第5話 人形の慟哭、人間の誓い
「――目標を変更するッ! アタッカー、天野光の救出を、最優先とするッ!!」
神凪蓮の絶叫が司令室の空気を切り裂いた後、訪れたのは、耳が痛いほどの静寂だった。
オペレーターたちは凍りついたように動きを止め、チームメイトたちは、ただ呆然と、司令官席に立つ蓮を見つめていた。
やがて、その静寂を破ったのは、蓮が最も反発を受けると予測していた男、大友だった。
「……正気か、神凪」
その声には、怒りよりも純粋な不信感が滲んでいた。
「お前が、それを言うのか?」
その一言が堰を切ったように、他のメンバーからも非難の声が上がる。
「今さら何だよ!」
「これは明確な命令違反だぞ!」
「そもそも、お前の立てたクソみたいな作戦のせいで、天野は……ッ!」
その罵声の全てを、蓮は甘んじて受けた。
そうだ。その通りだ。全て、俺のせいだ。
震える足で、彼は司令官席から一歩前に出た。モニターに映る仲間たちの顔を、一人ひとり、その目に焼き付けるように見つめる。
「そうだ……俺のせいだ」
絞り出すような声だった。
「だが、彼女はまだ生きている。ドーム内のバイタルは、まだ完全に消えちゃいない。俺たちが、ここで彼女を見殺しにしていいはずがない!」
蓮が、初めて使った「俺たち」という言葉。
その響きに、非難の声を上げていたチームメイトたちが、わずかに息を呑んだ。
だが、根深い不信感は消えない。大友が、蓮の胸ぐらを掴まんばかりの勢いで詰め寄った。
「信用できるかよ! お前は今まで、俺たちを駒としか見てこなかったじゃねえか! 次は誰を犠牲にするつもりだ!」
「違う……!」
違う、と言葉を続けようとした蓮だったが、もはやどんな理屈も、どんな弁明も、彼らには届かないことを悟っていた。
ならば、示すしかない。
自分が、もはや昨日までの「人形」ではないということを。
蓮は、衝動的に自らの手でダイブギアのヘルメットを乱暴に外した。プシュッという空気の抜ける音と共に、彼の素顔が司令室の冷たい光の下に晒される。
汗と、わずかな涙の痕でぐしゃぐしゃになった、今まで誰も見たことのない、未熟で、必死な「人間」の顔が、そこにあった。
そして蓮は、驚きに目を見開く仲間たちに向かって、深く、深く、その頭を下げた。
床に、額がつくほどに。
「――俺が、間違っていた」
声は、震えていた。
「頼む。俺一人の力じゃ、彼女を助けられない。お前たちの力が必要だ。勝利のためじゃない、名誉のためでもない……ただ、仲間を助けるために、力を、貸してくれッ!」
それは、神凪家のエリートでも、冷徹な司令官でもない、一人の少年の、魂からの懇願だった。
プライドも、計算も、父から教え込まれた全ての教義も捨て去った、剥き出しの叫び。
シン、と静まり返る司令室。
誰もが言葉を失い、頭を下げ続ける蓮を見つめていた。
やがて、大友が「……チッ」と大きな舌打ちをした。彼は蓮からふいと視線を逸らし、ぶっきらぼうに呟く。
「……やっと、人間らしい顔になったじゃねえか」
その言葉に、他のチームメイトたちも、戸惑いながら頷いた。
「全くだ」
「……最初から、そう言えよ。俺たちの、司令塔」
大友は蓮の肩を乱暴に掴んで引き起こすと、その目を真っ直ぐに見て、ニヤリと口の端を吊り上げた。
「で? 作戦プランはあんのかよ、司令官! このクソみたいな状況を、どうやってひっくり返すつもりだ!」
その呼び名は、もう侮蔑ではなかった。
不信と反発を乗り越え、チームが初めて蓮を本当の「司令官」として認めた瞬間だった。
蓮の脳が、かつてない速度で回転を始めた。
父に植え付けられた「勝利至上主義」という呪縛から解き放たれ、思考の枷が外れる。彼の瞳には、ただ一つの目標だけが燃えていた。
――仲間の救出と、全員の生還。
彼は再び司令官席に戻ると、もはやヘルメットを装着することなく、戦術マップを睨みつけた。
そして、即興で、全く新しい作戦を構築していく。
「聞け! 今から、この絶望的な盤上を、俺たちの手で覆す!」
その声には、先ほどまでの弱さは微塵もなかった。あるのは、仲間を率いる者としての、揺るぎない覚悟と熱量だけだった。
「大友は陽動だ! お前の機動力で、敵の注意を最大限に引きつけろ! 鈴木は敵の通信回線をジャミング! 奴らの連携を断つ! 佐藤はすぐに技術科に連絡して、あの違法兵器のデータをリアルタイムで解析させろ! 弱点があるはずだ、それを見つけ出せ!」
次々と飛ぶ、的確な指示。それはもはや冷たい計算ではなく、仲間一人ひとりを信じ、その能力を最大限に引き出すための、熱い意志に満ちていた。
「そして、俺が! お前たちのための道を、この頭脳で切り開く!」
「――了解!」
「――任せろ!」
「――やってやるよ!」
チームメイトたちが、初めて心からの力強い返事で応える。その瞳には、もう迷いはなかった。
「死ぬなよ、神凪!」
そう言い残し、大友の駆るアストラル・ドールが、戦場へと切り込んでいく。他のメンバーも、それぞれの役割を果たすため、一斉に動き出した。
蓮は、戦況全体を見渡し、絶え間なく指示を飛ばし続ける。
「行けッ! 俺の、俺たちの手で、未来を掴むんだ!」
チーム一丸となった連携プレイによって、鉄壁に見えたファーデンの包囲網に、わずかだが、しかし確実な亀裂が生まれていく。
蓮は、光のプライベート回線に、絶えず呼びかけ続けた。
「天野、聞こえるか! 今、助けに行く! だから、死ぬな! お前が言った約束を……俺に、守らせろッ!」
返事はない。だが、蓮は信じていた。彼女はまだ、戦っている、と。
メインスクリーンには、依然として絶望的な数の敵影が映し出されている。だが、その中心でかろうじて生命活動を維持している光の機体のアイコンへ向かって、味方のベクトルが、一本の希望の矢となって突き進んでいた。
蓮は、全ての仲間たちの状況を確認し、最後の号令をかけるために、大きく息を吸った。
「道は開いた! 全機、救出ポイントへ突入する!」
蓮の号令一下、仲間たちのアストラル・ドールが、光の元へと殺到していく。
絶望の戦場で、たった一つの希望を守るための、本当の戦いが、今、始まった。