第八話
「……瑞希先輩? ホントに来るんですか?」
「んーとね、……多分?」
瑞希と美沙は、校門で雅史を待っていた。
「えっと、そもそもまさ……松原(雅史の名字)先輩は、どこへ行ったんですか?」
「魔女? いや、むしろ白馬の王子様に助けられた姫様のところかにゃ?」
「???」
空は、仄かな茜色に彩られている。美沙は、瑞希の言葉にしばし首を捻ってから、先日の一件を思い出した。
「……そういえば、あの時の子、ウチの制服だったような。……もしかして、今日のお昼ご飯が珍しくお弁当だったのもそのせい…………?」
女のカンなのかなんなのか、美沙はやけに高速で思考を展開させ、真実を一つずつ突き止めていく。だが、妄想は更に悪い方向へ悪い方向へと進み、美沙の顔は次第にさぁっと青ざめて行く。
「だーかーらー、大丈夫だって」
「ふあっ!?」
不意に。
瑞希は、不安げな美沙を包み込むように後ろから抱き締めた。
「な、何するんですか瑞希先輩!?」
「マサシがああなった理由。ミサ、なんでか知ってる?」
にこやかな笑顔で、しかし口調は真剣に瑞希は問う。
「……うすうすとは」
雅史と美沙、随分と差がついてしまった二人の手の大きさ。
守る者と守られる者の立場が逆転した、いつかの日。
「……あたしのせい、ですよね。あたしが頼りないから、雅史は自分のことが見えなくなっちゃって、それで、」
「違うよ」
抱擁する力が、ほんの少し強くなる。
「え……?」
「ミサのせい、じゃなくて、おかげ。アイツ、きっといい男になるよ」
美沙の耳元に、初めて自らの感情を顕にするように、こっそりと瑞希は囁いた。
その温かさが。まるで母親のようだ、と美沙は思った。
「……はい。それは、あたしもそう思います」 美沙の返答に、瑞希は楽しそうに、今はまだチェリーボーイだけどにゃー、と混ぜっ返した。
美沙は、自分の中の何かを確かめるように、一度小さく強く頷いて、微笑んだ。
それからほんの数分後。
校門に、学校には似つかわしくない黒塗りの高級車が停止した。
「え?」
「それじゃ、後は頑張れ! 健闘を祈る!」
言うや否や、瑞希は脱兎の如く校舎に逃走……すると見せかけて、美沙に気づかれないように、建物の影に隠れた。
「ふえ? あ、あの瑞希先輩−?」
困惑する美沙や下校する生徒をよそに、車のドアが自動で開き、
「美沙!」
「雅史!?」
昔から好きだった幼なじみが、姿を現した。
数分前、学校へ向かう車内。
「……ご用件とは、何か聞いても宜しいですか?」
後部座席に座る渚は、隣で引き締まった顔で移り行く景色を眺めている雅史に尋ねた。
「ん、……忘れ物を取りに行くんだ」
「忘れ物、ですか?」
「ああ。六年ぐらい、ずっと思い出せなかった自分がどうかしてる。往復ビンタでも釣り合わないぐらい、大事な忘れ物なんだ」
「…………」
渚は、ぎゅっと唇を噛み締めて、出かかった言葉を飲み込む。一方、雅史はといえば、
(勢いで立ち上がったのはいいけど……どうするか。何を話せば、いいんだ?)
年月を経ても風化することのなかった様々な想いが、新たな息吹きを吹き込まれて彼の脳内を駆け巡る。暴れ馬にも似たソレを乗りこなすには、ハッキリとした指標が必要だった。
“−−マサシ。あなたは、自分が凡人だと思うなら−−”
「−−ったく。つくづくお前は天才だよ、松原」
雅史は、気まぐれながらも頼もしい無二の友人の、まるでこの展開を見越していたかのような忠告を思い出した。
そうだ。俺に出来ることは少ない。だけどそれは、自他共に天才と認めるアイツだってそうなんだ。恥じる方がどうかしてる。
大切なのは。
なら、一体何だけは失敗したくないと、自分が思うのか。
「……あの、雅史様!」
「ん?」
信号待ちで、車が停まる。雅史が目を向けると、渚が真摯に彼を見据えていた。
「……どうやら、もうこのような機会には恵まれないようですから、先に言わせて頂きますわ」
すぅ、と渚は息を吸い込む。
(ーーそうだよな。やっぱり、そうなんだ)
皮肉なことにーー方向は違えど、渚と同じ決意を固めていた雅史は、次に彼女が何を言うかを、いち早く察した。だからこそ、しっかりと真正面から、彼女と向き合う。胸を張って美沙の隣にいられる、正しい自分でいるために。
「私は、雅史様が大好きです!ふつつか者ですが、宜しければお付き合いして下さい!」
「ーーーーごめん。俺はもうーー心に決めた、ヤツがいるんだ」
渚の告白にも雅史の返答にも、一片たりとも虚偽はなく。
一つの恋の終わりと共に、車は目的地に到着した。
せっかくの日曜日なので、二話書いてみました。いつの間にかそろそろクライマックスです。よろしければ、もう少しだけお付き合いください。