■25 奴隷の意地です
『あ……し、失礼しました!』
絶句から復活した司会者が、慌てて実況を開始する。
『ど、奴隷の一人が戦士を一名、吹っ飛ばしました! 倒された戦士は……まだ起き上がりません!』
どよめきが支配する闘技場の中、開始されている『奴隷と戦士』の戦い――第二回戦。
イクサとスティングが、利権と奴隷の解放を賭けた勝負は、いきなり波乱が巻き起こっていた。
『もしかしたら、昏倒しているのか!? その場合、あの戦士は五分一秒間の経過で敗北となります! 何と言う事だ! 未だかつて、奴隷が戦士に『致命傷』を与えた記録はありません! 何者だ、あの奴隷はぁッ!?』
司会者も、大分混乱しているようだ。
「いいですか、皆さん」
一方、その間、闘技場の中――奴隷陣営に参戦したモグロが、仲間の《ベルセルク》達を鼓舞していた。
マコが打ち立てた作戦のためとは言え、簡単に奴隷の身分になる事を了承したあたり……この人も、かなりマトモではないかもしれない。
流石は、冒険者ギルドの職員と言ったところか。
「再三になりますが、落ち着いて聞いてください。先程、マコ嬢が皆さんにお伝えした通りです。我々は、あなた達獣人の味方です。助けに来たのです」
目前で起こっている現象に、まだ半信半疑の《ベルセルク》達へと、説明をしていく。
「あなた達の仲間……ブッシ氏の率いる集団は、現在、追放され街の外へと追い遣られた後、彼女達と出会いました。そして今、街から追い出された全ての獣人を救うべく、戦っているのです」
「ブ……ブッシ達が」
どうやら、ブッシの事は知っていたようだ。
「先程、マコ嬢がブッシ氏の伝言を言っていたでしょう。『また皆と会いたい。俺達は今、外で温泉や海の幸を扱った観光地を経営している。枯れた土地に野菜も作った。また海で魚も獲っている。お前達の帰りも待っている』……と。ここが正念場なのです、皆さん。この戦いに勝つことが、皆さんの解放の重要な一歩となるのです」
「……そ、そりゃ、俺達だって……」
モグロの言葉に、八人の《ベルセルク》は視線を落とす。
「今まで、ずっとこの闘技場で虐げられてきた……逃げる事もできず、多額の借金を背負わされ……来る日も来る日も、傷だらけになって……」
内一人が、おずおずとした顔でモグロを見る。
「本当に解放されるなら……戦いたい」
「ええ、正念場です」
その言葉に、モグロも答える。
「マコ嬢達は、現領主の横暴を破壊するためにここに来ました。言わば、革命を起こしに来たのですから。そして、これらは当事者であるあなた達の協力が無ければ成り立ちません」
「ほ、本当か?」
「信じられねぇ……」
モグロの説得に対し、しかし、《ベルセルク》達はまだ飲み込み切れていない様子だ。
やはり、人間に裏切られ、騙され、奴隷に身を落とされた経験上――疑心暗鬼になっている。
いまいち、マコやモグロの言葉を信じ切れないようだ。
「……おい、どうする」
一方。
相対する戦士陣営の闘士達も、横並びになって話をしていた。
「こんな話、聞いてねぇぞ……」
「俺もだよ。戦士側で参加すれば、思う存分奴隷をボコって、ギャラも出て……そういう条件だったはずなのに……」
そう会話をしている間にも、ガライが迫って来ている。
長身痩躯ながら、人間一人を簡単に殴り飛ばせるだけの膂力を宿した存在が――一切の躊躇も無く、足を進めて来る。
その時、動揺する戦士陣営の中から、一人の男が前へと出た。
「よ、よう……」
サイラスだった。
片手に、戦士にのみ装備を許された棍棒を持ちながら、おずおずとガライに挨拶する。
「あんた、知ってるぜ? あの女の仲間だろ? 一体、どうしてこんなところにいるんだ? まさか、賭けに負けたのか?」
「……不意を突かなくていいのか?」
どうでもいい事を言ってくるサイラスに対し、ガライは歩調を緩めず言う。
「お前が呪いを使うのはわかっている。正面からじゃ、勝負にはならないぞ」
「………」
――その瞬間、ガライの背後に強力な気配が発生した。
「ッ!」
いつの間にか背後にいたのは、仮面を付けた《ラビニア》の闘士――ルナトだった。
空気を切り裂く音を残し、放たれたのは強靭な脚力から生み出される蹴り。
その蹴りを、ガライは咄嗟に防御する。
「チッ……!」
ルナトの勢いは止まらない。
疾風怒濤の如く、目にも留まらぬ速さで、ガライへ様々な角度から蹴りを叩き込んでいく。
必然、ガライもその攻撃への対処に集中を余儀なくされた。
「今だ!」
「「「「「うおおおおお!」」」」」
サイラスの掛け声と共に、戦士陣営が《ベルセルク》達へと襲い掛かる。
ガライとルナトの戦いは伯仲している――このチャンスをモノにする気だ。
「獣人共をぶっ倒せ! ともかく、あいつ以外の奴隷を倒し尽くすんだ! 最終的に立っていた数の多い方が勝ちなんだからな!」
「う、うわああ! 来たぞ!」
襲来してくる戦士達を見て、《ベルセルク》達は怯える。
「ガライ氏が抑え込まれましたか……止むを得ませんな」
そこで、皆の前にモグロが立ちはだかる。
「ここは、わたくしに任せてください」
「あ、あんた! 戦えるのか!?」
「ふふ……こう見えてわたくしも、かつては冒険者だったのですよ」
ふぅー……と息を吐きながら腰を落とし、モグロは構えを取る。
「任務の最中、同行していた冒険者が誤って放った矢が膝に刺さってしまい、廃業を余儀なくされましたが」
「そ、そんな過去が……」
「多少のブランクはあります……しかし、腕っぷしに全くの自信が無いというわけではありません!」
迫り来る戦士の一人が、モグロへと棍棒を振り被る。
「ふん!」
モグロの放った拳が、戦士の顔に叩き込まれた。
「ぐぉ!」
よろめく戦士を前に、モグロは「ふふふ……」と不敵に笑う。
「どうですか? わたくしもまだまだ――」
「食らえ!」
「ぐべっ!」
と思っていたら、横から別の戦士に殴られた。
あっと言う間、他の奴隷達も戦士達に囲まれ、攻撃を受け始める。
「うわあああああ!」
「殴れ! ともかく、気絶するまで殴り続けろ!」
戦士達によって、一方的に暴行されていく《ベルセルク》達。
彼等は、この闘技場で毎日のように戦わされ、そして体をまともに休める暇も与えられてこなかった。
獣人と言えど、奴隷と戦士では戦力差は歴然だ。
「く、くそ……」
だが。
「……うぉおおおおおおおおおおおお!」
そこで、一人の《ベルセルク》が戦士にタックルを食らわせ、地面へと押し倒した。
「な、なにしやが――」
「行けぇ!」
そして、仲間の《ベルセルク》達に叫ぶ。
「あの人を、助けろ!」
指差した先は、ルナトの暴風のような攻撃を防ぐ、ガライの方だった。
※ ※ ※ ※ ※
(……くっ……)
一方、ルナトの速度の前にガライは翻弄されていた。
《ラビニア》という獣人の持ち足である、強靭な脚力を活かしたフットワークとスピード。
そして、山間育ちで狩りをしていたという彼女の、鍛え上げられた足が放つ蹴りは、一撃一撃が骨身に響く。
しかし――。
(……攻撃自体は耐えられる……)
その重い蹴りも、ガライの肉体と精神の前であれば耐え切れるものだった。
問題は――時間だ。
ルナトの勢いは衰える気配が無い。
もしも残りの時間、ずっと押さえ付けられる事に終始されたら――。
刹那、一瞬の思考の隙。
針の穴を通すように、ルナトの蹴りがガライの防御を掻い潜り――その顎元に命中した。
「っ」
普通の人間なら、一瞬で昏倒していただろう。
ガライだからこそ、瞬く間の眩暈と、体幹を崩すだけの結果で終われた。
(……まずい……)
だが、その一瞬が命取りだ。
飲み込まれる。
ルナトの猛攻に飲み込まれ、有効打を浴びせられ続け――。
――ガライの前に飛び出した《ベルセルク》が、次の一撃を代わりに受けた。
「がはっ!」
右肩辺りに蹴りを受け、その《ベルセルク》は蹲る。
いきなりの事に、ガライもルナトも動きを止めた。
「わああああああああ!」
その時を逃さぬように、また一人、もう一人と、《ベルセルク》達がルナトの体にしがみ付き、抑え込もうとしてくる。
「おい……」
「助けて、くれるんだろ!」
目前で蹲り、震える脚で立ち上がろうとする《ベルセルク》を、ガライが補助する。
そのガライに、彼は言った。
「……信じるのか?」
「簡単には信じられねぇよ……けど、俺達は弱い生き物だ」
脂汗を滲ませながら、懸命に。
「頭も悪い、搾取されるだけの存在かもしれねぇ……けど、どっちにしろ、これしか道がねぇんだ」
遠く、彼等をここまで逃すために、戦士達に必死に抵抗し、そして叩きのめされている《ベルセルク》達……そして、モグロの姿が見える。
「今、俺達に出来るのは、これだけしかない! だったら、信じるしかないだろ! 頼む! 俺達を助けてくれ!」
「………」
一方、二体の《ベルセルク》に押さえつけられているルナトも、彼等を振り解こうとしている。
右半身を掴む《ベルセルク》に、足を振り上げ、蹴りを叩き込もうとして――。
『弟さんの名前を言ってください!』
「……っ!」
不意に、脳裏に激痛が走ったかのように、動きを止めた。
何かが彼女の思考をマヒさせた。
獣人達への攻撃を、躊躇させた。
「もう十分だ」
そして、その間に。
無防備となったルナトの腹部に向けて、ガライが拳を構え。
「三割使う」
《鬼人族》の力を宿した拳を、叩き込んだ。
体をくの字に曲げて吹っ飛んだルナトは、地面に背中から横たわり、そのまま動かなくなった。
ガライの一撃で、意識を飛ばされたようだ。
――そして、そこからはガライの独壇場だった。
「ぐ、ぐふ……倒れませんよ……わたくしは」
「てめぇ……しぶとい奴だな!」
ボコボコにされても倒れないモグロを前に、棍棒を振り上げる戦士。
「あ? ――」
その横っ面に、背後から襲来したガライの裏拳が叩き込まれた。
兜と一緒に頭部を捻じ曲げながら、地面を数回バウンドした後、その戦士は闘技場の壁に激突した。
瞬時、ガライは《ベルセルク》達を攻撃している残りの戦士達の下に跳躍。
「は? ……ばッ」
一人目の腹部に砲撃のような蹴りを叩き込み。
「なん――」
二人目の頭頂部を、拳骨で叩き割り。
「ま、待て――」
三人目と四人目を、鉄拳の一撃で吹き飛ばし。
「に、逃げ」
「あ」
五人目と六人目に見舞った一撃は、二人を数秒間空中浮遊させた。
揃って頭から落下。
これで、九人の戦士が昏倒し――戦闘不能に陥った。
「………」
そこで、ガライは背中に衝撃を受ける。
「へ、へへ」
サイラスだった。
懐に忍ばせていたナイフ……それに毒々しい魔力を滲ませ、刃をガライの背中に差し込んでいた。
「てめぇさえいなくなりゃあ、問題無い! どうだ! 激痛で身動きできない程の呪いだ!」
「……呪いか」
ガライは、静かな顔で振り返る。
「は……は? なんで、動け……」
「暗部時代、大なり小なり、何度か食らった事があるが」
そして、拳を振り上げ。
「この程度、激痛でも何でもない」
顔面に振り下ろされた拳撃が、サイラスの意識を肉体の外へと弾き出した。
闘技場を、静寂が包む。
ガライが《ベルセルク》達に指示し、昏倒した戦士達を闘技場の中央――一カ所に集める。
そして、ガライが優しく抱きかかえて来たルナトの体を、同じ場所に寝かせた。
これで、一度に全員の様子を見張れる。
『あ、あ、残り十一分……』
静まり返った闘技場の中で、司会者の声だけが響く。
『勝利条件確定、です……特殊ルールです。もしも、他方の陣営の闘士が気絶・昏倒等で全滅、全員戦闘不能状態に陥った場合、その状態で一分経過した時点で試合確定。つまり、もう間も無く……』
司会者が時間のカウントを確認する。
やがて――その時が訪れた。
『ど、奴隷の勝利です! 信じられません! 史上初、この闘技場で奴隷が戦士に勝利しました! しかも、完全勝利! 奴隷十人全員が、勝利条件を満たしています!』
「は、はは……」
「へへ……夢、じゃないよな……」
ボロボロになり、立ち尽くしている《ベルセルク》達。
彼等は、自分達の身に何が起こっているのか、まだ理解できていないようだ。
「夢じゃない。そして、まだすべてが終わったわけじゃない」
そんな中、ガライはVIPルームの方を見上げる。
そこに立つマコが、笑顔で親指を立てているのを見て……ふっと微笑み、そしてすぐに冷静な顔へ戻った。
「ここから、この街の崩壊が始まる予定だ」
※ ※ ※ ※ ※
「馬鹿なッ!」
VIPルーム内。
スティングが歯噛みしながら椅子を殴る。
「賭けは、僕の勝ちのようだね」
隣の椅子に腰かけたイクサが、そう宣言した。
「………」
「じゃあ、約束は守ってもらおうか。あの十人の奴隷達には、賞金として一億Gずつ支払われるんだろう? それを以て、彼等は奴隷から解放だ」
「……いいさ」
怒りに身震いしながらも、しかし、スティングは呟く。
「この闘技場に捕えてある獣人の奴隷は、約五十人前後……その内の、たかが十人くらい……」
「十人じゃないよ」
そんなスティングに、イクサは言う。
「……は?」
「この戦いで、僕があなたから勝ち取ったものは、それだけじゃないからね」
「領主!」
その時、VIPルームの扉が開き、闘技場の運営スタッフが飛び込んできた。
「た、大変です! その、あの――」
※ ※ ※ ※ ※
闘技場の入り口近くにある換金所。
私は、そこを訪れていた。
「はい、これ」
私は、換金所のスタッフに、確かに賭けの内容の書かれた券を渡す。
そう、私はこの『戦士と奴隷』の二回戦に、秘かに賭けをしていた。
私が賭けたのは、奴隷陣営の勝利。
そして、ガライを指定し、戦士十名全てに『致命傷』を与えるという内容に。
特定の奴隷が、特定の戦士の名前まで指定して『致命傷』を与えた場合、一人につき十倍加算。
特定の奴隷が、相手全員に『致命傷』を与えて勝利した場合は、その特定の戦士もしくは奴隷に賭けていた掛け率を100倍にするというルール。
つまり、倍率100倍の100倍で、10000倍の賭け。
「私、この賭けに100万G賭けてたんです」
換金所のスタッフも、これを見て顔が歪んでいる。
第二アバトクス村での稼ぎの大半を持って来てたからね。
つまり――。
「獲得額――100億G、耳を揃えて払ってくださいね」
※ ※ ※ ※ ※
「……は?」
「ですから、100億です! 100億の配当額が出ました!」
「うちの仲間がね、この賭けに乗ってたんだ」
青褪めるスティングの横で、イクサが不敵に笑う。
「100億G。賭けに勝利したんだ、キッチリ払ってもらうよ。その100億と引き換えに、奴隷をもう百人解放しようかな」




