*気になる人物
みのりにはランニングと言ったが、実は嘘だ。
部室に入って調べものがしたかったのだ。鍵はコートのものと一緒に束ねてあったから都合がいい。この部屋で調べるのをみのりは嫌がるだろうし、かといって来るなと言えばついて来たがるだろうから、嘘を言ったほうがこの場合スムーズだった。
扉を閉める。おととい空気を入れ替えたとはいえ、相変わらず入った途端に襲ってくる熱気と臭気に殺されそうだ。
さて。
まず調べたかったのは、本当にこの部で人が死に得るのか。
保健室で対応できることは前提だが、それ以前の応急処置はこの部室にあるもので済ませたいはずだ。テニスコートは永正学園の中でも辺境というべき敷地の端にあるのだ、保健室に運んでいると時間がかかってしまう。熱中症で人が倒れたなら、部室はテニスコートから最も近くて環境のいい暗所である。
担架は……なさそうだ。まさかベンチで代用しようなどと考える強者はおるまい。
そして、冷房、空調も設置されていないようだ。天井を見れば据え付けの扇風機が部屋の四隅についているが、決して充分とは言えないだろう。そもそも、部屋の気温を快適にする設備はこの扇風機と、部屋の隅でほこりを被っている古臭い電気ストーブくらいしか見当たらない。
窓を見る。窓はテニスコート側、つまりドアのある側の一か所にしかない。部屋の右手と左手に二枚の引き違いの窓があるのみだ。これらを開いても、同じ向きにあるのでは風通しが良くなるとはあまり思えない。扇風機を回してもいまひとつだろう。
いまとなっては、両方の窓がテニス部の消えた十年のうちに悪漢どものイタズラで割られてしまったらしい。ガラスはすべて抜かれ、ベニヤ板が張られている。
む?
ベニヤ板、二枚でその古さが違うらしい。左手の窓のほうが傷んでいる。いや、単に窓が割られて塞がれた時期がずれているだけだろう。
また、永正学園のコートはハード。ハードコートは熱を逃がしにくく、地面からの熱と猛暑とを合わせれば、体感気温は耐え難いものになろう。
とりあえず、調べたかったことのひとつは理解した。
この部活、死ねる。
次に、更衣室へ移動する。女子更衣室へ失礼し、件のロッカーを観察する。
『ドウシテ 殺シタノニ』
改めて見ても、文面が変わろうはずもない。ロッカーに横書きで彫られて、いや、削られているとするべきか。一部は貫通するほど力を入れていて、文字は右上がりだからおそらく右利きの人間が刻んだのだろう。
果たしてどういった意味があるのか? 十年前のもの考えていいのだろうが、事件に際してできたものとすると、彫ったのは熱中症事件の被害者と親しい人物。顧問の処分が不当だとでも思ってこのような文面を? ……しかし、だとしたら誰のロッカーに彫ったのだ? まさか自分のロッカーに傷をつけたとは思えない。
単純に考えれば右利きの男となるが、場所が女子更衣室だ。一体誰に向けて、何を訴えるために?
刻んだ人物の姿も、動機も、さっぱり理解できない。
ロッカーの文字列の解読は諦め、再度、ミーティングルームに戻る。部の活動報告を探したいのだ。
少なくとも、顧問も含めた名簿くらいは見つけたい。十年前の部員に会おうなど到底できないことだから諦めているが、さすがに名前くらい知っていたほうが記事を探すにしても見当がつけやすい。
幸いにして、それらしき棚はすぐに見つかった。
棚のガラス戸を開こうと試みる。しかし、がたがたと音を立てるばかりで開きそうにもない。見ると鍵があるらしく、テニス部関連の鍵の束から使っていない鍵を試すと、その鍵を開くことができた。それからほこりを払えば、やっとのことでガラス戸は横に動いてくれた。
ひとつ、ファイルを手に取ってみる。背表紙のタイトルには『活動報告テニス部』とあり、十年前の年度が書かれていた。
適当なページを開いて活動報告を見ていくと、顧問による確認の欄に『牧川』という判が押してある。ときどき『シノハラ』とボールペンで書かれているのは、外部に依頼したコーチだろうか?
そしてもうひとり、顧問の欄に気になるサインを見つける。
『鎌本』
美術の鎌本先生のことだろうか? 岡田先生がテニス部について考えているとき、十年前に不祥事があったことを引き合いに出して断念させた、美術の先生――いや、講師だったか。
やはり、十年前のテニス部に関与していたがゆえに、岡田先生を止めようとしたのだろうか? いつか接触しなくてはならない。
ファイルの先頭のページを見る。そこには連絡網も兼ねた名簿が入っている。思ったとおり、当時のテニス部は一、二年生の男女合わせて四、五十人ほどの大きな部活だった。
む?
顧問のところには牧川の名のほかに久内、熊田という名前が見られる。いずれも現在の永正学園では聞いたことのない先生だ。それはいいのだ、退職や転職は仕方があるまい。しかし何よりも、鎌本の名前が顧問の枠に見当たらないのだ。顧問ではなかったというのか? だとしたら、なぜサインを書き込んでいたのだろう?
検討課題だ。やはり鎌本先生について知るべきだろう。
そのまま、顧問の枠から視線を下に移動させる。指導員というところに篠原とあるから、さっきのボールペンのサインはコーチで間違いない。
そして、それら首脳陣といえる面々から連絡の順番を示す線が伸びていく。その先頭の枠、一番目の生徒の枠には「部長」と添えられている。部長の名は、僕にはうっすら予想ができていた。
十年前の永正学園高校。当時のテニス部部長、時期からしても立場からしても、きっとそうなのだろうと思っていた――
二年C組 藤井英人