バージョン管理しなかった。
(2008.11.23)
(2008.11.24)
世はまさにバージョン管理時代である。
嘘である。
嘘ではあるがバージョン管理は基礎的な保守運用をするための方法論で、おそらく技術というものができた頃から誰しも考えつき悩む話と思われる。きっと異世界でも悩んでいる人が多いと思われる。
世間でいうと「git」なるものが現れて久しく私も何度かお世話になっているが、小説を書くために使うというのであれば、「git」は使うのに適していないだろう。
「あ、『git』という文字が見えたらめんどくさそうに見えるので、『もう見ない!!』と言われるかもしれませんね。難しい事は書きませんから大丈夫ですよ」
事実、著名な作家が何人も使っていたが、それらは全て廃墟になっている。結局のところ、私も含む様々な妄想を持つ方が一度は通らねばならない道だったという歴史上の悲しい必然だったようだ。
現在においてWebでバージョン管理しながら世に発表をする小説がないということは、それだけバージョン管理は難しいという話だということである。
「私が知らないだけで実際にはより良いものがあるかもしれませんが、すっぱい葡萄を決め込むことにします」
「狐ですから」
「すっぱい葡萄とは狐が『あの葡萄はどーせすっぱいから取らなくていいですよーだ』と強がっていた童話の逸話からきています」
ところで「git」以前はどうしていたか。これについては専門家の話に頼った方が良い話ではあるのだが、私は以前2つのバージョン管理システムに触れることがあった。
一つは「Tortoise+SVN」、もう一つは「VSS」である。
これも知らなくていい雑学なので読み飛ばして良い話。
「Tortoise+SVN」とは早い話、WindowsのエクスプローラでSubVersionというバージョン管理システムを使おうという話である。「VSS」はマイクロソフトのソース管理システムだ。
前者については管理したいと判断したら使おうと考えている最有力候補だが、現在の私は走ることの方が大切と考えている。
「もしかして今日の話は全部読み飛ばしてもいいんじゃない?」
「そうかも」
「今日だけ?」
「……」
世にあるソフトウェア開発企業ならプロジェクトが始まる前にバージョン管理を考えるべきなのだが小説執筆では関係がない。
しかし何も考えないというのもこれまたよろしくない。
とはいえ、これまた世にあるソフトウェア開発業界ではバージョン管理とかやってられないという厳しい日常を過ごしている所も多々ある(と思われる、と珈琲を濁す)。
結局のところ、どうしようもない話である。
どうしようもないので考えない。
小難しいシステムはさておき、「なろう」は1話ごとに話を分けることができる。普通の小説でも分けて管理すればいいという話でもない。
小説には流れがあるのだからあちこち修正するなら同じファイルで管理すればいいという至極真っ当な考え方もある。原稿用紙に書いていた時代から連綿と続く一括管理だ。
というよりも1話まるごと投稿すれば管理も1つだし簡単でいいよねという考え方まである。
……
……
……
どっちがいいですか?
「どっちがいいのでしょう?」
書いている途中で気づいてしまいました。どっちが良いかわかりません。
わからないのでやっぱりダラダラと小難しいシステムが必要な投稿スタイルでいきます。
(執筆時間:1時間+50分)
「このシャツとパンツは何時のバージョンでしょう、随分くたびれていますが」
「新しいミカン買ってダンボールに入れないでください!バージョン管理ができなくなります!」
「住んでいるマンションがバグだらけでバージョンアップして欲しいのですが」
「それは掃除しなさい」