*資料室
「あら、久しぶり」
生徒会室を訪れると、草野会長が開け放った窓際で涼んでいた。机に脚を乗せるように座り窓に背を向け、施錠されていない扉に正対しており、どちらかと言えば来客を待っていたような恰好だ。
長い髪をなびかせながら、会長は息を吐いた。
「まったく、いろんな人が心配してたのよ、連絡が取れないって」
「…………」
「清瀬くんの担任の先生や、テニス部の先生、みのりちゃんからも。三日間も一体、何をしていたの?」
僕をきつめに諭す口調だが、口元は穏やかに笑っていた。
「……ちょっとした、リフレッシュです」
「そう」
「それより、きょうは資料室を見に来たのですが、いいですか?」
「もちろん」
そう言って、部屋の奥の右手にあるドアを開ける。古びた紙やインクの臭いとともに、わっと熱気が飛び出してきた。ひどく風通しが悪い部屋なのだろう、テニス部の部室と同じようなものだ。
がっちりと部屋の境目にスクラムを組んだ温気を押しのけ資料室に足を踏み入れると、まず目に入るのは、ファイルをびっしりと並べそびえ立つ背の高い棚だ。部屋をぐるっと一周七台、部屋の中央には背を向けあって四台が配置され、そのほとんどすべてが資料で埋め尽くされている。
会長が扇風機を生徒会室から運び入れてきてくれたので、ついでに訊いてみる。
「これだけのものから、虱潰しに調べると?」
「そう。私もやった。まあ、清瀬くんが見ることでまた違ったものも見えてくるよ」
「何がどのくらい保存されているんです?」
「ファイルの背表紙にあるタイトルを見ればわかるよ。生徒会の新聞と、永正学園の広報、それから永正大学系列校全部に配られている広報の三種類。どれも毎月一部発行されていて、ここでは二十年ぶんを保存しているの。さすがにそれ以上古いものは廃棄しているけれど」
「まあ、それだけあれば充分すぎるでしょう」
カットシャツの袖を肩まで折って捲り上げ、首元のボタンをもうひとつ外して気合を入れる。それを見て、草野会長は部屋を出ていった。
「じゃあ、頑張って。わたしは清瀬くんと会えたことを伝えてくるね、先生たちに言われてたから」
「あ、すみません。お願いします」
適当に謝り、棚と向き合う。図書館で調べたときもそうだったが、さすがに十年前のことを知るには消耗戦を強いられる。
そういう場面での頭の使い方も、僕は慣れているんだ。
最初に、隼太から示されたヒントを探ってみる。
かつて他校で働いていて、現在三十代前半と見える講師が、十年前に永正学園にいた可能性として教育実習が挙げられた。確かに、教育実習ならば他校で働いていたという話には含まれず、かつ部活の活動報告にさっと略式のサインを残すことがあってもいい。
隼太の考えが正しければ、鎌本という講師は永正学園を十年前に教育実習で訪れ、それからしばらく他の学校で美術教師を務めたのち寿退職、最近になってまた稼ぎが必要になり緊急に募集された美術の非常勤講師の職に就いた、ということだろう。
だが、それだと一致しないのが「時期」だ。鎌本先生が事件当時永正学園で実習を行っていたなら、それは夏休みに実習していたことになってしまう。生徒がいないというのに、そんな馬鹿な話はない。
とはいえ、すぐに片付く疑問でもない。とりあえず、十年前の永正学園の広報を見ていくことにした。すると、五月号にさっそく当たりを見つけた。
『非常勤講師の紹介
五月より三週間永正大学より教育実習生として鎌本恵子さんを受け入れることになりました。科目は美術』
ここではごくごく小さい連絡だけを記した記事だが、この時期の生徒会新聞のほうを見てみれば、もっと注目された記事になっていた。二枚のB4用紙を二枚重ねて折った新聞のうち、一ページを占めたものだった。
『教育実習生の鎌本先生にインタビュー!
今月教育実習で永正学園にいらっしゃる鎌本先生に、忙しい中インタビューをさせていただきました! すでに授業を教わった人もいるかもしれませんが、まだ知らない人は仲良くなるきっかけに読んでみてください。
役員:よろしくお願いします
鎌本:はい、よろしくお願いします
役員:さっそくですが、教科は何ですか?
鎌本:美術です
役員:じゃあ、美大の学生なんですか?
鎌本:そうですよ。ここから近い、桜川美術大学です
役員:永正とはどんなつながりがありますか?
鎌本:高校は永正第二高校でした。それと、家が近い(笑)
役員:近いんですか(笑) ここ、永正学園に来たことは?
鎌本:高校時代に部活の合同練習で何度か
役員:部活とは?
鎌本:テニス部です
役員:テニス! この学校のテニス部はもう見ましたか?
鎌本:もう見ましたよ。練習のお手伝いも少し
役員:上手なんですか?
鎌本:下手ですよ(笑) 生徒のほうがハイレベルですし
役員:そんな(笑) ところで、授業はどうですか?
鎌本:やっぱり緊張しますね(笑) でも、みんな真剣なので嬉しい
役員:美術を教えるのって、難しくないですか? 感覚的というか
鎌本:そうかもしれませんね。まだ「見て盗む」って感じです
役員:楽しいですか?
鎌本:もちろん。好きなことが一番
役員:どうして美術の先生を目指したんですか?
鎌本:恥ずかしいですね(笑) 自分の好きなことを、もっと広めたかったんです
役員:そうですよね。そのために高校時代は何をしていましたか?
鎌本:大学に入るための勉強とか、実技の練習とかですよ
役員:大変でしたか?
鎌本:大変だったと思います。大学を意識しますからね
役員:では、同じ境遇にある生徒にアドバイスを
鎌本:ううん、好きなことはやめないで続けて、無理せず頑張ってください
役員:ありがとうございます。これからも頑張りましょう
鎌本:ありがとうございました
忙しい中時間を下さった鎌本先生、ありがとうございました! 素敵な先生です!』
「……この程度か」
読み終えて、つい独り言で悪態をついてしまった。
鎌本恵子の顔写真を見ると、どこか懐かしい雰囲気の顔だった。見たことがあると思った場合に、実際は見ていないのが真実であると相場が決まってはいるが、いやはやまさしく「見たことがある気がする」のである。大学生という年齢、そして人柄ゆえの親近感のせいであろうか。
しかし、これ以上調べても収穫がないと見える。仕方がないので、絞り込む記事を「教育実習」「鎌本恵子」から、「テニス部」に変更した。