背中合わせの灰と青春 その2
「はーい、ただいまーーー! そして、みんなもごくろうさまーーー!!」
「「「「「お帰りなさいませ! ご主人様!!!」」」」」
帰宅した、自らの雇用主であり恩人でもある少女の声に応えるように、金の髪を三つ編みにした少女、マリー・ガーランドは同僚である少女達と声を揃えて出迎えの言葉を口にした。
「アキラちゃん、おかえり! 大丈夫かい、怪我とかしなかったかい?」
「おい! マーシャ、いつも言ってるだろう、オーナーにそんな口の聞き方をだなあ……」
「あー、……ブルーノさんも毎度の事ですけど、普段はそんな固くならなくて良いですから、必要な時にそうして頂ければ」
店の奥のほうから、彼女達の帰還を聞きつけて出てきたのは、茶色の髪に犬か狼を連想させる耳を持つ人型の獣人族の夫婦、この店の元々の主であったブルーノ・ベイリーとマーシャ・ベイリーの二人だ。
マリーにとっては亡くなった両親の友人であり、冒険者となった自分の面倒を見てくれたもう一組の両親とでも言える大事な二人だった。
世話好きでお人好しともいえる二人は、子供の居ないせいもあってか両親を亡くしたマリーを実の子供のように可愛がり、また、引退した元冒険者という立場も有ってか、新米冒険者達を損得抜きで面倒を見てしまうような人間でもあった。
マリーが冒険者を志したのも、そんな二組の両親の影響が大きいといえるかもしれない。
そんな二人の店、“戦士の憩い亭”が大変な危機を迎えたのは、半年ほど前のこと。
信用していた人間に店の資金と蓄えを持ち逃げされたのが発端だった。
元々あまり利益を目指すような商売をしていなかった事も災いし、たちまちのうちに経営状態が悪化、そんな状況を狙われたかのように少々危ない所から金を借りるはめになり、そちらの利息やらを含めて、借金があれよあれよという間に膨れ上がってしまったのだ。
夫妻は知っている限りの知人等に頭を下げて回ったり、自身の身の回りの品を処分したり、昼も夜も無く働いて金を作ったが、そんなものは焼け石に水。
とうとう取引先や従業員への支払いも滞る状態になり、ひとり、またひとりとこの店に関わる者たちも離れてゆき、疲れ果てた夫妻は、遂に自分の店を手放すことを決意するまでになってしまった。
もちろん、そんな夫妻の為にマリーもできるだけの手を尽くしてはいたが、まだまだ新米冒険者の域を出ない彼女とその仲間達にとっては、自分達が食べていくのすらようやくといった有様。
目端の利く冒険者たちは次々に店を去り、残ったのは夫妻に面倒を見てもらってなんとか冒険者としてやり始めていた初心者冒険者連中のみ。
もう、この店と共に共倒れするしかないのかと、そんな事を思い始めてしまった頃。
そんな時に出会ったのが、彼女にとっての二番目の恩人とも言えるひとりの少女、“侍従騎士”アキラ・ヒカゲその人だった。
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それは、恩人である夫妻の為に高額な“戦利品”を求めて大迷宮に赴いた時のことだ。
全員が、どうにかしたいという思いに捕らわれていて、遮二無二モンスターとの戦いを繰り返すあまり、自分達の実力に見合わない階層に足を踏み入れてしまい……
当然のように、そんな彼女達の油断と焦りに呼ばれたように災厄は襲い掛かってきた。
唐突に目の前に降りしきる雷の雨に薙ぎ倒されて、マリーは四人の仲間達と一緒に迷宮の床に叩きつけられるように倒れ伏した。
魔法の雷撃の衝撃を受けた身体は痺れ、身を起こすことすら難しい状況で。
彼女達新米冒険者の一団の前に現れたのは、うすぼんやりとした灰のように淡い色の光を、陽炎のように纏った六体の人影たち。
“灰人”と呼ばれる──冒険者達の成れの果てのモンスターであった。
仮初の肉体で戦いを繰り広げる“迷宮世界”において、“死”というものは決して絶対的なものでは無い。
迷宮世界で“死”を迎えた者は、自らが通ってきた現界側の門──地上の調停神の神殿──に強制送還される仕組みになっている。
体力と精神力に多大なダメージを負うが、それとて数日程度の休息で回復する程度だ。
これは“迷宮世界”の役割のひとつであり、無限ともいえる数にて世界に迫り来る“混沌の軍勢”に対抗する為の仕組みだ。
相手が無限の数で攻めてくるなら、こちらは命尽きるまで無限に復活すれば良い。
そんな考えにより導き出された世界の決まりごとが、迷宮世界における死という概念だ。
だが、肉体はともかく、人の魂──心の部分はそう上手くはいかなかった。
たとえ、本当に死を迎え滅びるわけでは無いと言っても、その際の衝撃はやはり人の心に多かれ少なかれ傷を残す。
また、長い年月をかけて偽りの世界に馴染みすぎてしまった場合にも、人は魂と呼べる部分をすり減らしていくことが解っていった。
“迷宮世界”で長い年月を過ごしすぎたり、“死”を多く経験しすぎたり、そもそも“死”に耐えられなかったりといった理由で現界に戻ってこれなかった人間が、“軍勢”に喰われモンスターと化した存在。
全ての色彩が抜け落ちて、灰のような白い姿を持つことから、その存在は冒険者達からいつしか──“灰人”と呼ばれるようになっていた。
“灰人”の強さと危険度は、個体差によって大きな差が存在する。
その能力は、元となった冒険者の実力に比例するが、共通する特徴として挙げられる事としては、冒険者時代の能力をほぼそのまま有すること、以前よりも全体的な強さが上昇していること、そして最も危険な特徴として、“灰人”に殺された人間もまた“灰人”と化してしまうことである。
それは“迷宮世界”で活動する冒険者達にとっては、単純な”死”よりも恐ろしい結末をもたらし、背中合わせの栄光と破滅を目に見える形で体現した恐るべき怪物の姿。
目の前に舞い降りた絶望を前にしたその時、だがそれはマリーにとって同時に希望に出会った時となった。
身動きの取れない自分達に向けて、鎧姿の“灰人”がその手に持った大きな剣を振りかぶる。
もうこれで自分達は終わりなのかと、彼女が絶望にくやし涙を流したその時。
そんな時に現れたのが、アキラ達のパーティだった。
絶体絶命の危機から一転、瞬く間に“灰人”の一団を退けた風変わりなパーティに助けられて、“戦士の憩い亭”へと無事に帰り着いたマリー達は、店主のベイリー夫妻に無茶を酷く諌められた。
いままでのような生活は出来ないかもしれないが、それでも家族で頑張って生きていこうと涙を流しながら自分を抱きしめる養父母の姿に、彼女も泣きながら返事を返したものだ。
そんな彼女達の姿を横目に、命の恩人である少女がなにやら真剣な顔で、せめてものお礼にと夫妻が用意した食事の膳──この店自慢の東方伝来の米を使った料理──を前に思案を巡らせていたと、マリーが仲間から聞いたのは随分と後になってからだった。
そして、本当の驚愕と救いの手は、次の日に唐突にやって来る事になる。
再び“戦士の憩い亭”を尋ねてきた少女、アキラが開口一番にこう言い放ったのだ。
「おはよーございまーす! あ、このお店、わたしが買わせて頂くことになりました! でも、お店の経営とか全然わかんないんで、ご店主とおかみさんには引き続きお店をお任せしたいんですが」
……いきなりのことに、養父母だけでなく店の中に居た者達、全員の動きが止まった。
しばしの後に、戸惑いと共に発せられた疑問の声に、アキラと呼ばれた少女は満面の笑みと共にこう応えた。
「ごはんですよ! ごはん!! お米が食べられるお店なんてチョー貴重です!!」
正直、なにがなんだか解らなかった……




