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第8話 目覚めと影

 

 あの死闘から、数週間が過ぎた。

 季節は緩やかに移ろい、学苑の木々もわずかにその色を変え始めていたが、神凪蓮の世界は、あの日からずっと止まったままだった。

 日課となった集中治療ユニットへの見舞い。

 ガラスの向こう側で、天野光は静かに眠り続けていた。一進一退を繰り返すバイタルサインのグラフだけが、彼女がまだこの世界に繋ぎ止められていることを示す、唯一の証だった。

 その日、蓮がいつものように硝子越しの彼女を見つめていると、ユニットの扉が静かに開き、担当の医師が緊張した面持ちで彼に近づいてきた。

「神凪くん。落ち着いて聞いてくれ。先ほど――天野くんが、意識を取り戻した」

 その言葉は、すぐには意味を結ばなかった。

 だが、数秒の空白の後、蓮は弾かれたようにユニットへと駆け寄る。ガラスの向こう、ベッドの上で、光がゆっくりと、本当にゆっくりと、その瞼を開こうとしていた。

 薄く開かれた瞳が、ぼんやりと虚空を彷徨い、やがて、ガラス越しの蓮の姿を捉える。

 その唇が、かすかに動いた。

『……かなぎ、くん……?』

 マイクが拾ったその声は、か細く、しかし紛れもなく、蓮が待ち続けた彼女の声だった。

 安堵が、奔流となって蓮の全身を駆け巡った。止まっていた世界が、ようやく再び動き出す。その確かな手応えに、彼はただ、固く握りしめた拳が震えるのを耐えることしかできなかった。

 奇跡的な目覚めから数日後。

 光の回復は順調に見えた。仲間たちが見舞いに訪れると、彼女はまだ力なくはあったが、以前と変わらない太陽のような笑顔を見せた。

 蓮も、大友も、チームの誰もが、エースの帰還を信じて疑わなかった。

 だが、現実は非情だった。

「――やはり、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状が見られます」

 医師からの診断は、彼らの希望を打ち砕くのに十分だった。

 光の身体は、あの戦場を覚えていた。

 パイロット復帰のためのリハビリとして、アストラル・ドールのコクピットを模した簡易シミュレーターに入った瞬間、彼女は激しいパニック発作を起こした。

『いや……! 来ないで……! 熱い、痛い……!』

 金切り声を上げ、過呼吸に陥る光。ファーデン戦の、あの地獄のような戦闘が、彼女の脳内で鮮明にフラッシュバックしていたのだ。

 NSI(神経同期インターフェイス)を介して精神に直接刻みつけられた恐怖は、彼女の魂に、決して消えない傷痕を残していた。

 天才アタッカー、天野光は――もう、二度と戦場には戻れない。

 その事実は、蓮の心に、救出の代償として得た罪悪感という、新たな影を落とした。

 ◇

 一方、蓮は止まることを許されなかった。

 彼は技術科の有志――ファーデン戦でリアルタイム解析に協力してくれた数少ない理解者たちと共に、学園のネットワークの監視を続けていた。

 あの日、蓮の司令官権限をオーバーライドして入手した、戦闘の詳細なログ。それを解析するうちに、一つの不気味な事実が浮かび上がってきた。

 ファーデンとの戦闘中、彼らとファーデン帝国アカデミー、そのどちらのものでもない、正体不明の第三者からのアクセスが、両チームのデータをリアルタイムで抜き取っていたのだ。

「まるで、俺たちの戦闘をデータ収集用の実験かなにかのように監視していた、ってことか……」

 技術科の生徒が、青い顔で呟く。

「ああ。そして、そのアクセスの痕跡は、学園のメインサーバーの、さらに深層部から巧妙に偽装されている」

 敵は、学園の深部にいる。

 そして、自分たちのチーム――蓮たちが非公式に『アストレイ(A stray sheep -迷える羊-)』と名付けたチームは、その「黒幕」にとって、計算外の行動を取った危険分子として、間違いなく認識されてしまったはずだった。

「神凪、気をつけろよ。お前、多分……見られてるぞ」

 仲間からの警告は、すでに現実のものとなりつつあった。

 廊下を歩いていると、すれ違う上級生たちの視線が、妙に意味ありげに感じられる。ごく普通の日常の中に、確実に異物が混入している。

 見えざる敵の、監視の気配。

 それは、蓮の神経をじわじわと蝕んでいく、新たなプレッシャーとなっていた。

 光の不在。黒幕の影。

 蓮たちのチームは、勝利の代償として、より大きな困難の渦中へと足を踏み入れていた。

 平和に見える学園の日常の裏で、次なる陰謀の歯車は、すでに静かに、そして確実に回り始めていたのだ。

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