第一話 狂気との遭遇
激しい雨の降りしきる夜の公園で―
「死ねッ!死ねッ!」
―俺、玄間霧史は―
「俺は、ずっとお前のことをッ!」
―親友だったはずの男、森以蔵に―
「ハアッ、ハアッ」
―ナイフで滅多刺しにされていた―
「誰よりも…誰よりも愛していたんだッ!」
―薄れゆく意識の中で俺が最後に目にしたものは―
「これで、お前はもう」
―涙でぐちゃぐちゃになった、彼の醜い面構えだった―
「永遠に、俺のもの、だ」
「……!……さん!」
「…ん」
「…旅人さん!目を覚ましてください!」
「…ここは…?」
意識を取り戻した俺の目に映ったのは、俺と同い年くらいの、少女の懸命な表情だった。金のロングヘアと蒼い目が美しい彼女は白いローブ姿で、首からは赤い宝石のネックレスを提げている。明らかに日本人の見た目ではない。彼女の言葉も、日本語ではないようだ。しかし俺の頭は、彼女の言葉を日本語同様に正確に理解することができていた。
俺が寝そべっていたのは、森の中を通る狭い一本道の途上だった。一体、俺の身に何が起こったのか。確か俺は森に刺されて死んだはずだ…ここは、いわゆる天国という所なんだろうか?
「姉さん!旅人さんが目を覚ましましたよ!」
「アンタも世話焼きね、スズロ。どーすんのよ、そいつ」
俺を呼び起こしてくれた少女の名は、スズロというらしい。彼女に呼び出されて、赤いショートヘアの女性が振り向いた。彼女は俺より2,3歳ほど年上だろうか。芯の強そうな低い声と、黒いレザーの鎧に包まれたスタイルのいいボディが印象的だ。腰には長剣を携えている。
「えっと、君たちは…?」
「あ、初めまして。私はスズロ・オークウッド。近くのシロガ村の自警団として働いている白魔導士です。で、そちらがリリア・オークウッド。同じく自警団に勤めている私の姉さんで、クラスは騎士です」
「えっと…助けてくれてありがとう、スズロさん。俺はクロマ・キリシ。えっと…多分、この世界の人間じゃない」
「『転生者』ですか…見慣れない姿だったので、もしかしてと思いました。噂には聞いていましたが、実際にお会いしたのは初めてですね…とりあえず、私たちの村に戻りましょう。色々とお話しすることがあるでしょうし」
俺は、オークウッド姉妹と共にシロガ村へと歩を進めた。
姉妹と一緒に歩きながら、俺は頭上に表示されている自分のステータス画面に気付く。
【クロマ・キリシ】
コスト:8
レベル:59
クラス:デュエラー
スキル:魔札封印、支配者のオーラ、管理者の手腕
次いで、先導する二人のステータスも確認する。
【スズロ・オークウッド】
コスト:2
レベル:16
クラス:白魔導士
スキル:ヒール、ヒーラー
【リリア・オークウッド】
コスト:3
レベル:22
クラス:騎士
スキル:回転斬り
攻撃力のある姉が前衛で戦い、レベルは低いが回復に優れた妹は後衛でサポートに徹するといったところか。
にしても俺、レベル59か。この二人より遥かに強いんだな。レベルとかクラスはなんとなかく分かるけど、 このコストってのは何だろうか。それに、クラスの「デュエラー」、スキルの「魔札封印」って一体。
気になった俺は、ステータス画面からそれぞれの説明文を閲覧する。
デュエラー:カードに封印した人間やモンスターを、術者に絶対服従な駒として召喚し、自由に使役することが可能。三億人に一人しか現れないと言われる伝説の激レアクラスだ。
魔札封印:自分よりコストの低い人間やモンスターをカードに封印し、好きなタイミングで召喚して自在に操ることができる。
基本的にコストはレベルと連動しており、レベルが高く総合的な能力の優れた者ほど高コストになる。コストの数値が高い駒ほど、術者がカードから出して召喚する際に多くの魔力消費を必要とする。ただし召喚した駒をカードに引っ込めれば、召喚のために消費した魔力は術者に戻る。
つまり、同時に召喚し操ることが可能な駒の合計コストは術者の魔力量に依存するので注意が必要だ。
なんだこれ。めっちゃ楽しそうだしどう見ても強い。超いいクラスを引き当てたみたいだ。俺のコストが8ってことは、コスト7以下ならどんな人間もモンスターもカードにして言うこと聞かせ放題ってことか。
いやいや、早とちりはいけない。召喚コストの合計が自分の魔力を超えてはいけないって書いてあるし。レベル59がどんだけ強いのか、ステータス画面をちゃんと見てみよう。
ついでに、スキルの「支配者のオーラ」「管理者の手腕」もだ。
【クロマ・キリシ】
コスト:8
レベル:59
HP:1260
MP:96
攻撃力:187
防御力:150
魔法攻撃:176
魔法防御:155
必然力:258
素早さ:25
支配者のオーラ:デュエラーがカードにした駒を召喚する際、実際のコストより2低いコストとして扱うことができる。
管理者の手腕:術者と召喚した駒とで身体を触れ合うことで、触れ合いの深さに応じた量の経験値を行き来させることができる。レベルとコストの上がりすぎたカードから経験値を奪い低コストに戻しつつ術者のレベルを上げることも、逆に術者の経験値を与えて駒をレベルアップさせ、高コスト高パフォーマンスの戦力にすることも可能。
レベルの割に素早さだけ明らかに低いですが、その代わり全体的になんだか高そうなステータスだし、何より必然力があるから問題なさそうですぞwwwww MPが魔力を指しているのなら、合計コスト96まで同時に召喚・使役可能ということになりますなwwwww期待以上ですぞwwww
その上、この二つのスキルがどちらも便利そうだ。特に「支配者のオーラ」があれば、2コス以下は実質ノーコストで召喚できることになる。3コスでも1コス扱い、7コスでも5コス扱い。これをうまく活用すれば、実際に扱える駒の実質合計コストは96より遥かに大きくなるぞ。
「管理者の手腕」で経験値だけ吸い上げて、俺のレベルを上げるためだけに使うのも有効そうだ。俺のレベルが上がれば最大MPも上がって召喚可能な合計コストも96より大きくなるし、コストが上がれば今はカードにできない8コス以上の相手もカード化できるようになる。
―俺、最強じゃね?
「ちょっと! 何ボーっとチンタラ歩いてんのよ! グズクズしてると置いてくわよ」
「ね、姉さん。クロマさんはきっと転生したばかりで見知らぬ状況に戸惑ってらっしゃるんです。私たちもいったん休憩にして、クロマさんが落ち着かれるまでお待ちしましょう」
俺がステータス画面を読んで考察しながらボーっと突っ立っていると、前を歩いていた2コスと3コス、実質0コスと1コスのクソザコ姉妹がワニャワニャ騒ぎ始めた。
あー、武装解除してあのローブと鎧の下を思う存分至近距離で拝んでやりてえー。特に生意気な3コス姉のリリアは念入りに思い知らせてやろう。だが2コス妹のスズロにも容赦はしねぇ。
よし、まずはあの二人だ。シロガ村をまるごと頂く前に、あの金髪清楚と強気おっぱいを俺の最初のしもべにする。元の世界に戻る方法を探すのはそれからだ。
―よし、スキル「魔札封印」発ど……ウッ!??
その瞬間、俺の中でハルマゲドンが起こった。
「クロマさん! 大丈夫ですか、クロマさん!」
「どうしたのよ、いきなり泡吹いて倒れちゃって……」
心配げなスズロとリリアの声で、ボクの意識は覚醒した。
「あ、あぁ……なんでもないよ。済まなかったね、手間をかけさせてしまって」
「クロマさん……?」
「アンタ、なんか雰囲気変わってない? 急に髪も伸びた気がするわよ。それに……」
姉妹の視線は、キリシの時にはなかったボクの胸の膨らみに注がれている。参ったな。どう誤魔化そうか。
「気のせいだと思うよ、ボクはもともとこんな感じさ。それより早く村へ急ごう。随分とキミたちを待たせてしまったし、日が暮れたら大変だ」
「クロマさん……そうですね。まずはシロガ村に戻ってからこれからのことを考えましょう」
「全く、スズロはいつもいつも面倒なヤツばかり拾うわね」
できた娘さんたちだ。キリシを封印するのがもうあと一瞬遅かったらと思うと、背筋が寒くなってしまう。
キリシの記憶とボクの記憶は共有されている。だからこそ、キリシが自身の邪悪なスキルで二人に何をしようとしているか知り、ボクは急いで浮上して強引にキリシの人格を精神の水底に沈めた。
今はなんとか抑えることができているけれど、いつキリシからの報復があるか分からない……油断はできない。
それに、どうやらボクにもキリシのレベルやコストは引き継がれているものの、スキルは全く別物のようだ。
【クロマ・キリカ】
コスト:8
レベル:59
クラス:タイムシフター
スキル:タイムシフト、マインドベイン
タイムシフター:0100101001010110101010000100101011
タイムシフト:010101010100101.10101010010111111.10
マインドベイン:11110101010101.010101110100101110.0001111
どういうことなんだろう。どのスキルも、クラスにも、キリシのものと違って説明文がない。意味不明な文字列のみ……。
分からないことについて悩んでいても仕方がない。キリシと同じレベル59なら、戦闘で危機に陥ることはそうそうないだろう。
まずは村へ向かい、この世界の情報を得よう。そして、どうしてボクはこの世界に転生したのか、元の世界はどうなっているのか、そして、ボクの大切なあの二人はどうなったのか。人のいるところに出て、手掛かりを探すんだ。
村が見えてきた。前を歩いていたオークウッド姉妹が唐突に崩れ落ちた。ボクも呆然とその場に立ち尽くした。
なぜなら、シロガ村は炎上していたからだ。
炎の中心には、ボクのよく知る人物がいた。その人物は、ボクの姿を視界に認めるや否や、端正な顔を醜く歪め、楽しそうに呟いた。
「みぃ〜つけた♡」
「なぜキミがここにいるんだ……以蔵」
―そう、森以蔵。
ボクを殺した張本人だ。
「なぜって?もちろん、お前に会うためよ、キ・リ・シ♡もっとも、今そこにいるのはキリカか」
なぜ元の世界における"大切な人"もボクが転生したこの世界にいるのか。ある予感が頭をよぎる。
「まさか、キミも"転生"を…?」
「ま、そんなところさ。キリシを殺した後にさ、何も言わずにハルエの奴もぽっくり逝っちゃって。ほら、俺達3人で1人みたいなところあるじゃん?あっちの世界で生きるのもつまんなくなったなって思ってたらいつの間にか俺も死んじまった。そしたら、この世界で目覚めたってワケ」
燃え盛る村を背景に以蔵の話は続く。
「自分が転生したってわかった時、なんとなく予感はしたさ。俺の"大切な人"は、この世界に生きているんじゃないかって…。ま、そのうちなんか面白いことになるだろうから気長に待つか、と。んで、憂さ晴らしに"力"も手に入れた訳だしなんとなく村を燃やしてみた。そこにちょうどいいことにお前が来たのさ」
彼は転生してもやはり彼だ、とボクは感じざるを得なかった。
―端的に言って、狂ってる。
もっとも、キリシは彼に殺されるまで彼の本性に気付いてなかったようだ。ボクが彼の本性に気付いたのは、あの日、ボクと彼の間に起きたある出来事がきっかけなのであった――
「さ〜て、説明はこれで十分だね?」
以蔵は何かをせんとばかりな体勢に移る。
「遊びで私達の村に火を放っただと…?貴様、許しておけん…!」
オークウッド姉妹も怒りに身を任せて以蔵を倒さんと身構える。
「本当ならキリシくんに"ご挨拶"したかったところだけど…せっかくキリカちゃんが出て来てるんだ、どうだい?また俺と一緒に"楽しいコト"をしようぜ?」
「あれは間違いだった!ボクはキミに騙されたんだ!」
「やれやれ、キミのそういうバカ真面目なところ、大好きだよ♡そういう風に断られると、力づくでも言うこと聞かせたくなるんだよねえ…キリカアアアアアアアアアア!!!!!!!」
咆哮と共にボクに向かって突撃してくる以蔵、その頭上に表示される数字を見た瞬間ボクに戦慄が走った。
【モリ・イゾー】
コスト:18
レベル:53
クラス:バーサーカー
スキル:死の波紋
他人のスキルについては詳細な説明まで見ることはできない。しかしこれだけは言える。
―殺られる。
殺らなきゃ殺られる。
「二人とも下がって!!」
ボクはオークウッド姉妹を突き飛ばし、以蔵を迎え撃つ。そして‥‥。
「ありゃ、期待はずれだったねこれは。」
「旅人さん!!」
スズロさんの悲痛な叫びを聞きながら。
「お、お前ぇぇぇ!!」
リリアさんの怒りに満ちた咆哮を聞きながら。
ボクは全身から血を吹き出して地面に沈んだ。
「あれ‥ここってどこだろう?」
それと同じ頃、激戦が始まったシロガ村からは離れた場所で。
少女ハルエは目覚めた。
まず彼女は思った。ここはどこだと。
次に思った。なんで私はお城の中にいるんだろうと。
「目が覚めたか?」
「おわ!!、アンタだれ!?」
いや別に動揺はしてないよ?というか私くらい冷静になると人生で一度も焦ったこととかないからね。
一回くらい焦ってみたいよ、うん。
「別に誰でもいいだろ、ったく道でぶっ倒れてたから拾ってやったのにその言い草かよ。最近のガキは礼儀がなってねーなー」
自分を拾ってくれたという男の顔をハルエは見つめる。20代前半くらいにみえる風貌に、眠そうな眼。
正直、ダメな大人って感じだ。こういう人にはなりたくない。
「ねぇ、なんで私を助けてくれたの?」
「‥‥‥昔、俺も拾われたからな。」
「え‥‥?」
「―おや、君がうわさの‥小童ですか。」
「―力とは自分を護る為のものではない。己が信念を貫くためのものです。」
「―リク、君にこの力を託します。」
「いろいろあったんだよ‥‥。」
そういってこの男、リク=ビッテンフェルトは城の一室から出て行った。その頭上に表示された何かをハルエは見つめる。
【リク=ビッテンフェルト】
コスト:no data
レベル :no data
クラス:魔界騎士団2番隊隊長
スキル :no data
「はぁああああっはっは! もう終わりなのかいキリカ! どうしたんだ、早く立ちなよ!」
意識の遥か遠くから、以蔵の声が響いてくる。
ボクだって、今すぐ奴に一矢報いてやりたいのに――
体が、動いてくれないのだ。
あいつにこんな簡単にのされて、もうなす術もないというのか。
「ったく、俺の意識を乗っ取っといてそれかよ」
闇の中、すぐそこでキリシの声がした。
「まともに戦えないなら、俺に最初から任せとけっての」
キリシは現世にいた頃と変わらぬ口調で吐き捨てる。
僕ら二つの人格は、こうやって悪態をつきながら、もちつもたれつで付き合ってきた。ボクができないことはキリシが補ってくれたし、ボクはキリシのフォローに回ることが多かった。
でも、ここまで自分を無力に感じたことは未だかつてなかった。
「ここは俺に任せろ。キリカは引っ込んでな」
普段なら首を縦に振りかねるところだが、今回ばかりは返す言葉もない。
「…うん」
「よし、いい子だ。まぁ、俺もあいつには借りがあるからな」
そう毅然といい放つキリシは、どこか頼もしく見えた。
オークウッド姉妹に以蔵が飛びかかる。
悲鳴を上げる姉妹。醜く顔を歪ませる以蔵。
その両者の間に、鋭く空を切ってカードが放たれた。
「!?」
以蔵が寸でのところでそれをかわすと、札は勢いよく炎を発し、みるみる内に辺りを包み込んだ。
「クリムゾン・フレアナイト!」
明朗な声と共に、炎の中から甲冑を纏った騎士が出現、炎刃をもって以蔵を吹き飛ばした。
以蔵は苦痛に顔を歪めたが、術者の姿を認めると満面の笑みへ表情が変貌した。
「待ってたぜぇえ、キリシぃいいぃいいい!」
俺はすぐさま次の作戦へ移る。
俺の「魔札封印」は、札のストックが切れたらお仕舞いだ。
今出したクリムゾン・フレアナイトはコスト6。支配者のオーラの効果でコスト4として召喚した。
幸い、ザコカードのストックならいくらでもある。まずは3コスト、2コストあたりの駒を多数召喚し、奴を 足止めしよう。その間に高コストの駒を投入する準備を整える!
俺は、2コストの「ヒノタマ」を大量に召喚する。支配者のオーラのスキルにより、実質ノーコスト。俺のスキルはその性質上、低コストの大量召喚で力を発揮する。
「やれやれ、やる気満々だねえキリシ。せっかくまた会えたのに」
「黙れ。俺はお前を許さない。――だが、ひとつだけ聞きたいことがある」
「?」
「お前、さっきハルエが死んだと言ったな。あいつもこの世界に転生できたのか...?」
以蔵は狂ったように笑いだす。
「ハルエがどうなったかって? はは、そんなの知ってたって教えるわけないじゃん! この世界には俺のとお前がいりゃ、十分なんだからなあ!」
俺の魔札を持つ手が震える。
「答えろ!」
「嫌なこったね」
「答えないのなら――力尽くでお前を倒して聞き出してやる」
以蔵は不敵に微笑みながら口を開いた。
「んん?……んはははぁぁ?
ははは、はははっっっ! ははははははは!
――やってみな」
「ア……ガッ」
―10分後。
俺は満身創痍で地に組み伏せられ、頭を以蔵に踏み付けられていた。
ストックしていた全てのカードが以蔵によって「死」を与えられ、この世から失われている。
「情けないなぁ、あんなに息巻いていたのに。そんなんじゃ激レアスキルの名が泣くよ?」
「お……前……」
「んん〜? 俺のスキルが不思議かい? ま、キミと違って俺にはこれ一つしかないからね。『死の波紋』。何が起こったかわかんない? ま、俺にもよく分かってないからね。邪魔者が消えさえすりゃ何でもいいよ」
以蔵のレベルは53、ステータス自体は俺より低い。にも関わらず、コストは俺を遥かに上回る18。あのスキルに何かあるかもしれないとは思っていたが、これは一体……!
「別にさっさとキミを殺すこともできたんだよ? キ〜リシくん♡ 多分ね。でも今それをやっちゃ面白くないからさ。ホラホラ! もっと遊んでくれよ! 俺のために踊ってくれよォ!」
以蔵の狂気じみた哄笑。ふと奴は、力を失い二人揃って倒れ込んだオークウッド姉妹に視線を向ける。
「いいこと考えた♡ あの二人、わざと完全に命を奪わずにあの状態にしておいたんだけど、折角だから、今から俺の体液タンクにしてあげる♡」
「や……めろ……」
「だって、そうすればきっとキミのやる気も上がるでしょ? もっとだよ。もっと怒り狂ってくれよ。もっと真剣にならなきゃダメなんだよ。俺のレベルに追いついてくれよぉ、キリシ」
「やめろ……そいつらは、俺の女だ……!」
「へぇ? ヒヒヒ、ヒヒヘアーハッハハハァ! 相変わらず個性的なことを言うもんだねぇ。キ〜リシ君のそういうトコ、嫌いじゃないよ♡」
あえてゆっくり、勿体ぶったように姉妹へ近づく以蔵。二人の顔が怯えと絶望に染まっていく。
「地獄にようこそ♡これからキミ達を体液タンクにするんだ。いいだろォ!?」
「あ……あぁ」
「やめて……私はいいから、せめて妹にだけは手を出さないで……!」
「ま、ぶっちゃけ俺はキミ達に興味なんてないんだけどね。キリシ君にやる気出してもらうための生贄ってワケ。恨むならキリシ君を恨んでね♡」
以蔵は下半身からなんかを取り出そうとした。
「殺す」
「え?」
永遠にも感じられる長さ。世界が静止していた5秒間の後。
俺は一瞬で以蔵との距離を詰め、身体を捻って地面に叩きつけた。
「ギャア」
以蔵は一瞬驚愕した顔を見せたが、すぐに冷徹さを取り戻した様子で、バック転を繰り出し俺から距離を取ろうとする。
だが、俺のスピードは奴を遥かに上回っていた。
急接近からの膝蹴りで以蔵を近くの木に叩きつけ、無言で連続パンチを決める。
ドカッ、バキッ、ドカッ、バキッ
「グハッ、ゲフッ、ゴホッ、グエッ、ヒギッ、ゴホォ」
俺は確かに以蔵を圧倒していた。
再びスキルを発動される前に、ひたすら物理で殴って決める必要がある。
今だ。今、俺が以蔵を殺さなければならない。
こんな俺を信じ、全てを捧げてくれたアイツのためにもだ……!
【クロマ・キリシ】
コスト:12
レベル:86
クラス:デュエラー
スキル:魔札封印、支配者のオーラ、管理者の手腕
バコッ、バコッ
「グフッ、ウゲッ」
以蔵を殴り続けながら、俺は数秒前に、自分の中で起こったことを思い出す。
―体が動かない……あの姉妹を助けに走ることさえできない。
カードもない……ここまでなのか、俺は。何一つ守れずに終わってしまうのか。
「キリシ」
精神の水面に、キリカが浮き上がってきた。決意に満ちた瞳。以蔵に敗北した俺の代わりに出るつもりなのか。だが……。
「ダメだ、じっとしていろ……俺が、あれほどのカードを使ってさえ駄目だったんだ。お前は女だぞ……奴に嬲りものにされるだけだ! そうなったら俺の肉体も巻き添えなんだぞ! やめろ!」
「違うんだ、キリシ」
キリカは無言で首を振った。その瞳は決意に満ちている。気がつけば、俺とキリカが対話している精神世界におけるキリカの視覚的肉体イメージからは、服が取り払われていた。いつの間にか俺も裸になっていた。
「君のスキル『管理者の手腕』は、『カードから召喚し、駒にした相手と身体を触れ合わせることで、経験値を行き来させる』能力。ボクは別にキミのカードになったわけでも、一方的に支配されているわけでもない。でも」
「お前、まさか」
「今だけは、キミの駒になることを受け入れよう。ボクを使ってくれ。カードになるという本来の手順こそ辿っていないが、ボクが自分の意思でキミを受け入れている限りにおいては、スキルの発動が原理的に可能なはずだ。なにせ、ボクはキミとずっと一緒にいた、キミの一部なんだからね」
「…………」
「キリシ」
「お前から頂いた経験値、奴を倒した後でも返さねーからな」
「覚悟の上だ」
「……チッ、俺はお前のそういうところが嫌いなんだ」
「ボクはキミのこと嫌いじゃないよ。時々ウンザリはするけどね」
「そうかよ。じゃ、とっとと終わらせようぜ」
静謐な精神世界で向かい合い、溶け合う男女。
こうして俺とキリカは、精神世界で抱合した。
俺の中にキリカの力が流れ込んでくる……経験値が満ち、レベルが急激に上昇していく!
俺に全てを吸われ尽くし、レベル1になってしまったキリカは、弱々しく微笑みながら水底へと沈んでいった。
キリカが俺に語りかけてから、全てが終わるまで、現実世界の時間にしてわずか5秒。精神時間の過ぎる速度と、現実時間の過ぎる速度は全く違うのだ。
俺は即座に肉体へ出た。
そして立ち上がり、以蔵との間合いを一瞬で詰め、怒りと憎悪とやり切れない思いを、そして相棒からもらった高潔な覚悟を拳に籠めて、奴を地に叩き落とした。
―これでトドメだ!
「ウラアアア!」
「ギャア!!
……なーんて、いつまでも言ってると思ったかい?」
大人しく殴られ続けていたはずの以蔵が突如、不敵な笑いを見せる。
そして、次の瞬間――
突然、彼の肌に黒い紋章が浮かび上がる。彼の身から、禍々しいオーラが放たれるのを感じた俺はとっさに身を引いた。だが、僅かに反応が遅かった。
「魔術刻印って知ってるか…?体に呪文を刻み込み、詠唱時間ゼロで強力な魔術を発動する裏技さ…無論、体への負担は半端じゃねえ…だがな、俺はてめえの中の不純物を取り除いてやるために、ある魔術を刻印した…」
「お前、何を…」
「スピリット・アブソープション!」
「ぐああああああああああ!」
俺に力を供給していた心の中の“キリカ”が強引に引き剥がされる。本来この魔術は他者が身に宿す精霊を強奪するためのものだが、以蔵はそれを俺のもう一つの人格に対して使って見せたのだ。
「以蔵、てめぇ…」
以蔵は再び戦いの構えを取る。
「ハハハハハッ…!それじゃ、さっそくキリカちゃんの能力を使わせてもらおうかなッ♪」
俺は以蔵のステータスを確認しようとしたが、数値が激しく上下動しており確認することができない。
「どういうことだ…?」
「チイッ、こいつ、俺の中で暴れやがって…ちょっとばかし“調教”する必要がありそうだなァ…!」
以蔵の中に取り込まれてもなお、キリカは激しい抵抗を続けているらしい。
「今日の所はこれまでにしておいてあげるよ、我が愛しのキリシ君。アディオス♪」
「待てッ、以蔵!」
以蔵の足元に魔法陣が浮かび上がる。辺りが光に包まれた直後、彼の姿は消えていた。
「クソッ、逃がしたか」
「生存者は、ゼロか…」
しばらくの間、俺は姉妹と共にシロガ村を探索していた。そこで目にしたのは、惨たらしい虐殺の跡だけだった。姉妹は二人とも茫然とした様子だった。ほとんど一言も喋らず、俺を先導するように歩き続けている。
「クロマさん、お願いがあります」
突然、スズロが重い声でつぶやく。
「あの男、イゾーが率いるサディス盗賊団は、一年ほど前から小さな村を次々と襲っては略奪と殺戮を繰り返してきました。王国政府は何度も掃討作戦を試みていますが、未だに本拠地を発見する事すら出来ていません」
「スズロさん…」
「私は、彼に復讐したい。身を八つ裂きにし、溢れ出る血に慄き、叫びながら悶え苦しむ様を見たい。けれども、私たち姉妹は、あまりに無力です」
スズロの長い金髪が風になびく。先ほど俺の命を救ってくれた純朴な少女は、ものの数刻で冷徹な復讐者へと変わり果ててしまった―
「クロマさん、もし私に恩を感じているなら…私の復讐に、協力してくれますか」
「スズロ、あんた…!」
リリアがスズロを咎めようとする。だが、俺はそれを遮って返答する。
「ああ、協力するよ、スズロさん。
―でも、これは恩返しじゃない。俺自らの意思だ」
「クロマさん…」
スズロが振り返る。その蒼く美しい眼には、大粒の涙が浮かんでいた。
「どのみち俺だって、あいつとはケリをつけなきゃいけない。奪われたキリカは確かに邪魔だと思うことも多かったが、奴がいなけりゃ俺は人の道を踏み外していたかもしれない。何より、あの戦いの中でようやく互いの存在を受け入れられたんだ」
俺は、二人の少女の前で、自らの決意を露わにする。
「俺は、キリカを取り戻す。その上で、奴の犯してきた過ちに裁きを下してやる。復讐なんてそんな悲しいことを言わないでくれよ、スズロさん。俺たちは、この世界を守るために正義を成すんだ」
「はい…クロマさん…!」
俺とスズロは固く握手し、共に戦う意思を確かめ合う。
「キリシでいいよ、スズロさん」
「私のこともスズロでいいですよ、キリシさん」
その後、俺たちは村の跡地に質素な墓を作り、村人たちの死を弔った。リリアさんの提案で、俺たち三人は近くの地方都市カンロ市へと向かうことに決めた。焼け跡から食料や荷車をかき集めた俺たちは、翌朝、いつ終わるとも知れぬ旅の第一歩を踏み出したのである――