日本の誤ち~人造人間(前編)~
2500年、日本は急激な少子高齢化に襲われていた。
そこで日本政府は世界で初めて遺伝子組み替えによリ人を作り出そうと試みた。
日本の医療の発達が優れていたこともあった。
これが悲劇の始まりだった。
最初の実験は失敗に終わった。
記者会見を開いた医者は遺伝子の組み替えは良かったが細胞が成長する上で環境が悪いと言っていた。
2回目は何とか人の形になったが、脳が正常に動かず失敗。
そして何度か失敗を重ね、ついに7回目の実験で脳も心臓も正常な完璧な人ができた。
女の子だった。
この後テレビでは7の奇跡と何度も特集を行っていた。
7の奇跡で生まれた子供は幸子と名ずけられ、天皇の養子となった。
それから100年後、2600年に子供が大量生産された。人口が10万人をきったこともあった。
大量生産のかいもあって100万人に人口は増えた。
海外からは賛否両論の意見が出た。
「是非その技術を私の国でも取り入れたい」
「人が産み出してない人はもはや人ではない 」
「日本は人造人間に溺れた。」
など人間を作り出すのに否定する声の方が多かった。
日本は子供を作り続けた。
だがやはり問題が出た。
子供が大量にできたことで育てる親代わりの人手が不足した。そこで政府は児童養護施設を全国に設置した。
まだ問題がある。それは急な人口増加による食料不足だ。これには政府も頭を抱えた。
餓死する子供も少なくはなかった。
だがそんな子供たちが大人になれば日本は安定し始めた。
少子高齢化が解消され若者が高齢者を支えられる時代になった。
そんな時、世界を揺るがす大きな問題が起きた。