■6 狼の群れを迎撃します
――……そして、深夜。
草木も眠り、静寂が周囲を覆い尽している。
雲の無い空には満月が煌々と輝き、その光が地上を照らす。
遠く、王都は未だに光と活気が溢れ、その光景は現代の都会の街並みを彷彿とさせるものだった。
やがて、〝それ〟は現れた。
牧場を見下ろす丘陵の上に、少しずつ、黒い影が並び出す。
ぽつぽつと、泡のように現れたそれは、一気に数十匹の群れと化した。
黒い毛並みの狼だ。
牙の間から涎を垂らし、金色の目を爛々と輝かせ、その群れは眼下の牧場を見下ろしている。
一際甲高い遠吠えが響いた。
それが合図だった。
狼の群れは、一気に丘を駆け下りていく。
向かう先は牧場。
あの軟弱な柵を破壊し、空っぽの牧草地を駆け抜け、畜舎に行けば大量の餌がある。
我先にと疾駆する狼の群れは、さながら黒い洪水。
これを止めろと言うのであれば、確かに並の冒険者が数人手を組んだところで不可能だろう。
間も無く、狼達は牧場の柵付近へと到達する。
夜闇の中、待ち受ける柵は、先日よりも少しだけ高くなったか? と違和感を抱いただろうが、その程度の疑問で止まるはずも無い。
彼等は辿り着いた者から先に、その柵に向かって一気に体当たりを繰り出し――。
――そしてぶつかった者から、弾き飛ばされて地面にその体を打ち付けた。
「ギャワンッ!」
まるで、電撃殺虫器に飛び込んだ羽虫よろしく、黒い狼達は次から次に地面に弾き飛ばされていく。
馬鹿な――と思っているのだろう。
何故、壊せない――と思っているのだろう。
「残念。今夜の柵は、私が錬成した〝防獣フェンス〟だよ」
柵の向こうで右往左往している狼達を見て、私は呟く。
今現在、私はこの牧場を囲うように設置された数十枚のフェンス、その内の一枚に手をかけて魔力を供給している。
〝防獣フェンス〟はすべて、私が別に生み出した〝針金〟でも連結されており、全てのフェンスに今私の魔力が、電流よろしく流れていることになる。
そして、魔道具たる私の〝防獣フェンス〟は、魔力を流せば強力な防御力を発揮するというわけだ。
更に――。
「ギャッ!」
狼達の一部から、また別の悲鳴が上がった。
彼等は地面にあった何かを踏んで、跳び上がっているようだ。
そう、この牧場の周りには、事前に設置したあるものが牙を剥いている。
それは、ステンレスの針金を縒り合せ、その一部を棘状に尖らせた防犯用品。
ご存知の方は、プロレスとかで知っているはず。
即ち、〝有刺鉄線〟だ。
「おお、すげぇ……」
「まったく相手になってねぇ……」
私と共に、柵に弾かれていく狼達の姿を見て、ラムやバゴズが呟く。
「凄い! 凄いですぞ! あの凶悪な狼達が、一網打尽ではないですか!」
牧場主さんも興奮した様子で叫んでいる。
そこで、私の背後に控えていたエンティアが、ぼそりと呟いた。
『むぅ……こいつ等、何か妙だな……』
「妙?」
その発言に、私も眉の端を持ち上げる。
『ああ、ただの狼という感じではない。まるで――』
そこで、牧場主が大声で叫んだ。
「あ、あいつだ! マコさん、あいつです!」
彼が指差したのは、丘陵の上。
月光の光が照らす丘の上に、他の狼達に比べて一際大きな影が見えた。
体格は、エンティアと同じくらい。
黒い毛並みは先端が尖って見え、まるで大量の剣を体に下げているようにも見える。
だが、金色に輝く二つの眼光だけは、ハッキリこちらへと向けられているのがわかる。
「あいつが親玉です!」
その時、その巨大な狼が天に向かって遠吠えを発した。
牧場の周りに集まっていた狼達が、我先にと丘の上へ退散を始める。
撤退の合図だ。
「エンティア!」
私が背中に飛び乗ると、エンティアは柵を飛び越えて牧場の外へと出た。
「ラム! バゴズ! ウーガ! まだ他の狼が襲ってくる可能性もあるから、主さんとここを守って!」
「おう!」
「任せろ!」
「合点承知!」
三人はそれぞれ、牧場にあった先端が三本の爪状になっている農具――ホークを構えて叫ぶ。
「お願い致します、マコ殿!」
牧場主さんは三人の後ろに隠れるようにしている。
私はそんな四人の様子を確認すると、エンティアに合図を送り丘に向かって走り出す――。
――と、その前に。
私は、有刺鉄線に足が絡まり、仲間と一緒に逃げられなくなっていた狼に近付き、触れる。
『クソ! やってくれたな、人間め!』
スキル《対話》が発動し、狼の声が聞こえるようになった。
「ねぇ、君。大人しくしてたら、それ外してあげるから」
私が話しかけると、黒い狼はビックリしたように顔を跳ね上げた。
『な、なんだお前!? なんで俺の言葉がわかるんだ!?』
「あの、大きな狼が君達のボス?」
私は丘の上、集まってくる狼達の中心に立つ巨大な漆黒の存在を指さし、そう尋ねる。
狼は初めこそ驚いていたが、私のその質問を聞くと。
『……くくくっ、ああ、そうだよ、あの方が本気を出したら、お前如き瞬殺だ』
そう、不遜な言葉遣いで言った。
なるほど、やっぱりあれが親玉で間違いないようだ。
「よし、追うよ」
私がエンティアの体に手を添わせながら言うと、狼は再び呆けたような表情になった。
狼なのに表情豊かだね、君。
まぁ、エンティアも、イノシシ君達もそうだけどさ。
『は? お、おい、話聞いてたのか、お前』
「おっと、その前に」
私はエンティアの背中に乗ろうとして、そこで思い出し、狼の足元にしゃがむ。
「ほら、大人しくして」
そして、有刺鉄線に触れて消去した。
狼はポカンとした表情をしている。
「ちゃんと良い子にしてたら、あの牧場の中にいる《ベオウルフ》達が傷を手当てしてくれるから。いい? 大人しくね。約束だよ」
『な、なにを――』
彼の返答を待たず、私達は丘の上へと駆け出す。
黒色の群れは、既に丘のてっぺんから消えていた。
※ ※ ※ ※ ※
「よし……追い付いた!」
黒い狼の群れは、街道沿いから外れ、険しい山脈地形の方に向かっている。
エンティアの脚力を以てしても、追い付くまでにかなりの時間を要してしまった。
でも、凸凹とした山の斜面が見え始めると、狼達の動きが鈍くなり始める。
今なら、追い付ける!
「エンティア!」
『おう!』
エンティアは飛び出た岩の上を器用に跳びながら、徐々に先頭集団との距離を縮めていく。
そして――。
『姉御!』
「うん!」
そのトップ――あの黒い巨大な狼にまで、接近した。
「!」
体の大きさはエンティアと同じくらい。
私達の接近に気づき、その狼も驚いている。
私は瞬時に手を伸ばし、その狼の体に触れる。
同時に、相手は体を揺すり、こちらに体当たりを仕掛けてきた。
『くっ!』
バランスを崩したエンティアが、岩肌の一部――比較的平面の地面に着地する。
同時に、相手のボス狼も前方へと飛び降りてきた。
『……何者だ、貴様ら』
漆黒のボス狼は、低い声を放った。
低いが、声の調子から察するにわざとドスを利かせているような……まだ若い狼なのかもしれない。
「君が、この群れのトップなんだよね」
『……さぁな』
どこか鼻にかけた言い方で、彼は言う。
『我等は神狼の末裔。貴様ら人間と気安く話す口は持ち合わせていない』
「……神狼?」
『なんだと!? ふざけるな! 我が神狼の末裔だ!』
その発言に、エンティアが声を上げて反論するが――。
『……ふんっ、気安く神狼の末裔などと名乗るな、人間の飼い犬が。纏めて、神の裁きを下してやろう』
……一々、言い方が仰々しいなぁ、この子。
しかし、次の瞬間、思ってもいなかった事態が起こる。
その漆黒のボス狼の体の周囲に、淡い光が舞う……。
次の瞬間、青色の光の線となって、バチバチという甲高い音と共に、その光が弾けだした。
「え?」
『姉御、こいつ!』
そこで、何かを察し、エンティアが叫ぶ。
私の意見も、同じだった。
『こいつ、魔法を使うぞ!』
刹那、その体から放たれたのは、途轍もない光と熱を持った稲妻。
やはり、あの音の正体は――電気。
……直前に、そう判断ができていてよかった。
咄嗟、私は《錬金》を用い〝鉄筋〟を錬成。
地面に突き立てるように召喚されたそれが、避雷針となって稲妻を受け止めた。
「………」
『……なに?』
相手のボス狼も当惑しているが、私もびっくりしている。
この子……相当、強いかも。




