いちご
なんで学校に行っているのだろう?
単純な疑問が頭に浮かんだ。
こんなことは誰もが一度は考えたことがあると思う。
中学校までなら、そういうふうに国が決めているからという建前もある。
でも高校は義務教育じゃない。
現に入学式でも、やる気のない人は来なくて結構ですと校長先生が長ったらしい話の冒頭で語っていたではないか。
けれど、それでバカ正直に来なくなる人はいない。
「面倒くせー」とか「だりぃよな」とか言いながらも、毎日登校している。
はっきりした目的、目標、あるいは夢といってもいいか。
たぶんそういうものをもって日々生きている人は少ないと思う。
ほとんどの人がそう思っているのなら、学校なんて存在している意味があるのだろうか。
その答えを、僕はまだ知らない。
急にこんな哲学ぶったことを思ったのは、他でもない。今現在、僕は不登校状態にあるからだ。
別にいじめにあったわけではない。
勉強についていけないわけでも、運動が極端にできないわけでもない。
むしろそれらは得意分野だといってもいい。
けれど、学校にいけない。
「慶介、そろそろ行くわよー」
階下から母の声が聞こえてきた。
今日はある場所に行く予定になっている。
読んでいた漫画をとじて、本棚に戻し、上着に袖をとおす。
玄関へ行くと母が鏡の前で、身支度の確認をしていた。
「ほら、さっさといくよ。もう時間ぎりぎりなんだからね」
「うん、わかってる」
靴を履きながら答えると、母は不安そうに話しかけてくる。
「それにしても、本当にあそこでよかったの? 他にも予備校とか選択肢はいろいろあるのよ?」
「いいんだって」
簡潔に、それでいて意思がはっきりと伝わるように言った。
「……別にどこだっていいんだから」
「……そう」
まただ。僕は家族には物事をはっきりと言う。
それゆえに、今までは言い合いになることが多々あった。
でも、高校を中退してから、母はなにも言わなくなってしまった。
そんな人が否定するでも、肯定するでもなく、このようにただ会話を成り立たせるためだけに言葉を発する様子はひどく不愉快だ。
「……行こうよ。時間、ないんでしょ」
そういって僕は母に先んじて外に出る。
三日ぶりの外の空気は、思ったよりも清々しく感じられ、先ほどのやりとりでの苛立ちを抑えてくれる。
けれど、見上げた空にはどんよりとした雲が広がっていた。
「……雨降るのかしら」
後ろから聞こえたつぶやきのような母の声に僕は返事をしなかった。
どうせ母も答えを期待してはいない。
母の運転する車で目的地へと向かう。
駅へと続いている大通りは平日だからか、いつもよりも人通りが少なく感じた。
「次の信号右ね」
「了解」
ときどきそんなやり取りをしながら、街の中心から外れていき、郊外へと車を進めていくと、やがて母は一軒の古民家が見えてきたあたりで車をとめた。
「ここ……で合ってるわよね?」
手元の紙と車のナビとを見比べている母をしり目に僕は車を降りた。
続いて降りてきた母に「僕だけで行ってくるから」と言い残して、ひとり、石垣で囲まれている平屋建てと思しき建物の入り口を探す。
石垣が面している車道から細い道に一本入り少し歩くと、さびついた門があらわれた。
『フリースクール いちご』と書かれた看板がとりつけられたその門の脇にある呼び鈴を押す。
「はいは~い」と声が聞こえたかと思ったら、古民家の玄関から一人の女性が出てきた。
「あっ、もしかして昨日電話してくれた……岸間くんだっけ?」
「はい、そうです」
「そっか! はじめまして、ここの講師をしている金石里子です。よろしくね」
金石と名乗ったその女性は大学生くらいに見える。
ボランティアか何かなのだろうかと思っていると、
「私ね、去年大学を卒業したばかりで、まだ社会人一年目なの。でも一応、大学で教職取って、教員免許も持ってるからそこは安心して!」
しまった。不信感が顔に出てしまっていたのだろうか。
失礼なことをしてしまったかもしれない。
「い、いえ、こんなに若くてきれいな人が講師だとは思っていなかったので……」
言ってからまたやってしまったことに気がつく。
会って一分もたたずにきれいですね、なんてナンパ以外の何物でもない。
あわてて訂正の言葉を考えていると、金石さんはあははと笑って、僕を見ていた。
「ありがとう。そんなこと言われたの初めてだよ。岸間くん面白いね!」
からかっているのか、年下の言葉など微塵も介していないのかはわからないが、とにかく気を悪くした様子はなかったので安心する。
「立ち話もなんだし、さっそく中に入ってよ」
「は、はい、ありがとうございます」
金石さんの勧めるまま、僕は古民家にあがらせてもらう。
家の中は外見に似合わず、新しい木のにおいがした。
「ここね、何年か前に中だけリフォームしたんだ。リノベーションってやつ?」
「そうなんですか。どおりできれいだと……」
雑談というほどのものでもない会話をしながら奥へと進んでいく。
「ここだよ」
廊下のつきあたり、右側の部屋。
金石さんが声もかけずにあけた襖の先は想像に違わぬ畳敷きの和室だった。
ただ想定外だったのは、畳の上に置かれた長めのローテーブル。
そして、さらさらと流れるようなきれいな黒髪に、整った目鼻立ちをした美少女がそこにいたこと。
「あれ、冬美ちゃん今日来てたんだ」
「はい、お邪魔しています」
さらにもうひとつ、想定外だったのは冬美ちゃんと呼ばれたその少女に僕は見覚えがあったことだった。
「……藤戸?」
遠慮がちに僕は問いかけた。
図らずも疑問形になってしまったのは、名前を記憶の隅から引っ張り出すのにわずかに時間を要したからだ。
少女は声の主である僕に視線を移すと、驚いたのか声をつまらせながら、
「……岸間くん?」
とつぶやくように言った。
「久しぶりだな」
「……ええ、久しぶりね」
それきり会話が途切れてしまう。
ふと横を見ると、金石さんが不思議そうな顔をしてこちらを見ていた。
「高一のとき、クラスが一緒だったんです」
僕が種明かしをすると、金石さんは納得したようにうなずく。
「なるほどね~。冬美ちゃんも一年生までは学校行ってたもんね」
金石さんの言葉からもわかるように、藤戸は高校を一年で去った。
もともと多くを語らない彼女は、その性格が災いしたのもあり、クラス内で省られ気味だった。
しかし僕は彼女の退学理由をそれだけではないとみている。
それに今の金石さんの藤戸への態度を見るに、彼女は別にそれを隠し立てするつもりはないらしい。
もしも、彼女がただのいじめに屈するような人間であれば、金石さんがプライベートなことをこの場で口にするはずはない。
金石さんとは初対面だが、そんなデリケートのない人間ではないことくらいはわかる。
それならここで確認しておいても問題はないだろう。
「藤戸、退学したのはその……いじめだけが原因じゃないんだろ?」
言明を避けようかと思ったが、それも意味をなさないことはすぐにわかった。
「ええ、そうよ。私があんなくだらない人たちのために学校をやめる人間に見える?」
「いいや、気になっただけだ」
「それよりも、あなたがここにいる理由の方が私は気になるけどね」
「それは……いろいろあってな」
「……そう」
僕に話す気がないことがわかると、藤戸はまた参考書に目を落とす。
今のやり取りからもわかるように、藤戸は多くは語らないが、語りだすとその毒舌が牙をむく。くだらないって……。
「さて、積もる話はあるだろうけど、まずは岸間くんの面接からだね!」
気を取り直したように明るく金石さんが言う。
今はその気遣いがありがたい。この微妙な沈黙は気まずかったからな。
「そうですね。よろしくお願いします」
「じゃあここだと冬美ちゃんの邪魔になっちゃうから別の部屋に行こうか」
金石さんに連れられて通された隣の部屋で、一時間近く面接というかカウンセリングのようなものを受けてたが、その間、僕は終始藤戸のことが気になってしまい、集中できなかった。