to be or not to be ~100円の重み編~
もう100円か...あるいは止めておくか...。
お小遣いが月500円の方でない限りは大した悩みでないことは明白である。
というのも私がこんな細々した悩みを抱えているのはプラスチックの壁の向こうにある箱、もといその中のフィギュアを入手しようと思ってのことである。つまるところクレーンゲームの前の葛藤であるが私に言わせてみればコレがかなりの苦渋の決断なのである。
私はそもそもゲームセンターというところが好きだ。あれだけ騒々しい上誰でも出入りするところにも関わらず、一人で居られる空間なのだ。理由はこれだけではないが一端を担っていることは確かである。別の階に置かれている対戦型アーケードのフロアは全く別物でありそちらに関しての知識は皆無と言っていいほどだ。元より知らない他人と台の向こうで同じゲームをして勝ち負けを分かち合うなどというのは土台無理な話である。
閑話休題
私の根深いジレンマについてだが、一度100円あるいは500円を投入した台の景品は「絶対に取る」という百円玉に乗っかった信念の元に相対する。100円、500円とお金の単位を念頭に置くからチープなものであることのように囚えがちであるが、「欲しい物のためにお金を払った」と視点を変えてみれば要求したものが必ず手に入らないというのは実に釈然としない。ギャンブルの置き換えると当然のことではないかと一蹴されるのがオチではあるが。
...と、この問題だけならばたとえ1000円をつぎ込んでいたとしても引き際を見極め諦めもしよう。
真に納得がいかないのはその台を離れた後である。私が動物園に居る百獣の王よりもやる気のないアームと頑として動かすまいとする店側の悪意溢れるゴム製のマットの上の景品を1000円もつぎ込んで、数ミリまた数ミリと排出口へ向けてつついていた景品を「横取り」されるのだ。客観的に見れば10人が10人貴様の物ではないだろうと言うだろうが敢えて言おう、私が相対した時点でそれは私の物である...と。
景品法だかなんだかでクレーンゲームの中身は800円以内と定められているらしい。ならばその景品に1000円つぎ込んだならばもはや私の物でなかろうか。いや私の物ではないのだが。1000円もつぎ込んで台の前を退いた直後に100円で他人に取られようものならたまったものではない。ヨコドリされてしまう。
そんな二つの精神的なジレンマに颯爽と駆けつける第三要素、それが限度額。もちろんこいつも敵である。こいつに関しては余程欲しい景品でもない限り多くの人が頷いてくれるだろう。先ほど800円が中身の限度だと述べた。そんなものといっては景品に失礼だが、そんなものに3000円も4000円も使う訳にはいかない。クレーンゲームをしない方には想像し難いかもしれないが私の中では2000円がひとつの明確な線引きである。さらにいつ出てくるかも分からない景品に百円玉を投入し続けるのは精神的にもクるものがある。趣味にほぼ100%つぎ込める金といえど嫌なものは嫌なのだ
さて結論から言おう。700円程度を投入して複雑な葛藤に陥っていたが、私の財布の中はさらに1800円減りその手にあるビニール袋にはプラスチックの壁越しにあれほど渇望した箱が入っていた。毎度この段階である異変に気づく...
そして岐路に着き電車に乗った段階で確信に変わる......
そんなに欲しいものじゃなかったなぁ...。
それだけで済めば良いのだが、誰とも知らぬ想い人に微笑みかける露出度の高い服を着た箱の中の美少女は空間を圧迫し弟様から賜った部屋に置こうと思えるほど愛着のある作品ではない。財布の中身とフィギュアへのこれからの扱いを考えるとプラマイゼロどころかマイナスにすら思えてくる。
結局500円で中古屋に売るハメになった。
...一から十まで私の決断だったワケだが。