第九話
「美沙。ーー俺はお前に、言わなきゃいけないことがある」
「な、なによ……」
雅史の、まるで決闘状を叩き付ける剣士の如き気迫に、美沙は困惑する。
「…………」
「…………」
「……美沙」
「う、うん」
「俺はお前に、言わなきゃいけないことがある」
「それはさっき聞いたわよ!」
校門前で現在進行形で行われているサプライズに聞き耳を立てていた野次馬のみなさんは、盛大にずっこけた。
「そ、そうだっけか?」
「……はあ。ホントなんなのよ。もしかして金欠?あ、だからお弁当だったの?」
「い、いや違う! 確かに金はないけど!」
「じゃーなによ!」
(ええい……心は決まってる、決まってるんだ。あとは、そう、言葉の問題だ)
少し冷静になった雅史は、先の渚の告白を参考にしようかとも考えたが、渚が自分に抱いてくれた感情は自分が美沙に抱いているものとは違う気がしたし、第一渚と美沙、双方に対して失礼ーー正しくないと結論づけ、やめた。彼女への誓いを定めてから、その原点を忘れるほど体に馴染んだ唯一の誇りを、よりによって今失うわけにはいかない。
校門近くに咲き誇る桜が、穏やかな風に吹かれて花を散らす。ほんの一瞬、雅史は美沙の姿をおぼろげにしか捉えられなくなる。
不意に、その輪郭が幼い日の彼女と重なる。
まだ、雅史が彼女に肉体的にも及ばなかった時代。勝てもしないのに喧嘩を挑んでは負ける彼を助けたのは、いつも彼女だった。一見しても、他の少女とさして変わらぬ華奢な体つき。一体あの中のどこに、あんなにも頼もしい力が隠されていたのか。
だが、地面に倒れていた彼だけは知っていた。
奮然と立ちはだかる彼女の足は。いつだって、小さく震えていたことを。
つまるところ。彼女が勝っていたのは、体ではなくーー
「ーー美沙!俺は、」
守りたいと願ったもののために、恐怖に怯まず足を踏み出した、その心ーー
「ーーお前が大好きだっ!! ずっとずっと守らせてくれ!!!」
「まーー」
雅史渾身の告白に吹き飛ばされるように、桜吹雪が舞い上がる。クリアーになった視界の先には、顔をくしゃくしゃに歪めた幼なじみの姿があった。
「雅史ぃいいっ!!」
感極まった美沙は、雅史の胸に体ごと飛び込むように駆け寄り、額をつける。雅史は少し、いや大分迷ってから、優しく手を回した。一秒が永遠になったような祝福のときを、
「……バカ」
「へ?」
雅史にとって予想外の言葉が破った。
雅史にだけ聞こえる声量で、吐息の気配を感じられるほど近くで、美沙は続ける。
「ずっと心配してたんだからね。明日になったら、あんたが、どっかで野垂れ死んでるんじゃないか、って」
「野垂れ死ぬって……野良犬か、俺は」
「……あんたがどっかで、助けた誰かに籠絡されてるんじゃないかって」
「………………」
若干心当たりがあったので、雅史は後ろめたさを感じながら黙った。
「……こんな大勢の前で言ったんだから、もう取り消し出来ないわよ?」
「……いや。大勢の前じゃなくたって、取り消すもんか。そんな正しくないことーー美沙は一度だって、しなかったからな」
「……バカ」
要するに、雅史にとっての正しさの起源とは。 ずっと側にいた大切な幼なじみの、今も変わらぬ優しさと勇気なのだった。
「……ところでさ。まだ、返事もらってないんだけど」
「……しなくても分かるでしょ?」
「…………でも、確信がないというか、こういうのは痛み分けにしとかないと後で後悔しそうというか、なんというか」
お互い顔を真っ赤にして、間近でじっとりとにらみ合う。
先に折れたのは、美沙だった。
「……もう。しょうがないわね!」
美沙は、小さく息を吸って、ーー満開の桜が色褪せて見えるほど、文句の付けようのない笑顔で、
「ーーあたしも大好きだよ。雅史」
二人の唇が、運命のように重なった。
気づけば明日はクリスマス。ちょうどいいタイミングで終わりそうです。