背中合わせの灰と青春 その4
「マリーちゃん、とりあえずわたしたちの分のご飯の用意お願いね。んで、その後に皆にお話があるから、全員集合するように伝えてください」
ぼんやりと、少し前に起こった騒動について回想していたマリーは、アキラからの声に我に返ると、一礼をその場に残して小走りに店の奥へと駆け出していった。
彼女に続いて、ベイリー夫妻も食卓の準備の為に厨房へと向かい、程無くしてアキラと仲間達のテーブルには、ブルーノが腕を振るった暖かい料理の数々が次々に運ばれてきた。
乾杯の杯が交わされ、今回の冒険の成功と次の幸運を祈るささやかな宴席が幕を開ける。
「うわあ……これ美味しいですねえ! 私、ライスは独特の匂いがちょっと苦手だったんですけど、これ、ソースと肉汁がからんだ感じが最高ですよう!」
「こっちは、揚げた豚肉を包みこむ卵の甘味がいいねえ……腹も膨れて食いごたえもある」
「お味噌汁なんて、久しぶりです……」
「この鳥のソテーも良い味がついてますわね。濃い甘さがお酒にも合いますし、お見事ですわ。ご店主」
「一応、アキラちゃんが教えてくれた料理を再現してみたんだが、どうだい? 俺としちゃあ、なかなかの皿に仕上がったと思うんだが……」
「バッチリですよ! グーです!」
満面の笑みを向けて箸を進めるアキラが、心配そうに料理の感想を伺うブルーノとマーシャに向けて親指を立ててみせる。
どうやら仲間達の評価も上々のようで、ご飯ものの料理に慣れているらしいシノとレンカは、アキラと同じく箸を巧みに使って料理を口に運び、ローザとアネットはスプーンで浅いボウル状の器に盛られた──ご飯の上に具材を乗せたいわゆる丼物──料理をかき込んでいた。
「ライスは、以前から東の方の出身の人達にも人気でな。親父の代に知り合った農家の人間が東方の出身で、そこが栽培に成功したんだ。以来、ウチと取引を続けてるんだが、どうやら取引先を泣かせないで済みそうだなあ……」
しみじみとした様子で、そうつぶやいたブルーノの傍らで、女将のマーシャもうんうんと頷いている。
「……ですが、アキラさんも引き出しの多い方ですわね。わたくしもこのようなお料理は初めて頂きましたわ」
「ふふふ……実はこの後にもちょっとしたものを用意してあるんですよー」
上品に口元をナプキンで拭うレンカの言葉に、ぬふふと何か企むような笑いをアキラが覗かせた。
やがて、それぞれの前に食後の茶とデザートの菓子らしき皿が並べられていく。
食事の時から続いて給仕をしていた、揃いのエプロンドレスに身を包んだ少女達──この店で面倒を見てもらっていたマリーと同じ見習い冒険者の一団──も含めて、この店に居る全員がテーブルを寄せ合って着席した。
「とりあえず、これを皆で味見してみてください」
そう言って、アキラが指し示した皿には見慣れない料理が並んでいた。
薄いパンケーキのような生地を焼き上げて折り畳んだらしい料理で、白っぽい生地と黒っぽい生地の二種類が並んでいる。
「白いのがクレープ、黒いのがガレットってわたしの故郷では呼ばれてるお料理です。こんな感じでー、ぱくっと……」
食べ方を実践するかのように、手づかみでその見慣れないパンケーキを頬張る彼女につられるように、皆がその菓子を口にする。
──!?
「お、美味しいっ!?」
マリーの言葉に続くように、周囲の面々からも感嘆の言葉が零れだした。
クレープと呼ばれた白い生地の方は、生地よりもさらに白い雪のような生クリームがふわりとした口溶けと共に溢れ出し、乳製品特有のなめらかなコクとうまみが舌の上を覆い尽す。
そして同時に舌を楽しませるのが、そのクリームのコクに負けないねっとりとした感触で広がる豊かな甘味だ。
甘さの元は、クリームと共に生地に包まれた、シロップのように蜜状の琥珀色の液体である。
更に止めとばかりに、さりげなく香る僅かな酸味がその口当たりをさわやかなものにしている。
軽く薄い生地の味わいとも相まって、正にえもいわれぬ快楽が皆の口を楽しませていた。
初体験の美味に半ば呆然としている面々に苦笑しつつ、アキラはもう一方のガレットと呼ばれた黒いパンケーキも勧めるように皆に差し出した。
そして、こちらを口にした面々は、再度衝撃で固まることになる。
口の中に広がるのは、先程のクレープとは対極的な塩味の旨み。
生地の中から溢れ出したのは、先程と同じ乳製品でありながら、また違う美味しさを誇る品、チーズの味わいだ。
そして、コクのあるチーズの味わいを更に引き立てているのが黄色がかったペースト状のソースだった。
まろやかでかつ濃厚な口当たりが、ひとつの完成された味わいのような感触すらもたらす絶品のソースだ。
「あ、あの、これいったいなんなんですか!」
その場の全員の想いを代弁するかのように、厨房の手伝いをしている料理好きの少女、魔術師のカタリナが、その赤毛を震わせながら声をあげた。
「ん、わたしの故郷の料理……って、まったまった! いま説明するから」
まるで噛み付くような視線の集中を感じ、少々冷や汗をかきながらアキラは説明をする。
内心では、そんなにたいしたもんでもないんだけどなーとも思いつつ、食べ物へのこだわりでも知られる現代日本と異世界の食文化のギャップを改めて痛感していた。
「ん、ガレットは蕎麦──こっちでは黒麦って呼ばれてるのかな──の粉を水と塩で溶いたものを鉄板で薄く焼き上げた生地に具を挟んだ料理ね。今回はシンプルにチーズを挟んでみたけど、卵やハムなんかを挟んでも美味しいよ。一緒に絡めたソースはマヨネーズっていって、卵とお酢と油を混ぜて作る調味料ね」
ガレットは、地球では欧州のブルターニュ地方の郷土料理として有名な料理だ。
タデ科に属する穀物であり、イネ科以外の穀類として知られるソバの実を挽いた粉から作る料理で、ソバは寒冷地や水利の悪い痩せた土地でも良く育ち、しかも種を蒔いてから2~3ヶ月程度で収穫が可能なことから、こちらの世界でも容易に手に入れる事が出来た。
ただ、この辺りではパンに混ぜ込んだりお粥にして食べたりが普通だったらしく、このような調理法は初めてのようで、最初にベイリー夫妻に紹介した時もひどく驚かれた。
この世界の東の果てにはひょっとしたら麺状の食べ方──文字通りのお蕎麦──があるかもしれないと考えつつ、機会があればこの世界のお蕎麦も食べてみたいなとアキラは思いを馳せる。
「こ、こっちのクレープの中に入っているのは何ですか?」
カタリナと共に、即座に懐から取り出したメモ帳らしき紙の束になにやら書きつけながら、新たな質問を投げかけたのは駆け出しの錬金術師のゼルマだ。
その几帳面さに、この二人にはお菓子づくりとか向いてそうだなあとの感想を持ちながら、その事をアキラは頭の隅にメモしておくことにする。
料理やお菓子作りは化学にも似ている、と言っていたかつてのバイト先の店長の言葉が思い起こされた。
「クレープの方は、小麦粉を牛乳と卵で溶いた生地を薄く焼き上げたものね。その生地でホイップクリームやフルーツなんかを包んで食べるの。ガレットと違って甘いお菓子みたいな料理かな」
「……これ、普通のホイップクリームと違うみたいですけど」
「ん、ホイップクリームって、生クリームを更に泡立てて作るんだけど、きちんと作るとすごい大変だから、ちょっと今回は簡単に作れる方法で手抜きしちゃったんだよね……」
甘いものが好きで、よく甘味の食べ歩きをしているというアネットの疑問点に、照れくさそうにアキラは頭をかく。
本来のホイップクリームは、生クリームを泡立てて作るものだが、冷やしながら泡立てなければいけなかったりと 結構な手間と労力がかかる大変な作業だったりする。
“角が立つ”などという表現が使われるように、クリームがふわりと立ち上がる程度の固さが必要になるからだ。
普通に作れば大変なそんな作業を簡略化するために、今回アキラが使った方法はいたって単純なもので、生クリームや牛乳に少量のレモン汁や果実酢を加えて手早く簡単にクリーム状に固めるやり方だった。
これはアキラもそこまでは知らない事だが、酸凝固と呼ばれる乳製品に含まれるタンパク質と酸の反応を利用したもので、チーズが乳酸菌によって固形に変わるのも、この作用によるものだ。
「まあ、とにかく食事や料理の新作として、このあたりは使えそうかなー? と考えたんですけどね。皆の意見はどう思います?」
アキラのそんな言葉に、静かにシノが手を上げて疑問の言葉を投げかけた。
「でもこれ……確かに美味しいですけど、砂糖をたくさん使ってるようですから、お値段も高くなりませんか?」
そんなシノの言葉に、その場に居る者達がはっとしたように表情を変える。
ここは大陸でも有数の都市という場所柄、塩や香辛料などを含め、近年では様々な食材が入手できる豊かな街だ。
だが、それでも近年ようやく量産が可能になった砂糖は、高価な部類に入る食材だった。
この世界の一般の人間にとっては、甘味というものは十分にごちそうの部類に入るものなのだ。
高級志向の専門店ならば問題は無いだろうが、冒険者の店などで片手間に出すのはかなりリスクが高いと言える。
「いや……大丈夫だよ。さっきの料理も含めて、今日の料理に砂糖は使って無いからね」
──!?
そのマーシャの言葉に、その場に居た者達のほぼ全てが驚愕の余り目をむいた。
今の言葉が確かならば、クレープの甘味や丼物の味付け、鳥の焼き物の甘辛いソースなど、あの味を砂糖抜きで作り出したということになるからだ。
周囲に満ちる驚きの空気に、ベイリー夫妻とアキラはまるでいたずらが成功したような表情で視線を交し合う。
「ちょ、ちょっと待ちなよ! 砂糖を使ってないならいったいどうやって……」
全員の疑問を代表して、ローザの戸惑いの声がその場に響き渡る。
その疑問に答えるように、アキラが傍らにあった小さな器を空になった皿の上に傾けた。
器の中からは、ねっとりとした美しい琥珀色の液体が注がれ、周囲に甘い香りが満ちていく。
「これが今回の奥の手! 水飴といいます。麦芽とお米から作れる甘いものですよ」
「麦と米?! そんなものであんなに甘いものができるんですか!」
アキラの言葉に、マリーが驚愕の言葉を放ったのち沈黙する。
作れちゃうんですよーと、アキラがいつもどおりの笑みを見せ、ベイリー夫妻はやれやれといった表情で苦笑を浮かべて見せた。
「実際、俺たちも信じられなかったがなあ……しかし、出来上がりのほどは、先程皆が味わった通りだよ」
「うちのお婆ちゃん直伝、秘伝の一品です!」
そう言って、グッと親指を立ててみせるアキラ。
だがそんな勢いに隠れて、一瞬だけ彼女が見せた寂しそうな表情はかき消された。
麦芽水飴は、発芽時の麦芽に含まれる糖化酵素を用いて、米のでんぷんから作られるものだ。
特に日本では砂糖伝来前よりの古くから、甘味料として使われてきた歴史を持つ。
発芽した麦芽を乾燥させ、粉砕したものを三倍の水で炊いた粥に加え、50~60度で5~8時間暖めることにより生じた液を濾して、それによって出来た液を煮詰めて完成する。
ミネラルも豊富で栄養価も高く、乾燥させた粉末は膠飴の名で漢方薬として用いられるほどだ。
「お粥の時の温度管理がキモなんですけどねー……こないだ手に入れたコレがあって良かったですよ! 流石魔法の武器! 便利!」
「ちょっと待てい! アンタそれ料理に使ってんのかよ!」
そう言って少し前に入手していた“戦利品”のひとつ火の魔力の宿る【炎の短剣】を掲げるアキラに対し、ローザのツッコミが飛んだ。
“戦利品”としては、割と良く出回るクラスの安価なアイテムだが、そこは腐っても魔法の品である。市場に流せばそこそこの価格になる品物だ。
「抜き身の状態なら常に炎と熱を帯びてますからねー、鍋の下に仕込んでとろ火代わりにしたり、お湯の中に沈めておけば湯の温度を保てたりで便利ですよ?」
「……まさかとは思うけど、一緒に手に入れた【氷の短剣】も……」
「ああ、あれは氷室に置いてあります。冷えが良くなっていい感じです!」
色々と信じられない発言の数々に、周囲の人間達の顔がひきつっていく。
「レンカ……任せた」
「だから、なぜにわたくしに振りますの!?」
「いやほら、普段使わないなら有効活用したいじゃないですか?」
「……一理ありますわね」
「「「「ないない」」」」
アキラとシノの言葉に対し、店の中にいる全員の声が唱和した。
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「まあ、ちょっと脱線しましたが、お店の新しい目玉としては、お米を使ったお料理と甘味のメニューの強化で行きたいと思います」
ひとしきり騒いだ店内が落ち着いた後、アキラの声に皆が頷いた。
「あと、今日の探索分で、なんとか皆さんの人数分くらいの装備品は揃えることが出来ました。並み程度ではありますが、このお店を拠点として活動する限り、これらの武器防具等の装備品は貸し出し致します」
見習い冒険者達から、僅かだが歓声があがる。
背後ではアネットが、明るいファンファーレ系の曲のサビ部分を爪弾いたりした。
「このお店の方針として、以前と同じように皆さんが冒険者としてなんとかやっていけるように支援したいと思います。食事や住む場所などは、収入が安定するまでは面倒見ます。ただし、条件として冒険に出てない時はお店の手伝いなど副業はしてもらいます」
まあ、働いてくれた分は些少ですがお給金も出しますよ。との言葉には、見習い冒険者達からはおお、という呟きが漏れた。
アネットの弾く曲が、穏やかで牧歌的な感じの曲に移る。
「当面の目標は、下がってしまった評判の回復! 冒険者の店として胸を張れるようになれるように、そしてこの店所属の冒険者として堂々と歩めるように頑張りましょう!」
「「「「「はい!ご主人様!!」」」」」
店員でもある仲間達の返事が響く。
アネットの演奏はいつの間にか勇壮な行進曲に達していた。
BGMのせいか、店内のテンションも変な具合にアッパー系気味だ。
「では、経営と運営はブルーノさんとマーシャさんに変わらずお願いします」
「ああ、まかせてくれ」
「アキラちゃんも無理しちゃいけないよ」
「まあ、わたしは一応の頭ですから……それで、皆さんなんですが」
アキラは自分の仲間である四人の冒険者に向き直ると、彼女達に改めて問いかける。
いい具合にノリノリで演奏に入っていたアネットも、ローザに引きずってこられて合流する。
「なんだか、奇妙な成り行きになっちゃいましたが……いいんですか? 皆さんもこんな事に巻き込んで」
そう言って申し訳なさそうな顔を見せるアキラに、彼女達は笑って返事を返した。
「いやいや、なんだかえらい面白そうじゃないかい。少なくとも退屈はしなさそうさ」
いつもと同じように、ローザがニヤリとした笑みを見せて言う。
「そうですよ! こういうの初めてなんで、これからどうなるかわくわくしますよう!」
目をキラキラさせたアネットが、くるくる回りながら言う。
「まあ、食事や宿の心配もなくりますし、稼ぎだって悪くはないのですから、別に問題なんて無いですわよ……十数人分の装備品を“戦利品”で全部賄うなんて初めて見ましたし」
べ、別に後輩達が心配だとかそういう訳ではありませんのよ! と、レンカが言う。
「うふふ……なんだか自分達のお城って感じがちょっとしちゃいますね」
珍しく悪戯っぽい微笑を浮かべてシノが言う。
仲間達の笑みを受けて、アキラは気合を入れるように、自分の両頬に両手を打ちつけた。
パン! と小気味良い音が響き渡る。
「ん! じゃあ、手の届く日常を護りに行きましょう!」
今はまだ小さな勇者の響きが、大きくは無い店の中に響き渡った。




