♪憧れの先輩
お昼ご飯を食べ終え、テニスコートでウォームアップを始めた。
きょうレッスンを受けるのは、ざっくり数えて十五人ほどらしい。テニスアカデミーには何度も来たことがあるが、そのときレッスンはひとりのコーチ当たり四人か五人だったから、きょうは特別なのだろう。
コートは屋内。五つも並んでいるそれぞれがネットで仕切られていて、わたしたちはクラブハウスと接したコートでプレーすることになっている。しかも、同じ大きさの建物がふたつあるからすごい。レンタルで借りられるのは外に四面あるコートだから、屋内を使うのは初めてである。
足元は学校のものと同じで硬い。レンタルコートでは、人工芝に細かなきらきらとした砂が敷かれていていた記憶がある。忠にそれを話したところ、
「インドアコートはハードコートだね。衝撃が大きいから、足腰が疲れるコートだよ。まあ、学校で使って慣れているから平気だよね。
外のはオムニコートって言って、日本やオーストラリアくらいでしか普及していない稀なコートだよ。このスクールは少し古いからね。足腰への負担は少ないし、整備が簡単なのがいいところ。球足はやや遅くて、跳ねにくい。クレーコートほどではないけれどさ。これがまた滑るんだよ」
とたくさん喋っていた。結局よく解らない。
そのうち、拍手が湧く。クラブハウスから続くドアが開かれ、スタッフに導かれた藤井英人が現れたのだ。
背が高く体格も逞しい。それでいて、白いウェアが似合う爽やかな人だ。忠のような部分もあれば、正反対の部分もある――何だか面白い。
その藤井選手は、アカデミーのスタッフがたくさんの参加にお礼を述べたあと、緑色のラケットを胸で抱えながらにこやかに話した。
「きょうは午前に小さい子たちのレッスンを見たんですが、すごく上手で驚きました。今度の部も大半は会員の方なんですよね、きっとぼくからは何も教えることはないと思います。教わる側にもなりつつ、一緒に楽しみましょう」
改めて拍手が送られた。
参加者のウォームアップが充分だとわかると、さっそく各々ラケットを握ってコートの中央に列を作った。コーチが投げるボールを打ち返し、軽いストロークの練習をするのである。忠はわたしの横、藤井選手はなんとわたしの後ろ、列の一番後ろに並んだ。
みんな上手いなあ、と思いつつ自分もラケットを振る。しかし、後ろがプロ選手だと意識したせいか緊張して、ついつい飛ばしすぎてアウトになってしまう。横の忠に言い訳しようかと思ったら、後ろから肩に手を置かれる。
「力みすぎ。確かにボールはやや短かったけど、前進しなくてもいいところだったよ」
プロからのアドバイスだった。かっと頬が熱くなる。
忠を見ると、羨ましいのか複雑な表情をしていた。
続いて、ついにプロの一打。確実にゆっくりとスイングして、綺麗に山なりな打球が真っ直ぐ飛んで行った。これはこれですごく美しいし、朝飯前だと見せつけたようで格好良かったのだけれど、ギャラリーからはつまらないと漏れる。
仕方なく、藤井選手はコーチにもう一球頼んだ。コーチのほうも楽しそうに承諾し、素手で打ちやすいところに放り投げられる。プロは細かくステップして、ベストな立ち位置を整えると、ぐっと軸の右足を引き、体を前に戻す勢いでラケットを振り抜く。
すぱん、と空気を切る音が響くと、黄色いふさふさはネットすれすれを駆け抜けていった。
ああ、わたしとは違うんだ――憧れと羨ましさと、少しの悔しさに、真夏の肌が震えた。