背中合わせの灰と青春 その3
戸惑い。その時のベイリー夫妻の心境を表すのはそんな感情に尽きただろう。
借金の上に自分達の店を手放す事になった筈が、今までどおりに店を続けて欲しいと懇願されてしまった。
こんなことは、普通なら考えられないことだ。
現に、顔を見合わせて不安な表情を隠しもせずに落ち着かない様子を見せていた。
「おう、ごめんよ……」
そんな奇妙な空気の中に、するりとすべり込むように店へと入ってきた人影があった。
髭に覆われた顔に、小柄な体躯、老境といえる年齢に見えながら、その視線と体つきには鋭さとでも形容するものを感じさせる一人の人間の男性だ。
「ブロドさん……」
「おう、久しぶりだなブルーノ……そこのお嬢ちゃんの言うことは本当だよ。お前さんの店はこの子が買い取ることになった。早速手続きといこうじゃないか」
ブロドと呼ばれた男性に促されて、店の奥のテーブルで売買の手続きが始まった。
最も、おおまかな条件は先程アキラが言った事に変わりは無い。
店の権利はアキラが買い取るが、経営と運用は今までどおりベイリー夫妻に任せるといったものだ。
正直、破格どころの話ではなかった。
「よし……、書類上の手続きはこれでいい。これで、この店に関わる全ての権利はお前さんのものだ。しかしまあ、嬢ちゃん、アンタいったい何が望みだ?」
交わされた書類を確認した後、ブロドがジロリと睨み付けるような視線をアキラに飛ばす。
「んー……? それって、ブロドさんのお仕事上の立場から出た質問ですか?」
相変わらず緊張感のかけらも無い、それで居て率直極まりないアキラの物言いに、仲間を含めた周囲の人間に緊張が走った。
だがそれは、事情を知る人間ならば無理も無い事だ。
この目の前の老人は、盗賊ギルドの古株であり、表の仕事とはいえギルドの重要な金蔵の一部を預かる、この街の顔役の一人でもあるからだ。
だがそんなアキラの言葉に、ブロドは噛み殺すような低い笑い声をもらしながら、言葉を続けた。
「まったく……肝が据わってるのか、ただの物を知らねえ馬鹿なのかわからねえな……じゃあ、言い方を変えてみようか? 俺はこの甘ちゃんの馬鹿野郎とはこいつの親父の代からの付き合いでな、一応心配をしてるのさ。こいつらの事をな……」
なにせ、一度騙されてやがるからなあ……との言葉を続けて夫妻の方にちらりとブロドが視線を向ける。
夫妻はそんな視線を受けて肩をすくめるように身体を縮こませていた。
そんな言葉に対して、アキラはうんうんと納得したような表情を浮かべている。
「なるほどー、でも、わたしとしてはお話した通りで、これといった事情とかは無いんですよね。住むところとご飯の心配が無くなって、しかもお米のご飯が食べられるので十分なもので」
あははー、と能天気な笑顔を崩さずにそんな返事をして見せたアキラに対し、ブロドは一言、そうかと返事をしただけで黙り込む。
「あ、それと一つ確認なんですが」
「なんだ?」
「この内容……“お店に関わる権利全て”としか書かれて無いということは、“借金も込み”でわたしの手元に来ることになるんですよね?」
「──!?」
「ど、どういうことだ、そりゃあ!?」
アキラが言い放った言葉により、ピクリとブロドの眉が跳ね上がる。
それと同時に、今まで口をつぐんでいたブルーノは思わず席から立ち上がった。
「その通りだ。ブルーノ達の借金は、この店名義で借りられてるからな。つまり、この店を所有したら同時に借金もプレゼントって訳だ。やれやれ、そこんとこに気づいたと来たかい。……おいレンカ、お前さんの入れ知恵か?」
どことなく楽しそうなブロドの言葉に、ベイリー夫妻が驚愕と共に目を見開き、話を振られたダークエルフの女性は、ため息と共に肩をすくめて見せた。
「今回のお話を進めるに当たって、前もって少々調べさせてもらいましたわ。確かに、その可能性を指摘させて頂いたのは事実ですが……それを聞いてもなお、全て承知のうえで買い取ると決めたのはこの子ですわ、“金庫番”」
「二重取りはあくどいですよー」
「売買仲介の手間賃だよ。まっとうな商売だぜ? まあ、忠告しとけばあんまり変なところに金は借りるなってことだ」
ブロドは平然とそんなことを言い放った。
「でも、ブロドさんは、そうやってこのお店を護ろうとしてくれたんじゃないんですか? 調子に乗って、このお店にホイホイ手を出してきた人がいたら、それで痛い目にとか……」
「なんだ、解ってるんじゃねえか。その通りさ」
「……え?」
まるで遠まわしな思いやりとしかいえないような、そんな彼のやり口をアキラが指摘するが、それをブロドはあっさりと肯定して見せた。
頑固としかいえない印象の彼が、まさかこんなに簡単に自分の思惑を口にするとは予想外だったのか、その場に居た彼以外の全員が動きを止める。
「こんなやり方は、明らかに商売上の仁義にもとる。だがな、俺は自分の友人の息子達と友人との思い出が残る店を護りたかったんだよ。……さて、俺はこのとおり正直に自分の胸の内を明かしたわけだが、こんな俺の本音を暴いてお嬢ちゃんはどうしたいんだい?」
そう言って、苦笑いを浮かべるブロドに対し、返す言葉を見つけられずにアキラは沈黙する。
「よく覚えときな、嬢ちゃん。こうやって馬鹿正直な正攻法でこられたら、正攻法で返さなきゃいけなくなる。相手が悪党だからって、真っ当な手段を使ってこねえなんてこたあ無いんだ」
でもまあ、なかなか見どころはあるぜ、少なくともホイホイ他人に騙されるようなお人好しに比べりゃなあ、と言って、ブロドは傍らの茶に一口ほど口をつけた。
傍に居るベイリー夫妻は、再度肩をすくめて縮こまる。
そして、やりこめられて視線を落としたアキラに向けて、やれやれといった風に声を掛けた。
「ま……そういうことなら、一つだけ聞かせてもらおうか。嬢ちゃん、アンタいったい何が望みだ?」
「……? えっと、さっき言ったのと同じで……」
アキラの再びの言葉を遮るように、ブロドの再度の問いかけが飛ぶ。
「ああ、確かにさっきの言葉はお前さんの本音だろうさ。だがな……それで全部って訳じゃ無いだろ?」
「────!」
ブロドの言葉に、今度こそアキラの表情が凍りつく。
「嘘は言ってない、だが全てを話した訳でもない。情報を小出しにして、残りは相手に“勝手な想像をしてもらう”──誰でも自分の都合の良いように物事を考えたがるからな──その年で大したもんだぜ」
「うわお……降参です。やっぱ、本職はおっかないですねー」
右手で自分の顔を覆うようにして、アキラはがっくりと肩を落とした。
「ん、まあ実際のところは……自分のわがまま、ですかねー」
「わがまま?」
はい、と肩の力が抜けたのか、気負うことなくアキラは答えを返す。
「ここでまあ……お米のご飯食べてですね、すごい嬉しかったんですよ。わたしが失くしちゃったものに再会した喜びというかですね、それでまあ、欲しくなっちゃったんですよ」
「この店が、か?」
「ええ、帰る場所を」
さらりとアキラが漏らした言葉に、彼女の仲間達が一瞬表情を歪めるのを、ブロドは視界に捉えた。
たぶん、この目の前の少女は故郷と呼べるものを失ったのだろう。
そんな簡単な図式が彼の脳裏を流れていった。
そして、アキラの事情を知る四人の冒険者達も、無言のうちにアキラの言葉に秘められたものについて、それぞれが想いを馳せた。
「ブロドさん」
それまでじっと口を噤んでいた、この店のおかみ、マーシャが口を開いた。
「この子に買ってもらえるなら文句は無いよ! あたしらよりよっぽどしっかりしてる。ねえ、あんた!」
「い、いやまあ……うん。俺たちもこのまま店を続けられるっていうんならなあ」
「わたしも賛成です……危ないところを助けてもらった恩というわけではないですが」
マリーも加わっての賛成に、ブロドは苦笑いしながら声をあげた。
「了解だ。元の持ち主であるお前さんたちが納得してるんなら、もう俺から何か言う事はねえよ……嬢ちゃん──アキラと言ったか?」
「あ、はい」
「お前さん、こいつらに認められたようだな、苦労するぜ? 何せ見ての通りのお人好し揃いだ」
まるでおどけるようなブロドの言葉と、この時彼が始めて見せた笑顔に、アキラもにっこりと笑って返事を返す。
「大丈夫です! その時は助けてください! って、ブロドさんにお願いに行きますから」
そんな彼女の言葉に、こんどこそ本気で目をむいたブロドが、次の瞬間に大声で笑い出した。
しかめっ面で名高い盗賊ギルドの“金庫番”を大笑いさせた。
これが、アキラがこの店を手に入れた際の顛末であった。




