後悔と神々と
美しい光の輝きに包まれて純白の神衣に身を包んだ女神が、静かに五人を見下ろしていた。
四人の冒険者達は半ば呆然としたような表情で、空中に佇むその美貌の女神の姿に視線を奪われている。普段は口数が多すぎると仲間にすら言われるエルフの少女も、この時ばかりはまるで魅入られたように、眼前に降臨した女神の燐とした美貌から目を逸らすことができない。
そして、その場における最後の一人である勇者の少女はというと……
両の手と膝を大地について頭を垂れ、その場で盛大に五体投地とでも言えるような体勢を取っていた。
《頭を上げてください、異界の少女よ。このたび、この世界の面倒事に巻き込むこととなり、申し訳なく思います。ですが、我らとしてもこのような手段を取らざるを得ない状況に有るということを、どうか理解していただけたらと思います》
「神々を前に完璧な作法……やはり勇者として召還されるだけの方ですね」
「神々の威に圧倒される訳でもなく、すぐさま礼を表すとはたいしたもんだねえ」
「己の未熟さを痛感いたしますわ……」
「すごいです! 女神様です! ご本人様ですよう! ああ! ……冒険者になってよかったあ!!」
女神の声に我に返り、あわててその場に跪いて礼を示す冒険者達。
彼女らの視線は、女神の神威に圧倒されるでもなく、即座に最大級の礼拝方法を取ったアキラに対しての賞賛で満ちていた。
だが正直なところ、それは全くの誤解ではあったのだが。
「あー……いえ、こちらこそ。日景 聖……こちら風に呼ぶと、アキラ・ヒカゲかな? ……と申します。礼儀とかはよく知らないもので、ごめんなさい。こんな感じですが失礼します」
先程までのアキラの行動は、実際のところは女神召還の際に、自分の予想通りの結果になったことに対しての脱力感ゆえの行動であり、礼拝などの意図は無かったのだが、とりあえず彼女は空気を読んで誤解を解くことはしない事に決めた。
彼女は、雰囲気などは極めて重要と考えるタイプの人間だ。
《お気になさらず、では早速ですがこれより我らが領域にアキラ殿を御招き致します。そして、この世界での貴方自身の道を選んで頂く事になるでしょう》
その女神の言葉と共に、アキラの身体がふわりと浮かび上がる。
《参りましょう。我ら神々の座する天界の地へ》
光の爆発、そうとしか形容できない極彩色の流れが生じ、アキラの身体を飲み込んでいった。
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そこは、まるで春の陽射しと、さわやかな初夏の風と、柔らかな秋の気温と、冬の澄んだ空気のような心地よさに満ちた場所だった。
アキラの知識で言うところの、ギリシャかどこかの遺跡のような白い石造りの建物で、シンプルだがどこか上品にまとめられた大きな部屋の中に、いつの間にか立っていた自分を段々と認識しつつ、彼女は自分の周囲に存在する人影達に目を凝らした。
それは、思い思いの姿を持って彼女を見つめる多くの影で、その視線の数々と正に神威と評すべき人ならざる巨大な威圧感に、思わず体を萎縮させてしまった彼女だったが、そんな彼女へと掛けられる優しい声があった。
《ようこそ、異界の少女よ。まずは座って欲しい。そして私達と少しお話しないかね?》
「はい。ありがとうございます……えっと」
掛けられた声に緊張しつつも、しっかりと返事を返した彼女の元になぜかソファーとテーブルが出現した。
どこか自宅にあったなじみの有る家具に似た感触に、アキラの身体から緊張ゆえの強張りが抜けていく。
見れば、人影たちも思い思いの体勢で座り始めていた。
アキラと同じようにソファーに腰掛ける者や、シンプルな椅子やベンチに座る者、中にはそのまま直接床に座り込んだ者達もいる。
そんな様子が落ち着いた頃合に、絶妙のタイミングで茶菓が配膳された。
アキラも『コーヒーか紅茶か?』との問いにコーヒーと答えて杯を受け取る。
問題は、その問いや配膳が全く認識に残らず、正に“いつの間にか”行われていたことだったが。
《さて、ではまず最初に確認しようか。アキラ殿だったね? どうするかな、勇者をやりたいかね? やりたくないかね?》
「選べるんですかっ!?」
最初に声を掛けて来た人影──立派な髭を蓄えた偉丈夫な男性神より、全く予想外の問いがいきなり来た。
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「えっと……主神様ですよね? 光の神様の。それって、わたしが勇者やりたくないとかいったりしたらどうなるんですか?」
何故か頭の中に浮かんだ知識から、目の前の男性神の情報を見つけたアキラはそんな言葉を繰り出した。
《ああ、どうやら知識の“転送”は上手くいっているようだね。そのとおりだ。すまないが、円滑な会話の為にひととおりの知識は送らせて頂いているよ……話を戻そうか、確かに君の疑問はもっともな話だ。無理やりに近い召還の果てに、今度は是非を問うときている。まったく君からしてみれば、馬鹿にされたような話だろう。だが、これは聞いておかなければならないことなんだ》
「……何か、理由があるんですね」
《聡明な子だね。君は》
どこか苦さを感じさせるような言葉を紡ぎ出した主神に、アキラは姿勢を正して次の言葉を待った。
《理由というよりも……“罪”と言った方が良いかもしれないね。それは、我々の……この世界の神々が来訪者たる“勇者”に対する負い目だよ》
主神の言葉に、周囲の神々たちもそれぞれが僅かに表情に動きを見せた。
それは皆、一様に苦いものを噛み締めるかのような苦渋を含んだものだ。
《その昔、この世界と我ら神々は“勇者”に救われた。滅びの道を歩もうとしていた我らは、“勇者”の機転と行動に救いを得た。我らでは至れなかった答によってね、そして……我らはそれを求め続けてしまった》
「“勇者”の役目、この世界に“新しい要素”をもたらす効果ってことですよね?」
《そうだ。そしていつしかそれに頼るようになってしまった……“勇者”自身のことなど考えずにね、傲慢と言われても仕方の無いことだ。それを気づかせてくれたのが……先代の勇者だった》
「確か……名前の知られてない勇者でしたっけ?」
《そのとおりだ。我々神々も知りえなかったひとつの謎を解き明かし、そして自らの痕跡を消してこの世界を去った勇者……いや、この世界から“去られて”しまったと言った方が正しいな……かの“空白の勇者”に誓ったのだよ。次の勇者には、きちんと選択してもらおうとね》
一度目を伏せ、次に瞳を開いた時、主神は彼女にまっすぐに目を向けて言った。
《“勇者”に頼るあまり、見限られ、去られてしまった。それがこの世界の神々である我らの……“罪”だ》
だから、君は自分の好きなようにして欲しい、もちろんやりたくないと言うならばその時は君を元の世界に戻す為に全力を尽くそう。そう彼女に語った神々に、アキラは静かに問いかけを発する。
「もし、私が“勇者”を引き受けたらどうなりますか?」
《君もこの世界に属する“一部”となる。この世界に存在する“力”を行使することができるようになり、真の意味でこの世界に存在することが出来るようになる。正直なところ、現在の君は本当の意味で、こちらの世界での実体を持っていない状態だからね。だからこそ、人間達が仮初の身体を用いて存在する”迷宮”に最初に現れた訳だが……。そしてその後は君次第だ。この世界で好きなように生きて欲しい。その結果、君の持つ要素は世界に影響を及ぼし、世界を更新する働きが生まれるだろう》
わかりました、小さく、だがはっきりとした彼女の言葉がその場に響いた。
アキラは瞳を閉じ、俯くようにして沈黙する。
彼女の思考を妨げてはならぬと、場の全ての神々が口を閉じ、ただ沈黙をもって彼女の答えを待った。
やがて……
「わたし……やってみます!“勇者”を!」
アキラの宣言に、微かなざわめきが場を支配する。
《……良いのかね? 本当に》
「はい……わたし、ずっと自分が何もできないと思ってました」
その場に響くアキラの言葉に、神々たちはじっと聞き入っている。
「でもそんな自分をどこかでずっと嫌ってました……だから心のどこかでずっと思い続けていたんだと思います。“違う世界にいけたら”、”違う自分になれたら”って」
そう言ってアキラは顔を上げた。
まっすぐに、どこまでもまっすぐに前を見る。
それは、今までの自分には出来ないことだったから。
「だから私が今ここにいるのは、私が願った結果なんだと思います」
ゲームをしたり、マンガを読んだりした時、いつも抱いていた憧れ、自分が持てなかったもの、持ちたかったもの、それがいま傍に有る。
不安もある、恐れもある、でもそれを上回る期待があった。
どこかで諦めていた自分の心に灯る何かがあった。
いまはまだ、自分に何が出来るかはわからないけれども。
踏み出してみよう。
覗き込んでみよう。
手を取ってみよう。
話しかけてみよう。
耳を傾けてみよう。
そんな勇気を出してみようと思った。
「わたしは……いままでの私が持てなかった“一歩を踏み出す勇気”が欲しい!」
まるでひとつの誓詞を読み上げるかのように、彼女の言葉が場に響き渡った。
いつの間にか立ち上がっていたアキラに続くように、神々が続々と腰を上げて立ち上がる。
《少女の勇気に感謝を! その道行に幸あれ!!》
【少女の勇気に感謝を! その道行に幸あれ!!】
神々達より放たれた祝福の言葉が唱和した。




