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コート・サイド・ラバーズ  作者: 大和麻也
Fault ――嘘――
29/54

*心躍る昼下がり

 日曜日になってしまった。

 月曜日以降、ずっと生徒会室が会議に使われていて、僕は事件を調べる術を失っていた。なんとなく一週間も過ごしてしまい、とても惜しい。みのりのほうも収穫がないらしく、何も報告してくるふうはない。

 とにかく、きょうは楽しむのが一番だ。

 藤井英人と同じコートに立つことができる。

 あわよくば事件のことを質問してみたいものだが、それが叶わなくともいちテニスプレイヤーとして心躍ることだ。間近にプロのショット――まして世界で通用する実力を持ちはじめた藤井英人の強烈なストローク――を見ることができるまたとないチャンス、何かを盗んで帰りたいものである。

 さて、僕たちがアカデミーへ行くのは午後二時だ。午前中はアカデミーのテニス教室の受講生向けの時間だから、いまごろは未来ある小中学生が指導を受けているのだろうか。僕たちが参加するのはそのレッスンを一回だけ受ける形で、藤井英人が公式にやって来る企画ではないらしい。ボランティアなのだろうか?

 みのりとは午前十一時ごろに駅前で落ち合った。早めの昼食を一緒に取ろうと話していたのだが、みのりと来たのが間違いだった。

 目の前で、味噌ラーメンが湯気を上げている。

 運よくオーダーの組み合わせがたくさんあったので薄味かつあっさりした調理をしてもらったが、午後までに腹が落ち着いてくれるか不安だ。当のみのりにはそのような心配が皆無のようで、替え玉よりも半炒飯が安いと見つけると、ご機嫌で注文していた。

 熱いスープを啜ると、

「ねえ、忠」

 小首を傾いだみのりが訊いてきた。かわいい。

「その、藤井……」

「藤井英人」

「そう、藤井英人。その人って、どういう選手なの?」

 そういえばみのりは藤井英人のことはほとんど知らない。

「藤井英人と言えば、ここ数年で活躍しはじめた選手だね。二十七歳。右利き、バックハンドは両手。得意なサーフェスはクレー。世界ランクはまだまだ三桁だから、グランドスラムにはなかなか縁がなかったんだけど、前のウィンブルドンで二回戦に進出したことで一躍有名になったんだ」

「ううん……大会のことは知らないから、プレイスタイルとかは?」

「そうだね、日本人プレイヤーにしては珍しいのかな? パワーとスピードで勝負していくタイプ。ラリーに持ち込もうとしてもほとんどのリターンでウィニングショットを狙ってくるから、試合の展開に上手くハマればかなり強いタイプなんだけど――ファーストサーブの精度が低いことが得点力を下げているらしい」

 へえ、と関みのりは心があるのかないのか曖昧な返事をすると、一言。

「忠と正反対だね」

 ――む。

 僕は自分のテニスの流儀を話したことはなかったはず。でも、確かに僕は一打の強さやボールに先回りする速さに自信はなく、テクニックと持久力を売りにしたいとは密かに思っている。それを、みのりは見抜いていたのだろうか。ほんの少しの期間ともにプレーしただけで、みのりはほとんど知識のない素人だというのに。まして、言葉で伝えられた藤井英人のスタイルを、僕のスタイルと比べることができるだなんて。

 スポーツをはじめ感覚的なことに関しては物覚えのいいみのりだ、こういうこともあるだろう。ひょっとすると、『サービスしましょ』で勉強しているのかもしれない、そういうところでは妙に硬派なアニメだ。

 みのりは質問を重ねる。

「そんな忠が、どうして藤井英人のファンなの?」

「そうだね……やっぱり期待の日本人選手が出ると応援したくもなるよ。いま世界ランクトップの選手もダイナミックさが売りの選手だから、期待もしちゃうよね」

「憧れる?」

「ううん……そうかな」

 ふうん、とみのりは最初から関心がなかったような返事をした。かと思えば、炒飯をひと口食べたらまた顔を上げて訊いてくる。

「永正学園が藤井英人の出身校だって、知ってたの?」

「それは、受験するときに?」

「うん」

「知ってたよ」

「そのテニス部がないことは?」

「知ってたよ」

「なら、どうして受験したのさ」

「そりゃ、設備や環境を気に入ったからさ。みのりだってそうだろう?」

 聞き返されるとは思っていなかったのか、少し間を開けてこくりと静かに頷いた。そして、スープをひと口もったいぶるように啜る。

 こんなとき、草野会長のように仕草や表情から心の内を読み取る鋭さが欲しいものだ。みのりのことなら何でも知っていると豪語したいものだけれど、人の心である以上理解しきれない領域はある。本当に摑めるようになるまで、邪推はしたくない。

 僕の器が空になり、みのりも間もなく食べ終えるころ、みのりはもう一度上目で僕を窺いながら尋ねてきた。

「テニス部がないって解ってて、どうして永正学園にしたの?」

 常に朗らかな口調のみのりだが、いまは少し声を絞って低い声だ。

「どうしてって、いま話したじゃないか」

「そういうことじゃなくて……忠は中学のころよく大会にも出てたらしいね。けれど、わたしは三年で仲良くなってから、忠がテニスに打ち込んでいるところを見たことがないの。だから、辞めたかったのかと思って」

「…………」

「わたし、また飽きちゃうかもしれないよ? いいの?」

「Ignorance is bliss」

「……へ?」

「事件のことは全部解き明かすって決めたじゃないか。それに、きょうは固いこと考えず、テニスを楽しもうよ」

「……うん、そうだね」

 みのりは明るく笑った。懐かしい、いつもの笑顔。

 相手が草野会長だったら、何と言って皮肉られただろうか。


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