第9話:それでも、生きていたい
305号室、菊池花乃。私はこの病室で、人生のほとんどを過ごしてきた。私だってみんなと同じ学校に行きたかった。遠足も、運動会も、学芸会も、写真や画面越しにしか知らない。
外出は月1回まで、看護師さんと一緒に行くことと、ゆっくり歩くことは絶対守らなきゃいけない。
「菊池さん。今日の調子はどうですか」
「はい。特に変わりはないです」
「朝食、ご用意しますね」
変わりはない。つまり、私は今日もここに寝たままということになる。
まともに身動きできないこの身体でなんで生きているのか分からなくて、心が空っぽになったこともあった。だけど死にたいとは思えなかった。
いつかこの病気が治ったら、日の光の中で走り回ってみたい。
まだ想像の中でしかできないことを、絵や詩に書くのが私の日常だった。
高校3年間のうちに病気が治って、みんなと同じ制服姿で修学旅行なんて行けたら……。そう願って、私は全日制への道が開かれている双葉総合高校を選んだ。
1学期が終わろうとしていても、私には関係がない。夏休みになったところで、お祭りや海なんて行けるわけがない。
今までの私は季節の移ろいすら、窓の外から吹き込む風の温度とカレンダーの絵くらいからしか感じられなかった。
実感はほとんどないけれど高校生になって、学校のサイトにあるチャットで友達ができた。本校の通信制の『ルリ』さん。丁寧な口調で、厳しい人だけどすごくまっすぐな人なんだって分かった。
多い日だと1日2時間くらいルリさんと色々な話をした。ルリさんが教えてくれたのは、大抵中学校の頃にいたという生徒会の愚痴だったけど。
そんな中、1つの通知が学校のサイトに表示されていた。
――双葉総合のアイドル(仮) ドリームテイル メンバー募集中! 全日制・通信制どちらも大歓迎、一緒に笑顔を取り戻そう!
活動風景のリンクを開くと、動画サイトに繋がった。そこには、私が憧れていた以上の景色が広がっていた。おそろいの制服を着て、みんなで踊って、笑い合う。
フィクションの中にしかないと思っていた景色が、現実世界の手が届く場所にある。
きっと、私みたいに動けない子は足手まといに決まってる。断られることは覚悟のうえで応募フォームに名前を書いた。
『私は病気がちでお医者さんからは安静にするように言われています。それでも皆さんと一緒に夢が見たいです。歌やダンスは難しいけれど、歌の歌詞なら頑張って書きます。よろしくお願いします!』
1人じゃやっぱり怖くて、ルリさんの名前も勝手に書いちゃった。私にとっては、分校にスクーリングで行くことだけでも命がけの大移動だから。
ルリさんの本名は頑張って通信制の子たちにチャットで聞いて回って探り当てた。本校では『よく服装を注意してくる厄介者』として有名だったみたい。
『外に出るときは通信制の福松瑠璃子さんも付き添いで一緒に行きます(了承はこれから得ます)』
いつ呼ばれてもいいように、7月の外出はぐっと我慢した。その時は想像以上に早くやって来た。久しぶりにパジャマ以外の服を着て、青いバッジを付けてもらった。
初めて直接顔を見たルリさん……いや、瑠璃子さんは凛としていて綺麗な人だった。
「菊池さん。よく私の名前が分かりましたね。『瑠璃子』で『ルリ』はひねりのないニックネームだとは思いましたが」
「だって、本校では有名だったみたいで……。ルールに厳しい瑠璃子さま、って。私のことも、今まで通り『かの』って呼んでほしいな、なんて」
瑠璃子さんは少し考えてから、下の名前で呼ぶことを飲み込んでくれた。
その後、私は車いすに乗って病院の玄関先まで出る。さらに車に乗せられ双葉総合の本校まで送ってもらった。
7月半ばの猛暑は、元気な人の命すら削ってしまう。車を降りた瞬間、肌に突き刺さるような日差しと熱波が私たちの身体を襲った。
「菊池さん、本当に歩きでいいんですか?」
「はい、少しでも元気な子に見られたいので」
「そうですか……。無理は禁物ですよ。少しでも異常を感じたらすぐに私たちを呼んでくださいね」
看護師さんの忠告を背に、校門の前のアスファルトに立った。
暑さのせいか膝がいつもより震える。足元がふらついて、日傘を持ってくれている瑠璃子さんの身体にしがみついてしまう。
一歩一歩、視界が霞みぐるぐるとめまいがする中でも確実に中庭へ歩みを進める。
「嘘、本当に来た……」
あ、あの子。夏菜恵さんだ……! 1番元気に踊っていた、私の密かな憧れの人だ。目を丸くして、ぴったりくっついた私たちを見つめている。
「初めまして、私が菊池花乃です」
「福松瑠璃子です。私はただの付き添いです。ただ、今日はどうしても伝えなければならないことがあります。長くなるので花乃さんを休ませたいのですが」
「うん、じゃあ私が保健室まで案内するね」
「いいえ、ゆめみさんとまほろさんに伝えたいことです」
「私たちに……? じゃあ、かなちゃんお願いできる?」
「任せて。その子の用が済んだらまた教えて」
夏菜恵さんに連れられて私は保健室のベッドで休むことになった。だけど、その時見えた瑠璃子さんの背中は何か悲壮なものを背負っているように見えた。
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「はっきり言わせてもらいますが、ゆめみさんとまほろさんは学校の模範となるにはふさわしくない罪を犯しています」
「え、そうなの?」
「4月、通信制の生徒の前で陰口を叩きましたね? 『どうして制服のような恰好を通信制の癖にしているのか』『全日制の自分たちが羨ましいんだ』と軽蔑した」
ゆめみとまほろの中で、徐々に記憶が繋がっていく。2人は春に、通信制の真面目そうな女子生徒を目にしてひそひそと彼女の正体について話し合っていた。
「その傲慢さで、こちら側の生徒は心を痛めている。知らないとは言わせません」
「あ、ああ! まさかとは思ったけど、やっぱり! あなたって通信制の真面目そうな……」
「他にも通信制の生徒を全日制の部活動に立ち入らせた、アルバイト禁止なのに勝手に収益を得た、いくらでも問題は出てくる。そんなあなたたちが学校を救う? ふざけるのも大概にしてください!」
瑠璃子は怒鳴りつけるようにゆめみとまほろの『罪』を暴いた。彼女の言葉に、ゆめみは瑠璃子をまっすぐ見つめ返す。
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今の私、本当に学校の保健室にいるんだ……。
今寝ているのは病院のベッドと大して変わらないはずなのに、心電図の音がないことや身体の仕組みが書いてあるポスターが貼ってあるところ、静かで心がほっとするところ……。
病室とは似て非なる場所だった。
保健室の開いた窓から、瑠璃子さんの声が聞こえてきた。
そんな。ゆめみさんたち、やっぱり悪い人なの? 瑠璃子さんの言うこと、ちゃんと聞いておけばよかった。こんなところ、やっぱり来ちゃいけなかったんだ……。
瑠璃子さんが2人に問い質す様子を、夏菜恵さんはじっと見つめていた。
「違う。ゆめみは確かにおせっかいで無神経だけど、人を貶すことなんて絶対しない。あの子の方が何か勘違いしてる」
「え、瑠璃子さんが……?」
瑠璃子さんの言葉を、ゆめみさんが遮った。
「待って、私たちそんなこと言わないよ。そういう差別みたいなものをなくせたらって気持ちでドリームテイルを立ち上げたんだから」
「私も同じです。4月にここであなたを見た時、私たちが話したことは単純な驚きだけだったの」
「単純な驚き?」
「あなたのように真面目そうな子がどうして通信制にいるんだろうっていうだけの話。その、せっかくだから瑠璃子さんの気持ちを聞かせてほしいんだ」
ふと、遠くからざわめきが聞こえてきた。
「警備なんていらないって言ったじゃない! 道中は分かるけどみんな揃って過保護なんだから」
「しかしお嬢様の身に何かあってからでは……」
「何も起きるわけないでしょう? お互い、挨拶しに来ただけだもの」
聞こえてきた現実世界とは思えない会話に、みんなの表情が変わった。反応は人それぞれだったけど……。
「募集をかけて集まったのは、花乃と瑠璃子と、あともう1人。みんな同姓の別人かって疑ったけど、あの様子なら本当だったみたい。行こう、花乃」
夏菜恵さんに連れられて、私は再び外に出た。瑠璃子さんとゆめみさんたちの緊張した空気は、3人目のメンバーだという城ヶ崎サラさんが緩めてくれていた。
「3人とも。ようこそ、ドリームテイルへ! 全日制の子も通信制の子も笑い合える、そんな学校を私たちで作っていこう!」
ゆめみさんが高らかに言い放った姿は、本当に全てを解決する力を持っていそうに見えた。
「で、文化祭の話でしょ? わざわざ集まらなくても、オンライン会議で済ませればいいじゃない。花乃の体調も考えてあげなさいよ」
「あ、そうだね……。次から気を付けるよ。それでね、私たちの目標として文化祭の有志ステージに出ようって決めたんだ! どうかな、絶対素敵でしょ!?」
文化祭、秋……。
「あ、あの。文化祭って、いつなんですか? 全日制のカレンダーをよく知らなくて……」
「11月3日よ。都合悪いの?」
「その日、大きな手術があるんです。でも成功すれば分校までなら1人で行けるようになって、次の春までリハビリを頑張れば、本校のあるこの街にも自由に行けるって言われました」
次の瞬間、ゆめみさんが私の手をぎゅっと握った。
「手術、ずらせないの……? 私、みんなでステージに立ちたい」
「ずっと前から決まっていたことなんです。春から自由に動くためには今済ませるのが1番いい、ってお医者さんが……」
「そっか……」
「へぇ。こんなドラマチックな話が実在するなんてね。本当は9人だけど1人は手術でステージに上がれない。そんな1人の分まで頑張って歌う。最高にお「至田ちゃんちょっと静かにして」
私の心臓が少し命の危機を感じるくらい跳ねる。紗矢さんがいきなり望さんの手で羽交い絞めにされた。
「あはは……。紗矢ちゃんはいつもあんな感じだけど、ドリームテイルが有名になるためって聞いてくれないだけなんだ。ごめんね」
「全く。ゆめみさんとまほろさんの言葉については私が考えすぎだったとして一旦許しましょう。しかし今度はお涙頂戴的なビジネスの話ですか」
「確かに、瑠璃子さんの言う通りね。大切な手術をそんな言い方しちゃいけないわ。じゃあこの子は監査役について来てもらいましょ。ね、それならいいでしょう?」
「っ……!! 何するんですかっ!」
瑠璃子さんはサラさんに頭をぽんぽんと撫でられ、頬を赤くして飛びのいた。
「ここまで言われては仕方ありません。分かりました。しっかり見張らせてもらいます。これ以上無秩序な動きをしたら許しませんからね」
厳しい言葉を口にしつつ、瑠璃子さんはにこりと微笑んだ。空っぽになりかけた私の青春が、たった今動き始めた。




