第6話 誰一人見捨てない勝利
道は開いた! 全機、救出ポイントへ突入する!」
神凪蓮の号令が、反撃の狼煙だった。
その頃、ファーデン帝国側の司令室は、混乱の極みにあった。
『どうなっている! なんだ、こいつらの動きは!? 司令塔が変わったのか!?』
ファーデンの司令官が、苛立たしげに怒鳴る。ついさっきまで、一方的な蹂躙で終わるはずの「狩り」だった。だが、アストラル学苑側の動きは、まるで別のチームのように変貌していた。
大友の駆る機体が、予測不能なフェイントを織り交ぜて敵の注意を惹きつけ、その隙に鈴木の電子戦装備がファーデンの通信網を麻痺させる。孤立した敵機を、他の味方が的確な援護射撃で叩く。
全てが、蓮の神がかり的な指揮の下で、一つの生命体のように有機的に連動していた。
それはもはや、個々の機体の集まりではない。蓮という脳が統括する、一つの「群れ」だった。
その時、蓮の司令室に、技術科の生徒からの緊急通信が飛び込んできた。
『解析完了! 神凪、聞こえるか! あの違法兵器、高出力の代償に、エネルギーの再チャージに7.3秒のタイムラグがある! その間は完全に無防備だ!』
蓮は即座にその情報を全機に共有する。
「聞け! 敵の切り札には弱点がある! チャージの隙を狙え! 俺がその瞬間を作り出す!」
だが、戦況は依然として絶望的だった。
味方の奮闘もむなしく、敵の猛攻を受け続けた天野光の機体は、ついにその動きを完全に停止した。メインカメラの光が弱々しく明滅し、やがて、ふっと消える。
メインスクリーンに表示される彼女のバイタルサインも、今や風前の灯火だった。蓮が何度呼びかけても、もう応答はない。
『ハハハ! 終わりだ、アストラル! そのパイロットはもう助からん! お前たちもここで朽ち果てろ!』
ファーデンの司令官が高笑いし、残存する全戦力が、活動を停止した光の機体へと、最後のとどめを刺すべく集中し始めた。
「間に合わないのか……ッ!」
蓮が、奥歯を強く噛みしめ、自らの無力さに顔を歪ませた、その瞬間だった。
――ふっ、と。
蓮の意識が、現実から乖離した。
司令室の喧騒が遠のき、目の前の光景がぐにゃりと歪む。気がつくと、彼は見慣れない場所に立っていた。
そこは、薄暗く、狭い空間。目の前には、無数の計器が並ぶコンソール。
天野光が乗っていた、アタッカー機のコクピットの「イメージ」の中だった。
そして、そのシートには、意識を失いぐったりとしている光の姿があった。
「天野!」
蓮が叫ぶと、虚空のはずの空間に、その声が響いた。
すると、光の意識が、その呼びかけにかすかに反応した。
『……かなぎ、くん……?』
声にならない、魂の囁き。
これは、極限の集中状態と、仲間を想う強い意志とが偶然引き起こした、NSIシステムを介した奇跡の精神感応。
蓮は、目の前の儚い意識の灯火が消えぬよう、必死に語りかけた。
「死ぬな! 約束しただろ! 俺の『本当の顔』を見るって! 帰ってこい、天野! 俺が、お前を絶対に、ここから連れて帰る!」
その魂の叫びに呼応するように。
現実世界の司令室で、蓮が見つめるバイタルモニターの数値が、奇跡的に、わずかに持ち直した。
そして――。
戦場で沈黙していた光のアタッカー機のメインカメラが、再び、弱々しい、しかし確かな光を灯した。
『……うん。聞こえるよ、神凪くん』
通信機から、途切れ途切れで、か細い、しかし確かな意志を持った光の声が返ってきた。
司令室に、安堵と驚愕のどよめきが広がる。
蓮は、溢れそうになる感情を全て声に込め、叫んだ。
「天野! 俺の言う通りに動け! 俺がお前の目となり、手足となる! 俺たち二人で、ここを切り抜けるぞ!」
『――うん!』
蓮の超絶的な戦術眼と、光の天才的な操縦センス。
二人の才能が、初めて完全に一つになった瞬間だった。
「右、ブースト3秒! そのままバレルロール! 敵弾の着弾予測、1.5秒後!」
『うん!』
蓮の超高速の指示に、光が寸分の狂いもなく応える。まるで未来を予知していたかのように、光の機体は敵の弾道を縫って踊った。
その光景は、もはや戦闘ではなかった。死の弾幕の中で繰り広げられる、二心同体の優雅な舞踏。
敵の攻撃を最小限の動きで回避し、懐に潜り込んでは致命的な一撃を加えて離脱する。
ファーデンのパイロットたちは、常軌を逸したその動きに、恐怖の声を上げた。
『な、なんだこいつは!? さっきまでとは別人じゃないか!』
『化け物か!?』
そして、技術科が見つけた違法兵器のチャージの隙。大友たちが身を挺して作った一瞬の好機を、蓮と光は見逃さなかった。
「――今だッ! 天野ォォォ!!」
『――いけえええええッ!!』
光のアタッカー機が、最後のエネルギーを振り絞って空を舞う。その手にしたビームサーベルが、違法兵器を搭載した敵母機の中枢へと、吸い込まれるように突き刺さった。
一瞬の静寂。
そして、敵母機は、内部から光を放ちながら、連鎖的な大爆発を起こした。
遅れて、アストラル・コンバットの試合終了を告げる、甲高いブザーがドーム内に鳴り響いた。
アストラル学苑チームの、奇跡的な逆転勝利。
だが、司令室に歓声はなかった。誰もが、メインスクリーンの一点――満身創痍でフィールドの隅に着地し、もうピクリとも動かない、光の機体を見つめていた。
蓮は、全てのシステムを強制的にシャットダウンすると、司令室を飛び出した。
「おい、神凪!」
大友の制止の声も耳に入らない。彼は、戦場へと続くゲートへと、ただひたすらに、全力で走った。
戦闘の熱がまだ燻るフィールド。破壊されたドールたちの残骸が、墓標のように転がっている。
蓮は、煙を上げる光の機体へとたどり着くと、半壊したハッチを素手でこじ開けた。
ダイブギアを装着したまま、ぐったりとシートに身を預ける光の姿。蓮は恐る恐る、そのヘルメットを外した。
彼女の顔は、血の気を失い蒼白だった。だが、その唇は、かすかに、本当にわずかに、笑っているように見えた。
『……やくそく、守ってくれたね』
意識が途切れる寸前の、最後の声。
蓮は、喉の奥から突き上げてくる熱い塊を、必死にこらえた。涙を流す資格など、自分にはない。
彼は、力なく投げ出された光の手を、強く、強く握りしめた。
「ああ……。だから、お前も守れ。絶対に、目を覚ませ……」
駆けつけた救護班に光が運ばれていくのを、蓮は見送ることしかできなかった。
瓦礫の山となった戦場に、一人、立ち尽くす。
それは、彼が初めて、自らの意志で手にした、「誰一人見捨てない勝利」だった。
しかし、その代償は、あまりにも、あまりにも大きかった。
蓮は、煙の立ち上る空を見上げた。その瞳には、もう迷いも、揺らぎもない。
ただ、これから始まるであろう、本当の戦いを見据える、強い決意の光だけが宿っていた。