は笑う。
「時間をありがとう。感情が昂って、聞いてもいないのに色々と自慢げに語ってくれてたけど、そのおかげで呪いを掛けられた身でも集中できたよ」
「……何を言って――」
その瞬間、地響きが起こった。
大地を、空気を揺らす轟音が、びりびりと部屋を揺らし、天井から埃が落ちる。
「……何? 今のは、何の音?」
「何だと思う?」
「……何をしたの」
ワルカさんは、余裕を失った顔で叫ぶ。
「何をした!」
「壁が崩壊した音だよ」
「……は?」
「私のスキル――《錬金Lv.3》」
茫然とするワルカさんに、私は言う。
「この街に入る前に、私は大量の〝切断鋸〟や〝ドリル〟を錬成して……そして、外のみんなに秘かに動いてもらって、壁周辺の至る場所に配置してもらってたんだ……そして今、私の魔力を動力に変え、それらを一気に、滅茶苦茶に発動した」
※ ※ ※ ※ ※
――観光都市バイゼル内、中央区周辺の壁付近。
その場は今、大騒ぎと化していた。
賭博街を囲う壁を襲う、大量の〝回転鋸〟〝ドリルビット〟〝グラインダー刃〟……etc。
甲高い音を立て、事前の指示通り、構造上、壁を支える骨子の部位近くに配置されたそれらが起動し暴れ回る事により――壁は分解され、そして遂に、次々に崩壊を開始し出したのだ。
衛兵達は当然パニックとなっている。
都市の市民達も同様だ。
そんな中――。
『姉御が壁を破壊した!』
マコ達が中央区へと入った日から、街の様子を監視していたエンティアが、急いで第二アバトクス村へと戻って来た。
『姉御達が強行手段に出た! 事前の話通りなら、ピンチに陥ってる合図だ!』
「エンティアが戻って来たぞ! 他の動物達も動き始めた!」
「来たか!」
「野郎ども! マコ達のピンチだ! 全員で乗り込むぞ!」
「「「「「おおう!」」」」」
『『『『『コラーー!』』』』』
瞬間、皆が迅速に動く。
エンティア、それにクロちゃん――更にはイノシシ達や、第二アバトクス村周辺の森で暮らしていた動物達まで、皆が荷車を引き走り出す。
その上には、《ベオウルフ》や《ベルセルク》達をはじめとし、皆が乗っている。
向かうは、森を抜けた先――街への最短経路。
川に架けられた橋を駆け抜け、先日ガライが破壊したため応急処置の施された門を、デルファイが爆弾で吹き飛ばす。
アバトクス村陣営全戦力が、観光都市バイゼルへと侵攻を開始した。




