理科教師の考察と感想
「中学生は恋をしない。と決めた」の理科教師からの話。
俺がこいつを発見したのは保健室だった。
養護教諭の部屋は午前の授業中ならたいてい誰もいないし、実験やらなんやらで結構お世話になっている場所なので彼も俺が来ることに特に苦言を呈したことがない。
「休ませて~」と気の抜けた口調で入っていくと、珍しくこの部屋の主じゃなくて病人がいた。
なんというか非常に分かりやすく具合の悪そうな女生徒だった。睡眠不足なのだろう隈が濃いし、ガリガリに痩せている。背が低いからまだ成長期前だろうし、無茶なダイエットでもしているのだろうか。こっちをぼんやりと見る目はまだ眠気が抜けていないのだろう、とろんとしているし短い髪の後頭部が寝癖ではねていた。俺では相談には乗れないと思ったが、物理的な解決はできると棚からココアを出し、一つを彼女に差し出す。受け取ったものの飲む気配のない彼女を見ずに椅子にもたれる。ようやく飲んだのか小さく聞こえた「おいしい」の声に口元が緩んだ。
新入生らしい女生徒は小さいながらも存在感のある少女だった。中学一年生らしい少し大きめの制服に着られてる様はみんなと変わらないはずなのに、どこか違っていた。明らかな違いは目の下の黒々とした隈に痩せた体だが好意的に受け取られているらしい。クラスのマスコットとして定着したらしく、のびのびと存在していた。見るたびに誰かしらから食べ物をもらっているのは気のせいではないはずだ。
保健室での邂逅の後、少女は生物研究部の生徒として活動している。生き物の世話は彼女の性に合っていたようだ。水槽の魚や昆虫をニコニコしながら見ているのは微笑ましいと思う。うっかり自分のテリトリーに招き入れてしまったが、それなりにうまくやれそうだ。幽霊部員だけで構成した部だが活動したいならそれも良しだな。しかし俺の趣味の生き物たちを世話しているせいで成績が落ちたらまずいかもしれない。
引き戸を開けると、今日も生物準備室に女生徒はいた。近づくと、勉強しているようだ。黒い実験テーブルには勉強道具が広がり、俺の存在に気づかず一心にノートに書き込んでいる。なんの気なしにココアを置くと顔を上げ嬉しそうに笑った。なるほど、この笑顔は餌付けしたくなるかもしれん。猫舌なのかふーふーと冷ましながらココアを口に運ぶ様は微笑ましいものだった。
一年がたつと生物準備室の雰囲気が微妙に変化した。チビ隈少女がにょきにょきと縦に伸びたのだ。男子生徒のように10cmも伸びたので興味深く眺めていたらどうやら嬉しくないらしい。ここ最近引き戸が荒々しく音を立てる。自分の部屋から顔をのぞかせてみると、いつになく気がたったような女生徒の姿が見えた。話を聞いてみると、
「やたら自分に話しかける人が増えた(すべて男子生徒)」
「みな早口で落ち着きがないから話の内容がよくわからない」
「彼らの顔は熱でもあるのかみな赤い」
え、何この子。本気で言ってんのだろうか。マジマジと見つめてもあちらも不思議そうにこちらを見返してくる。これは本当に分かっていない。天然記念物なのかもしれない。様子見だな、放置しておこう。思った矢先に問題発言投下してきた。
「話がよくわからなくて途方にくれました。先生とココア飲んでるほうがいい」
一瞬思考が止まってしまう。無邪気に発言するガキにちょっとイラッと来た。俺の教師人生終わらせてなるものかッ。無意識でもそういうことを口に出すなと釘を刺すと、女生徒は神妙な顔で首を縦に振った。
暖かい空気が白い花びらを盛んに揺らす季節になった。生徒たちは試験を乗り越えて次のスタート地点に走り去っていく。長い年月にはこういう生徒もいたなあと記憶に残る生徒は何人かはいるものだ。たいてい問題児ばかりだが。しかし、教師生活数年で出会うとは思わなかった。チビ隈少女は最後にまたもや爆弾を投下してくれた。卒業式に柄にもなくしみじみとしていたら、珍しく緊張した彼女が引き戸の向こうからこっちを見ていた。最後の日に卒業アルバム片手に探してくれるなんて俺もなつかれたものだ。生物準備室のいつものスペースにちょこんと座りながらもこちらを見ない少女を気にしながら、いつもの通りにココアを出す。さて寄せ書きに何を書いたもんかなとペンを開けようとしたところで、告白された。
誤解しないでほしい。愛の告白をされたわけではなく、初恋の話を告白されたのである。自分の半分しか生きていない人間にもめったにない経験があるものだ。彼女の初恋は姉の恋人だったらしく、初めて家に連れてこられた彼氏に一瞬で心を奪われ、一瞬で砕かれたというものだった。ここまでは普通にあり得る話だが、彼女の根性はそれを絶対に家族に知られないようにしてきたということだ。知られてもいいんじゃないかと思ったんだが、一目惚れにのぼせる間もなく姉の惚気話や父母のはしゃぎように悟られてはいけないと判断したようだ。わずか13歳の少女の緊張と頑張りは痛々しく目の下に痕をつけた。そんな時保健室で俺と会ったようだ。俺はあの時の自分を褒めてやりたいと思った。
泣きそうな顔でそれでも泣かない彼女は強い。無口な少女が懺悔のように話す恋心は恐怖に満ちていて痛々しいが、無意識の鈍感さで少なくない男子生徒をなぎ倒して葬り去ったかと思うと面白おかしい。ニヤニヤしているのは隠せないが、人生の先輩として背中は押してやらんといけないな。準備室のカーテンを開けると真っ白な花びらが咲き誇っていた。今こそ春とばかりに。
振り返るとしょんぼりした少女がこちらを見上げ目を瞬かせた。俺の笑顔が珍しいのだろうか。
「自分の気持ちに鈍感にならないといけなかったとはお前らしいが、次の出会いから目をそらすのはやめるんだな」
県外の高校なんて今聞いたから納得だけどな、と笑うと女生徒はこぼれそうなほど目を見開いた。知ってたのかって、仮にも面倒見ていた顧問ですし、担任とも仲良くしてますからね。
調子を取り戻した女生徒は先生の初恋はどうだったのと訊いてきた。絶対言えるか。ごまかす様に女生徒の頭をぐしゃりと撫でた。隈もだいぶ薄くなってるなと言えば手の下でえへへとはにかむ。男子生徒の気持ちが少しわかってしまい腹立たしい。
女生徒の去り際に「お前に彼氏ができたら教えてやる」というと目が光ったような気がした。女って小さくても女なんだな。温くなったココアに口をつけたらはにかむ少女が目蓋にちらついた。
体育会系の青春が学生さんたち目線でありそうですが、理系な部活ってゆるく活動しているイメージなので顧問側から見ているとこんなこともあるかと思いました。




