♪突然の雨
「熱中症で生徒が死んだ?」
そんなバカな。
わたしは驚いて、八月のその項目を何度も読み返してしまう。でも、第三の生徒が死んだので間違いはなさそうだ。どう読んでも、永正学園の生徒が死んだと読み取れるようには書かれていない。
「この前、みのりが話していたよね?」愛佳はわたしの反応が意外だったのか、あまり気持ちのこもっていない声で話す。「部活中に生徒が熱中症で死んだって」
「そ、そうだけど……これは第三でのことだよ」
「偶然……ということもなくはないか」
摑み始めた事件が最初から間違っていて、永正学園の事件ではなく、第三での事件だったということなのか? いや、そうは思いたくない。
「関係があることなのかな? もしあったとしても、第三で人が死んだのに、どうして永正学園のテニス部が廃部になるんだろう? 第三にはテニス部があるんだよね?」
「テニス部はあるよ。まあ、解らないならもっと他の本も参照してみなよ」
愛佳に提案されて、最も詳しく書いてありそうな本を探す。といっても、永正学園についての本はないため、仕方なく『永正八十年史』を棚から引き抜く。永正大学をはじめ永正系列の学校すべての歴史が書かれているぶん、ひとつひとつの事柄は詳しく書かれていない。十年前のページも読んでみたけれど、これといった情報は見つけられなかった。
それにしても、死亡事故が起きたというのに取り扱いが小さすぎる。それを無意識にぽつりと独り言にしていた。
「少ないね」
「そうだ、前後の年のページを見せて」
愛佳の言うとおりに、第三高校創立二十六年の前後三、四年のページをめくって見せた。すると、愛佳が突然やっぱりと呟いた。
「何が『やっぱり』なの?」
「ないんだよ、死亡事故が起きたのに」
「だから、何がないの?」
「裁判」
「あ」
そうだ、学校で生徒が死んだのならその両親はまず間違いなく学校や担当教師を訴えるはず。苦い歴史とはいえ、大小はともかく勝敗や対応くらい書かれているべきだ。書かれていないとすれば、両親が訴えなかったともとれる。でも、訴えないのはなぜか?
自分の子供が死ぬ、とても悔しくて悲しいだろう。そして、死んだのはきっと学校のせいだと裁判で賠償させようという流れになる。反対に、そのような流れにならないとすれば、生徒の死は学校の責任ではなかったのかもしれない。とはいえ、そんな条件は考えにくい。なぜって、死因は『熱中症』とはっきりあるのだから。
ダメだ、さっぱりわからない。
「愛佳、わたしには無理だよ」
「な、みのりが見てもわからないか」
「忠が見ればよかったのかなあ……」
「清瀬は中学の制服を着ても誤魔化せないね」
「そういうことじゃないって! とにかく、収穫はなし、だね」
「そうか、みのりでもわからないのか……」
愛佳はしつこく、わたしが理解できなかったことを繰り返していた。
恥ずかしい思いをして中学の制服で第三に乗り込んだのに、わかったことは、死んだのが第三の生徒だということだけ。せめてもう少し情報を得るために、愛佳に死んだ生徒について調べてくれるようお願いし、約束した。
地元の駅に戻ってくると、空は真っ暗になっていた。夏とは思えないほどに空気が冷たい、もうすぐ通り雨が降るようだ。
中学の通学路でもあった駅前の道を五分ほど歩くと、思ったとおり雨がばらばらと降り始めた。念のためにと持ってきていた折り畳み傘が役に立ち、傘を持っていなかった愛佳と相合傘をして帰った。
商店街の顔見知りの人たちに、相合傘や中学の制服をからかわれて頬を熱くしていると、ばしゃばしゃと誰かがわたしたちの脇を結構な速さで走っていく。強い雨の中で走れば当然水が跳ねて、わたしや愛佳の足を冷たくする。
「ひゃっ」
小さく悲鳴を上げると、走っている人も申し訳なく思ったのかちらりとこちらを横目で見る。傘を忘れたせいで走って家に帰ろうとしていたのかもしれない、びしょ濡れになったその人は――
「あ、忠」
「みのり?」
肩を上下させながら、忠は足を止めてこちらに向き直る。
「それに、西も」
水滴のついた眼鏡を通して、忠と目を合わせる。
「うん、愛佳も一緒。わたし、きょうはね――」
と第三に行ったことを話そうとしたところ、忠が目を合わせてくれていないことに気がつく。いや、目は合っているけれど、わたしの話を聞いているようには見えない。雨に打たれるがまま口を半分ほど開けてぼけっとした表情は、普段の忠なら見せるはずのない表情だった。
それを見て愛佳も気になったのか、忠に声をかける。
「おい、そんなに濡れたら風邪を引くぞ。いまは急いで帰って、みのりには後で連絡すればいいじゃん」
ああ、うん、と忠は力なく声を漏らし、呟く。
「その恰好――」
忠の視線がわたしの制服に向く。
「こ、これは、その……」
「いいや、別にいいんだ。うん、またね」
と言って、適当に手を振って忠はまた走りだした。
忠が薄暗い雲へと続く商店街の道を去って行ったのを見送ると、愛佳はぽつりと呟く。
「変なの、みのり相手にしては素っ気ない」
「うん……」
寂しい。
「あ、みのり。あたしばっかり傘に入れなくていいよ。清瀬はそれを見ちゃったんだ」
「へ?」
「セーラー服が濡れて、透けてる」
愛佳の冗談は、あまり面白くなかった。