♪美しくて怪しい
忠がツイストサーブを打つのを見て、悔しいような嬉しいような複雑な気持ちになった。忠はきっと、ツイストサーブを練習したことなどない。その状態で、わたしが個性を手に入れようと練習したサーブを難なく打ってのけた。やはり忠も、遠い世界でテニスをしているのかもしれない。
打てるのにどうして黙っていたのさ、と叫びたい気分だった。
でも、わたしは外野だから黙っていなければならない。そして、外野だからこそやらなくてはならないことがあり、隣にはその手がかりとなる女性がいる。
「きょうはオフなんですか?」
とりあえず、藤井英人の妻と名乗る女性と会話を続ける。この人から話を聞いていけば、そのうち旦那が学生時代どんな事件に出会ったのか、知っていることを話してくれるかもしれない。
一流選手の妻はやはり綺麗な人で、その微笑みも輝かんばかりだった。
「そう、大会と大会の狭間。本当はお盆の時期に帰りたかったのだけれど、大会と被るから仕方なく早く帰ってきたの」
「このあたりが地元なんですか?」
「ここではないけれど、遠くもないのよ。とにかくきょうは、このアカデミーに挨拶しに来たの。この前大会で優勝してきたから」
「へえ! そうなんですか、おめでとうございます」
女子高生の適当な感嘆の言葉にも、素敵な笑顔を向けてくれた。容姿や立ち居振る舞いだけでなく、心まで美しいのだろう。憧れる。
わたしに対して不信感は抱いていないようだから、多少強引でも、もう少し踏み込んでみる。
「わたしと忠、英人さんと同じ永正学園の生徒なんです」自分なりに最も魅力のある笑顔を浮かべてみた。「わたしは始めたばかりで、テニスにはそこまで詳しくないんですけど、英人さんの話は先生たちからよく聞きます」
「あら、そうなの。親近感が湧くわね」
「奥さんは――」
と呼びかけると、遮られた。
「呼びにくいでしょ、下の名前で呼んでいいわよ。私、恵子っていうの」
「あ、じゃあ、恵子さん」気軽に名前を呼ばせる心の広さに、わたしの心はさらに引き寄せられていった。「恵子さんは、高校時代の英人さんも知っているんですか?」
「ええ、もちろん」
お、期待ができそうだ――そう思ったら、それ以上の回答が重ねられる。
「英人とは、ちょうど高校時代からの付き合いなのよ」
「そ、そうなんですか!」
一途な恋に憧れる少女を装い、大袈裟に驚いて見せた。オーバーリアクションにも、恵子さんは笑顔を絶やさない。
それにしても好都合だ、藤井夫妻が高校時代に出会っていただなんて。とても魅力的だから見た目から年齢を摑みにくかったが、ひょっとすると藤井選手と同級生か少し上くらいではないかと思っていたのは正しかった。この話なら恵子さんも十年間の事件を知っている可能性だって高い。
わたしは声を低くし、慎重に相手を窺いながら話した。
「なら、聞きたいことがあります。わたしたち、実は十年前に永正学園でテニス部が廃部になった原因を調べているんです。英人さんがそのころ永正学園の生徒で、テニス部の部長だったことは調べがついています。だから、……わたしたちに協力してくれませんか? 恵子さんの知っていることを、教えてほしいんです」
魅惑の妻は表情をわずかに変えた。穏やかな微笑みが、コートのプレイヤーたちを懐かしむような優しい微笑みに変わったのだ。その表情で、わたしを鎮める。
「ごめんね、そのころの英人、すごく悲しい思いをしていたの。私たち夫婦にとっては禁忌、もう絶対に思い出したくないタブー。テニスを高校生がはじめてくれるのは当然嬉しいから、協力したいのだけれど、勘弁してもらえないかな?」
「…………」
いまさら気がついたが、この人は一度もわたしと目を合わせなかった。
無神経なことを訊いてごめんなさい、などと素直に謝らないほうがいい。図々しく、さらにカマをかけてみる。
「何か、隠していません?」
「…………」
静かに肩を竦めた。子供をあしらっているつもりらしい。
笑顔の奥には、確かに隠した何かがある。
一面では、この女性はわたしに似ているのか――
「さ、ゲームが進んでいるわよ」
恵子さんに話を切り上げられ、気持ちを切り替えてコートに目を戻した。