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コート・サイド・ラバーズ  作者: 大和麻也
Fault ――嘘――
35/54

♪最後の一球

 試合は忠があと一ポイントを取れば勝ち、というところまで進んでいた。

 コートが入れ替わり、忠は解放された扉からの西日を背に受けて堂々と構えている。反対側では、藤井選手が構えを細かに確認しながらサービスを打とうとしている。どちらも焦りや疲れを見せているふうはなく、いままさに試合が決まりかねない瞬間だというのにまったく動じない。

 後がない藤井選手がトスを上げ、慎重なゆっくりとしたサーブを放つ。忠はゆっくりと構えたが、そのサーブの軌道はわずかにコート内側へ外れた。フォルトだ。

 ううん、と隣で恵子さんが唸る。藤井選手はもう、サーブを外すミスすら許されない。それなのに、本人はまだ余裕綽々の表情だ。対して、忠はここで決めないと負けだと考えているのか、苦々しい表情になる。せっかく落ち着いていたというのに、これがプロとアマとの違いなのだろうか。

 藤井選手がトスを上げる。忠は足を微妙に動かしてじりじりと前進し、それに備える。

 そこからは一瞬だった。

 サーブが打たれるすぱん、という小気味よい音が窓を震えさせたかと思えば、忠が身を投げ出すようにボールに迫り、靴とコートの擦れた不快な音が聞こえた。そして、音もなく黄色いものが忠の背後を転がっていく。

 ボールが転がっているあいだ、音が消えた。

 忠が手をついて立ち上がると、息を切らしながら叫んだ。


「Fault!」



 ――勝った?

 プロに勝った。

 あまりにも驚いてしまい、信じられない。喜びの一声も出ない。それはコートの忠も同じらしく、淡々とネットに歩み寄って行き藤井プロと握手をした。何か言葉を交わしている、約束の通り事件について教えてもらっているのかもしれない。

 最後はダブルフォルト、プロのミスだ。思ったよりも呆気ない幕切れだけれど、結果として忠が勝利を摑むチャンスはそこしかなかったのだろう。そういえば、藤井選手はサービスが苦手だというようなことを忠は言っていた。

 隣であちゃあ、と残念そうに、それでいて楽しそうに漏らす恵子さんを促し、わたしたちもふたりの選手を迎えにコートへ出た。

 重い扉ががしゃりと閉まる音が響くと、ふたりがわたしたちに気がついた。

 勝った選手には似合わず項垂れた忠はよほど疲れているのか、はあ、と大きく息を吐き、興奮するわたしを迎えた。

「すごいじゃん、忠!」

「……ああ、うん」

「はらはらしてたよ、勝てて良かったね!」

 忠はふっと小さく鼻で笑う。激しい動きと緊張とで疲れ切って、ろくに笑いかけることもできないのだろう。それでも、試合に勝ってもクールでいられることはすごいことだし、こういう忠をわたしはカッコいいと思う。

 わたしは、ちょっと恰好つけている忠が好き。

「それじゃあ、ふたり」

 不意に、藤井プロが声をかけてきた。ラケットをすでにケースにしまっており、もう恵子さんと帰ってしまうらしい。

「ぼくたちはここで失礼するよ。ふたりはすごく面白かった、プレイヤーとしても、後輩としても。テニス部復活、頑張ってね」

 そう爽やかに話して、夫婦で手を振ってクラブハウスへ引き上げていった。お礼も訊かずに行ってしまったので、やはり呆気ない。憧れのプロとの別れも、

 改めて、忠と向かい合う。

「おめでとう、忠。恰好良かった。もう、ずっと大声で応援したかったんだよ」

「……ありがとう」

「う、うん」

 忠は足を引きずるように、肩を落としながらクラブハウスへと引き上げようとする。いい加減呼吸は整ってきたようだから、これは明らかに、忠の気分が沈んでいる。勝利よりも大きなショックを抱えているに違いない。

 わっと不安が込み上げてきた。声援を送れないギャラリーの情緒が、再びわたしを締め付ける。忠が何を言われたのか、あるいは失敗したのか――知りたくて、励ましたくて、心配ないと抱きしめてあげたかった。そうしないと、忠が遠くへ行ってしまうのではないかと不安だった。

 その複雑な気持ちが悲鳴となって、ようやく忠に質問をぶつけられた。

「ねえ、忠! 何があったの? 十年前のこと、訊けなかったの?」

「…………」

 黙って行ってしまった。わたしも仕方なく、詮索を諦めて後を追った。

 こういう気持ちを、どう呼ぶのだろう?


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