第2話 涙の理由 ①
零次がエフィーナと出会ってから一週間。
その日から二人はデバックルームを介してのアバター調整を行っていた。
最初はめんどくさがっていた零次であったが、後々にアバターの微調整の大事さというものを身を以って知り、今では二人一緒になって真面目に取り込んでいた。
二人は学園に手続きを済ませて、専用のデバックルームを用意してもらうことが出来た。
デバックルームは通常、毎度手続きを行う必要があるのだがある程度成績を収めているサイバーズであれば特別に専用ルームを用意してもらえるという制度があった。
零次も該当はしていたが、プログラムの知識が皆無だった為にそんな制度があった事すら知らなかった。
VR空間上、体育館のステージで零次はひたすら素振りをしていた。
拳を突き付けたり、足を振り上げたり、ステップを踏んでみたりと様々な動作を行ってアバターの感度を確かめる。
『どうですか?』
「んー、まだちっと腕の動作に違和感がある。 なんつーか、ちょっと重い感じがあるんだよな」
『ちょっと見てみますね……あ、もしかしたらこのロジックが問題かもしれないです。 ちょっと直してみますから待っててください』
「ああ、頼んだぜ」
エフィーナからの通信が途絶えると、改修を行っている間に零次は大の字になって倒れた。
こうして体育館ステージを眺めていると、サヤと初めて遭遇したことを思い出す。
学園に入学して数か月後、零次はデュエルルームで次々と名高いサイバーズと激戦を繰り広げる毎日を送っていた。
当時全く無名の零次が凄まじい成績を収めたとして、それを確かめる為に零次を見ては対戦を申し込んでくるサイバーズが多かったのだ。
学校中の猛者達を相手に、零次は苦戦を強いられながらも大半は勝利を収めていき、噂はますます広まっていった。
サヤと出会ったのは、そんな日々に明け暮れる中、いつものようにデュエルルームに足を運んだ時だった。
「貴方が噂の桜庭君かしら?」
「ん、何だお前?」
「なっ……私の事を知らないなんて、呆れたわ。 私は『如月 サヤ』、中学の頃にデュエルサイバーズ全国大会に出場した実績を認められて、この学園には推薦入学をしたの。 つまり、私は貴方と違ってエリートなのよ」
「へぇ、そいつはすげぇな。 で、そのエリートさんが何の用?」
「いいじゃない、挨拶ぐらいしても。 桜庭君の噂は私の耳にも届いてるわ、学園入学以来三か月間勝率九割を維持した期待の新人君とね。 ま、エリートの私には敵わないでしょうけど」
「ケッ、エリート自慢するんだったら、まずその平べったい胸をどうにかしろよ」
「ンナッ!? な、何よっ! どうしてエリートと胸が関係あるのよっ!?」
「そりゃお前、エリートだったらやっぱその辺りもエリート級にしねぇといけねぇだろ? 用がねぇならとっとと退きやがれ」
「……許さない、よくも私を侮辱してくれたわねっ! いいわ、私とデュエルしなさいっ! 貴方が私のプライドを傷つけたように、私も貴方のプライドをぶち壊してやるわっ!」
こんなやり取りをした後に、零次が間違って勝利を収めてしまったステージがこの体育館だった。
形式は少し違うと言えど、体育館なんていうのはほぼ構造に大差はない。 それからサヤは毎日のように零次に戦いを仕掛けるようになったのだ。
勝っては負けて、勝っては負けてを繰り返していくうちに今のようなライバル関係になっていった。
『終わりましたよ零次、もう一度インスタンス化し直してください』
「おう、悪いな任せっぱなしで」
『いえいえ、このぐらい朝飯前です』
零次はローダーを天に掲げて、再度アバターパーツのインスタンス化をし直した。
もう一度軽く体を動かしてみると、先程までの違和感が不思議と消えていた。
「お、いいね。 これだよこれ、やるじゃねぇかエフィーナっ!」
『当然です、私の手にかかれば楽勝ですからっ!』
エフィーナは誇らしげに鼻を高くしていた。
「そういやお前大丈夫か? 俺は適度に休憩とってっけど、お前はずっとプログラムやりっぱなしだろ、疲れないか?」
『もうちょっと頑張れますよ』
「いや、休んでおこうぜ。 丁度キリのいいとこまで終わったしよ」
『じゃ、じゃあお言葉に甘えてそうさせてもらいます』
エフィーナとの中継モニターが消えるのを確認すると、零次はVR空間をログアウトした。
装置の外に出ると、白衣を身に纏ったエフィーナが端末の前で思いっきり伸びをしていた。
やはり疲れているのだろうなと思っていたら、いきなり席からピョンと飛び上がり設置されている冷蔵庫へトコトコと駆け出した。 ボーっとその様子を眺めていると、白衣の裾に足を引っ掛けてエフィーナはビターンッ! と音を立てて転んだ。
しかも、受け身も取らずに正面から顔面。 見ているだけでも痛さが伝わってくる光景だ。
「うー……痛い、です」
「お前、白衣やめたらどうだ? 何回目だよ転ぶの」
「だ、ダメですよ。 白衣じゃないとプログラムの質下がりますよ?」
「そんなに大事なのか?」
「零次だって運動する時は動きやすい体操着に着替えるじゃないですか、それと同じです」
そのせいで今転んでいるんじゃと突っ込みたかったが、零次は何とか堪えた。
改めてエフィーナは立ち上がり、冷蔵庫へ辿り着くとそこからコンビニに百円程度で売っているシュークリームを三つ取り出す、さらにイチゴオレを取り出して顔をにやけさせながら床にポンッと置いて壁に背をつけながら一つ目のシュークリームを開封していた。
「またシュークリームか? よくもまぁ飽きずに食ってられるな」
「美味しいからいいんです、それに私は零次と違って糖分がいっぱい必要ですからっ!」
そう言いながら、エフィーナは両手に持ったシュークリームにかぶりつく。
口をカスタードクリームでベタベタにしながらも、とても幸せそうな表情を見せていた。
写真にでも残しておきたいぐらい飛び切りの笑顔を見せつけ、シュークリームを平らげていく。
「おい、頬にクリームついてんぞ」
「ふぉんろれすか(ほんとうですか)?」
「口の中片づけてから喋れ。 ったく、だらしねぇな」
零次は一生懸命シュークリームを頬張っているエフィーナの目の前でしゃがみこんだ。
それを同時にゴクンとシュークリームを飲み込むと、不思議そうな顔で零次の事を見つめている。
ポケットに詰め込んだティッシュを取り出し、頬についたクリームをふき取ろうとした。
「ヒャッ!? じ、自分でできますよっ!」
「うるせーな、ガキだからってギャーギャー騒ぐなよ」
「私、ガキじゃないですーっ!」
ティッシュでクリームをふき取った後、何となくからかってやろうと零次は頬を痛くしないようにつねってみせた。
「お?」
すると、思っていた以上の頬の弾力に惹かれて、プニプニと何度もつねり始めた。
「い、痛いのです零次」
「おー、やわらけーな」
段々と楽しくなってきた零次は、両手でエフィーナの頬を掴んでギューッと引き伸ばし始める。
当然ながらエフィーナはギャーギャーと騒ぎ始めた。
「い、いふぁ(いた)いでふ……」
「おお、すっげぇな。 伸びる伸びる良く伸びる、おーなんか楽しくなってきたぞー」
調子こいてもっと頬をつねってやろうとした瞬間、ゴォォンッ! と背後から不意の一撃が決まった。
急激に襲い掛かる痛みに、零次は後頭部を抱えて床に転がりもがいていた。
「いってぇぇっ!? なんだ、何が起きたっ!?」
「アンタ、女の子相手になんてことしてんのよっ!?」
零次の背後にいたのはアクアブルーの長髪、いつみてもキツそうな目をしているサヤだった。
何故サヤがこんなところにいるのだろうか?
「さ、サヤ? 何でお前がこんなところにいんだよ――」
「アンタこそこんな可愛い子をこんなところに閉じ込めて何してんのよ、このロリコンっ! 変態っ! もーしんじらんないっ!」
「待て、俺がいつどこで何をしたのか説明しろっ!」
「何よ、最近デバッグルームを借り出したりとおかしいと思ったわ。 プログラムをしないアンタがようやく目覚めたのかと思いきや、まさか少女を連れ込んで――」
「おいおい、人聞きが悪い事を言うなよ。 俺は別に何もしてねぇっ!」
「じゃあアンタ、この子と何をしてたのよっ!?」
「プログラムに決まってんだろ、俺はこいつとパートナーを組んだんだっ!」
「な、なななななんですってぇっ!?」
零次が必死になってそう伝えると、サヤはまるで雷に打たれたかのような衝撃を受けていた。
「う、嘘言わないでよっ! アンタあれほどパートナーは組まないだとかめんどくさいだとか言ってたじゃない、業者だって嫌だとか……一体どういう風の吹き回しよっ!?」
「あ、あの……ごめんなさい、私のせいなんです」
エフィーナは零次の後ろに隠れながら、ボソボソとサヤに向かってそう告げた。
「あんまりでかい声で騒ぐんじゃねぇよ、エフィーナが怖がってんじゃねぇか」
「な、なな何よっ! アンタがふざけた事ばかり言うからじゃないっ!」
「わ、私がプログラムをいじっちゃって……それで――」
二人の横に必死で割り込みながら、エフィーナが何かを告げようとした途端、零次はエフィーナの口を塞いだ。
「その件はもういいだろ、結果的に俺はそのおかげで生まれ変わったし、新たな考え方を持つ事も出来た。 俺は本当にお前に感謝してるんだぜ? お前があんな強引にやらなかったら、俺は意地でもボロボロなアバター使い込んでただろうしな」
「……どうやら、本当みたいなのね。 いいわ、そこは認めてあげるわよ。 ……じゃあ、やっぱり『ゼロ=リターナ』って零次の事だったのね?」
「何だ、知ってんじゃねぇかよ。 今の今まで俺を疑ってたのか?」
「だ、だってあんなに頑固なアンタが急にパートナーだなんて……」
サヤはシュンとした様子で、俯きながら呟いた
どれだけ信用ないんだと思いつつも、その顔を見ると何故か罪悪感に襲われ、零次は頭を掻きながら話題を変えようと話を切り出した。
「それより用事があったんじゃねぇの、お前」
「あ、そうだったわ。 はい、大会のエントリー用紙」
「ん、エントリー用紙? 何だよ、大会って後3週間先だろ?」
「どーせそんな事だろうと思ったわ……あのね、去年も同じ失敗しかけたでしょ? 大会参加者の受付は『今日』で締切よ?」
「……マジ?」
「ええ。 だからほら、手伝ってあげるから早く書き上げなさいよ――」
「おいおいおいおい、冗談じゃねぇぞっ! エフィーナ、お前用紙はあるかっ!?」
「ご、ごごごごめんなさい、私も完全に忘れてましたっ!」
「サヤ、そいつはエフィーナに渡してやってくれっ! アイツ記入の仕方わかんねぇだろうが教えてやってくれよ? 俺は用紙を確保してさっさと自分の分を書いてくるわっ!」
「え? ちょ、ちょっと零次っ!?」
「んじゃ、頼んだぞっ!」
零次はサヤにそう言い残すと、まるVR空間上での瞬間加速の如くデバッグルームを飛び出していった。
サヤはポカーンと口を開けたままでいると、鞄からもう数十枚のエントリー用紙を取り出してため息をついた。
「どーせ何度も間違えるからって、予備をいっぱい持ってきたのに……しょうがない奴ね」
サヤは深くため息をついて、プリントを鞄へと戻した。
「はぁはぁ……あークソッ、滅茶苦茶疲れたぞ……」
零次は息を切らしながら壁に手を付けて呼吸を整えていた。
職員室を巡り大会のエントリーシートを受けとり一旦教室まで戻り汚い字でシートの記入を終えて受付までに提出しに行った。
その結果、記入漏れや直す箇所が多数出てきてその場で何度も突き返されながらも、ようやく正式なエントリーを終えた。
エフィーナは無事にエントリーできたのだろうかと、携帯を手にして連絡を取ろうとすると……ふと、目の前に不審な男がエントリーシートを片手に受付まで足を運んでいた。
学園の生徒である事はわかるが、何処か近寄り難い不気味な雰囲気が漂っている。
紫色の髪に両目が隠れる程の長い前髪、背は長身でかなりの痩せ型だ。
思わず凝視してしまった零次に気づいたのか、髪の間から僅かに見えた目が零次とバッチリ合ってしまった。
「ふぅん……そうか、君が桜庭 零次か」
「んぉ? お、俺の事知ってんのか?」
「君は色々な意味で学園では有名だからね、僕が知っていても不思議ではないだろう?」
何処かトゲのある言い方に腹を立てるが、ここで騒ぎを起こすわけにはいくまいと零次は堪えた。
少年はそんな零次を嘲笑っているのか、ニヤニヤと気味悪い笑みを浮かべていた。
「君は最近、エフィーナとパートナーを組んだようだね」
「んお、もしかして知り合いなのか?」
「ふふ、そうかもしれないしそうではないかもしれない。 彼女は天才プログラマーだからね、1学年では知らない人はいないんじゃないかな?」
「はぁ? なんだそりゃ」
「君、サイバーズだろう? 僕もサイバーズの一人さ。 ふふ、今から君と戦うのが楽しみで仕方ないよ。 何せ、あのエフィーナが手にかけたアバターと戦えるのだからね」
「ん? おう、そうか。 俺もお前と戦えることを楽しみにしてるぜ」
奇妙な男子生徒は何処か不敵な笑みを浮かべると、ノソノソと受付にエントリーシートを提出していた。
一体あの人物は誰なのだろう、少なくとも学園の上位クラスではないはずだ。
エフィーナを知っているという事は1学年の生徒だろうが、それにしても不気味すぎる。
「ん、電話か?」
ピロリロリンと電子音が鳴っているのを確認すると、零次はポケットから携帯電話を取り出した。
画面に『パートナー』と書かれている事を確認すると、零次は受信ボタンを押した。
「俺だ、エフィーナか?」
『れ、零次っ! 大変なのですっ!』
「何だよ、どうした?」
『エントリーシートのことなんですけど、実はパートナーを組む場合は別の用紙で出す必要があるらしいんですっ!』
「んなっ!? マ、マジかよっ!? 受付後三十分でしまっちまうぞっ!?」
零次は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
『紙はこっちで用意しましたから、後は零次の分を記入するだけなのですっ! 今どこにいるんですか?』
「お前そういうのはもっと早く連絡しろよなっ! とりあえず受付にまで持ってきてくれ、俺は今エントリーしちまったからちょっと事情話してキャンセルするわっ!」
『わ、わかりましたっ!』
電話が切れた事を確認すると、零次は思わず深くため息をついた。
「あー畜生、色々とめんどくせぇなおいっ!」
零次は受付へと駆け込み、事情を説明して大会参加の手続きをやり直すのであった。