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クリスマスケーキ

 雨の降る夜の事だ――。

 杉山コウタは白い息を吐きながら、洪水のように流れてくる車の波に立ち向かっていた。

 「しばらくお待ち下さい!」

 誘導灯を大きく振って、一方から来る車をせき止める。残像がまるで、赤い橋を架けるように宙を舞った。

 今年もあと一週間で終わるというのに何という忙しさだろう。いくら働いても楽になる気配がない。妻もいる、子どももいる。疲れていても具合が悪くても、休むわけにはいかない。立ち止まることは許されない。お金はいくらあっても足りないのだ。

 「バカヤロウ! なんであっちが優先なんだよ!」

 「すみません! すぐ交代しますので」

 鼻声でうまく出てこない声を、叫ぶように絞りだす。

 たまの休みは家族サービスか、死んだように眠って過ごす。ここ数年で、やりたいことは無くなった。

 いや、考えないようにしているというのが正しい。

 学生の頃は詰将棋などに一時凝っていたものの、今となっては時間も無いしヤル気も起きないのだ。考えるだけでストレスが溜まる。

 父親の役目はとにかく稼ぐこと。自分の時間を削り、家族といる時間も削り、命を削り……。

 そうやって、みんな必死に生きているんだ。仕方のないことだ。それが普通なんだ。

 コウタはそう自分に言い聞かせて、凍てつく夜に誘導灯を必死に掲げた。


 「わぁ、サンタさんだー」

 家族連れらしい車の窓から、十歳くらいの女の子が手を振っているのが見えた。

 「……」

 コウタは寒さと疲れで強張った顔のまま、機械的に手を振り返す。

 そういえば今日はクリスマス・イブだったな。

 今日はいつもの警備員姿ではなく、会社から支給されたサンタ服を着ていた。

 ――サクラと同じくらいだろうか。

 ふと、誘導灯を持つ手が止まった。

 『お父さん、クリスマスはゲーム機が欲しい』

 『ダメだ。高すぎる。それにサクラはもうサンタの正体知っているんだからプレゼントは無しだ』

 『えぇ~! じゃあ……クリスマスケーキは? 一緒に食べれる?』

 『そんなの……お母さんに聞きなさい』

 『お母さんはお父さんに聞きなさいって言ってた』

 『……』

 何がお父さんに聞きなさい……だ、ばかやろう。

 つい先日のやり取りを思い出し、なんだか無性に腹が立った。

 年末にかけて、かけこみ工事があちらこちらで行われるのは毎年の事だ。

 そのため十二月はいつも休みがない。家族でクリスマスパーティーを開くなんて、子供が生まれてからも一度も無かった。

 分かりきっていた事じゃないか。お父さんは仕事だって。

 なのに……妻といい娘といい、俺が食べられるはずもないクリスマスケーキを『お父さんに聞きなさい』だと?

 仕事場でこき使われ、家に帰れば妻と娘の小間使い。そのうえ家族は、自分の事など大して気にしていないらしい。

 自分は何のために働いているのか、何のために生きているのか、答えの出ない難問が、疲労で凝り固まった頭を占拠する。

 コウタの指から誘導灯が落ちそうになる。

 「つまらない世の中だなぁ」

 レインコートに当たる雨音が、急に存在感を増してくる。

 もうどうでもいい。そんな考えが頭をよぎった時だ。

 「杉山さん、お疲れ様です!」

 誰かが後ろで呼ぶ声がした。

 「よお、高橋……お前今日シフトだっけ?」

 後輩の高橋だ。後輩とはいってもコウタより少しあとに入った派遣社員仲間である。

 高橋も、サンタの格好をしていた。

 「班長から杉山さんの代わりやってくれって頼まれちゃって……あ、でも気にしないでくださいね、ボク、暇なんで」

 「ちょっと待て! なんだよその、俺の代わりって?」

 「班長はまだ事務所に居ましたから、直接聞いてください。ボクはただ頼まれただけですから」

 「頼まれただけってお前……だって、今日デートって……」

 いいから、と、高橋に背中を押されるまま、コウタは自分の原付に跨る。

 「ああそれと……ごちそうさまでした」

 わけがわからないまま、コウタは事務所へと向かった。

 シフトの交代なんて珍しいことではない。ただ、自分の知らないところで勝手に交代されるということは今まで無かった事だ。

 ――もしかして自分は用なしということなのでは。

 嫌な考えが頭を過った。


 事務所のドアを開けると、班長が難しい顔をして座っている。

 「あの、班長……」

 「杉山。ちょっとこっちに」

 ため息混じりの班長の声に、一層不安が募った。

 「杉山、あれを見ろ」

 班長が指をさす先には白い箱。中を開けると、何も入ってはいなかった。

 「なんですか? これ」

 「サクラちゃんからだ」

 班長の言葉に、コウタの心臓が大きく跳ねた。

 「さっき、君の奥さんが見えてな……きっとお父さんと一緒には食べられないからって。サクラちゃんが作ったのを、届けてくれって、せがまれたんだってよ」

 まさか……サクラが? まだまだ子供だと思っていたのに……あいつ、ケーキなんか作れたのか?

「事務所のみなさんで食べてくれって言われたもんだから、悪いとは思ったが溶ける前にみんなで分けさせてもらった」

 「……そうですか」

 「なんだ、怒らないのか? 全部食べちまって」

 「いえ、別に……」

 コウタの頭は混乱していた。もしかしてクビになるのかと心配していたらサクラがケーキを差し入れ? 一体何が起きているんだ。何なんだこれは。

 事務所の中は暖房が効いていて暖かい。考えを整理しようと必死に頭を動かそうとするも、突然の事で思考回路がうまく働かない。

しばらくの沈黙――ラジオからはジングルベルが流れている。

 「あのなぁ」

 大きなため息とともに、班長が口を開いた。

 「君はとてもよく働いてくれているし……命がけで仕事に取り組んでいるのも分かる。けどな、命に代えて仕事をして欲しいとは思わない。どういう意味か分かるね?」

 「ええ、もちろん、いつも死なないように気をつけています」

 「そうじゃなくて」

 班長は頭を掻きながら続けた。

 「君は何のために生きているんだ、と聞いているんだ。働くために生きているというのなら別にいい。この話は終わりだ。でもそうじゃないだろう。生活のために仕事をしているのだろう? 自分のため、子供のため、愛する奥さんのため。生きるため人生を良くするために働いている、違うのか?」

 「はぁ、そうです……けど」

 「分かっている。確かにこのご時世厳しいからな、卵が先か鶏が先かではないが、働くために生きているような気になってしまうのも仕方がないかもしれない。だが、忘れるなよ、君のことを、君自身以上に心配してくれている人たちがいるということを」

 班長はポケットから手紙を取り出し、コウタに渡した。


 <お父さんへ。 むりしないでね。ゲームはがまんする。 サクラより>


 手紙を持つコウタの手が震えた。

 「かならず家に帰すからと言って、ケーキの半分は持って帰ってもらったんだ。悪かったな。みんなで全部食べたなんて嘘言って。ちゃんと残っているから安心してくれ」

 初めて班長がニヤリと笑を浮かべる。

 「奥さんも心配していたぞ。うちの人、働き過ぎではありませんか? って……。まるで俺が労基法守ってないような誤解が生まれているじゃないか。ちゃんとその辺も話し合ってくれよ」

 「すみません……」

 「そういう訳だから、今日はもう終わりにして帰りなさい」

 「でも! ……そうは言っても働かないとお金が……」

 「たった一日、いや、たった数時間働かなかっただけでどうにかなってしまうのか? 君のことだ。このサクラちゃんの欲しがっているゲームも買ってあげるつもりだったんだろう。なぁ、杉山! 耳だけそっち向いてりゃいいってもんじゃないぞ、ちゃんと目を開いて前を見ろ! お前の娘が、家族が欲しがっているのが、本当は何なのか」

 コウタは、確かにサクラにねだられたゲームを買ってあげるつもりだった。クリスマスには間に合わないかもしれないけど、稼いで、買ってやる。それが男親の努めだと信じていた。

 でも、そのゲーム機をねだった本人が我慢すると言っている。それだけじゃない。自分の事を気遣ってくれている。

 「俺らのところはもう子どもは独立しているし、高橋は独り身だ。だから気にするなよ。今日くらいは一緒にケーキを食べてやれ」

 そして班長は後ろを向き、家族を寂しがらせるなよと言って手を振った。

 「……まぁ、もしどうしてもというのなら、給料前払いしてやってもいいけどな?」

 さっきまでの威勢のいい声とは反対に、班長は頬のあたりを掻きながらポツリと呟いた。


 コウタが玄関のドアを開けると、家の中は静まり返っていた。

 居間には妻のヤユヨがテレビの前に座っている。

 「どうしたんだ、電気も付けないで」

 「節電しているのよ。ちりも積もればといいますでしょ?」

 すくっと立ち上がると、ヤユヨは冷蔵庫から食材を取り出して素早く鍋に火を付けた。

 「ご飯はまだですよね。すぐできますから」

 「あ、ああ……職場にケーキ持ってきてくれたんだってな。ありがとう」

 「あの娘、どうしても持って行ってくれって聞かなかったんですよ」

 「サクラは……もう寝たのか?」

 「ええ、早く寝ていい子にしてたらサンタさんが来てくれるかもしれないって言って」

 さすがにこの時間だ、急いで帰ってきたけど間に合わなかったか。

 コウタは罪滅ぼしにと買ったプレゼントをカバンから取り出した。

 「なんだあいつ……サンタの正体知っているくせに」

 コウタの言葉に、ヤユヨはフフと笑い、勿体ぶるように口を開いた。

 「私も同じ事言ったんです。そしたらあの子、だからいいのよって言うんですよ。いい子にしていたら、お父さんが早く帰ってきてくれるかもしれない……もしかしてもしかしたら、プレゼントまで買ってきてくれるかもしれない……って」

 「……そうか」

 居ても立ってもいられなくなり、コウタは立ち上がりサクラの部屋を覗いた。サクラは掛け布団を蹴っ飛ばし、お腹を出して眠っていた。

 コウタは布団を掛けてやりながら、手紙のことを思い出していた。

 まだ十歳の癖に生意気なやつだ……いや、もう十歳、なのかな。

 目を離したら、その一瞬で成長してしまう。気がついたら自分の手から離れて行ってしまう。子どもとはそういうものなのだ。頭の中では分かっていたつもりだった。しかし、サクラの寝顔を見て、やっとコウタはその言葉の意味を実感したのだ。

 起きてしまわぬよう、枕元にそっとプレゼントを置き、身を翻す。その時――

 「サンタ……さん」

 「おっと、ごめん、起こしてしまった……」

 突然の声に、コウタが振り向くも、サクラは寝息を立てていた。

 寝言か。あいつめ、サンタの正体を知っているくせに夢ではしっかりサンタの夢を見ているじゃないか。

 可笑しくなって、コウタはこみ上げてくる笑いをこらえながら部屋を出た。


 「これ何―!?」

 明朝、サクラの声が杉山家に響き渡る。昨日枕元に置いたプレゼントを手に持って、居間に飛び込んできた。

 「何って、それは将棋だろう?」

 「そう……だよねぇ」

 大げさな身振りでがっかりして見せるサクラに、コウタが口を開く。

 「将棋だって立派なゲーム機だろう? どれ、一つ教えてやろうか」

 コウタの言葉にサクラの表情が明るくなる。

 「お父さん、今日はお休みなの?」

 「今日はサクラを将棋でコテンパにしてやろうと思って休みにしたんだ」

 挑発的な言葉に、鼻を鳴らすサクラ。

 「ふっふーん。じゃあいっちょ相手してあげましょうかねー」

 「その前にサクラ……何か言うことは?」

 「へ?」

 「プレゼント、もらったら何か言う事あるんじゃないのか?」

 サクラはしばらく間をおいて、照れながら呟いた。

 「プレゼント、ありがとう……」

 「よろしい。それじゃあまず将棋というのはだな……」

 「ちょっと待って! お父さんも、何か忘れているんじゃない?」

 サクラは目を細めてコウタの事をじっと見やる。その姿に、コウタも大切な事を忘れていたことに気がついた。

 「ああ……ケーキありがとう。美味しかったよ」

 「ほんと? よかった! お母さん! ケーキ美味しかったってぇー!」

 台所に立っているヤユヨに向かって親指を立てて見せるサクラ。

 注意したつもりが逆に注意されてしまった。

 子どもというのは本当に目を離した隙に大人になってしまう。

 「……と、ケーキの話聞いたらお腹空いてきちゃった」

 ――それに、いい子に育ってくれて本当によかった。

 ほとんど家を開けっ放しだった自分に代わり育ててくれた妻にも感謝しなければなるまい。

 感慨に浸るコウタを尻目に、サクラはヤユヨにケーキをリクエストしている。

 「もう無いわよ」

 「はぁ? どうして!? 昨日半分持って帰ってきたでしょ?」

 「それはお父さんが……昨日食べてしまったもの」

 コウタは背中に冷たい視線が突き刺さるのを感じた。

 「いや、だってあれお父さんにあげるって作ったやつ……だろ?」

 「あんなにあったんだよ!? 一人で食べるなんてありえない! だから太るんだよ! ちょっとは加減というものを分かってよねぇ太っちょお父さん!」


 ……前言撤回! こいつはまだまだ教育が必要だぞ。


 それから杉山家では、コウタの唸り声と、サクラの甲高い「王手」の声が毎日のように続いた。


おわり


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