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第4話 砕けた計算、生まれたノイズ

 

 戦端は、静かに開かれた。

 巨大なドーム状のフィールドに解き放たれたアストラル・ドールたちは、定められた役割に従い、それぞれのポジションへと散っていく。

 神凪蓮の司令室。そのメインスクリーンには、チェス盤のように整然とした戦場の俯瞰図が映し出されている。全ての駒は、彼の計算通りに動いていた。

『――ポーン、目標ポイントへ侵入開始』

 蓮の指示を受け、一体のドールが突出する。天野光が操る、白銀のアタッカー機。

 その動きは、蓮のシミュレーションさえ上回る、驚異的なものだった。

 ファーデン帝国が誇る重装甲タンク部隊の分厚い弾幕を、まるで流麗なダンスを踊るかのようにすり抜けていく。機体をわずかに傾け、ブースターを瞬間的に噴射し、予測される着弾点からコンマ数秒のタイミングで離脱する。常人であれば神経が焼き切れるような神業の連続。

「プラン通りだ。ポーンは完璧に役目を果たしている」

 蓮は冷静に戦況を分析し、待機している別働隊に奇襲準備のサインを送る。

 司令室の片隅で、大友たちは固唾を飲んでモニターに映る光の奮闘を見守っていた。憎い相手の作戦だと分かっていても、今は一人の仲間の無事を祈るしかなかった。

 すべては計算の内。勝利という結果へ向かう、完璧な方程式だった。

 光の機体が、敵タンク部隊の包囲網のまさに中心――作戦図上で「キルゾーン」と設定されたポイントに到達した、その瞬間だった。

 戦場の雰囲気が、不意に反転した。

『――ハッ、まんまと誘いに乗ってくれたな、アストラルの人形遣い』

 司令室のスピーカーから、嘲笑うかのような歪んだ通信が響き渡った。ファーデンのパイロットの声だ。

『お前たちの綺麗なスポーツは、ここで終わりだ。本物の戦争というものを教えてやる』

 その言葉を合図に、光を取り囲んでいたファーデンのタンク部隊の重装甲が、不気味な音を立てて展開した。

 その内部から現れたのは、砲身ではない。戦場のいかなる兵器とも違う、禍々しい形状のアンテナのような装置だった。

「なんだ、あれは……? 未登録の兵装だと!?」

 オペレーターの一人が叫ぶ。

 その装置から、目には見えない何かが放たれた。それは、アストラル・ドールの機体を破壊する物理的な力ではなかった。

 それは、パイロットの魂を直接蝕む、非道の牙だった。

 光が座る操縦席コクピット

 突如、鼓膜を突き破るような凄まじい警告音が鳴り響いた。

『WARNING! WARNING! 外部からの強制アクセス! フィードバック・リミッター、強制シャットダウン!』

「――え……?」

 安全装置が、死んだ。

 パイロットを守る最後の砦が、外部からのハッキングによって無効化されたのだ。

 次の瞬間、機体が受けたかすかな被弾の衝撃が、何のフィルタリングもされず、奔流となって光の神経を直接打ち据えた。

「――ッ、あ……あああああああああっ!!」

 絶叫が、蓮の司令室に響き渡った。

 それは、ただの悲鳴ではなかった。神経が焼き切れる痛み、精神が汚染されていく恐怖、その全てがないまぜになった、魂そのものの断末魔だった。

 蓮の司令室のメインモニターに、光のバイタルデータが表示される。脳波、心拍数、血圧――あらゆる数値が瞬時に危険領域レッドゾーンへと振り切れ、システムが計測不能なエラーを吐き出し始める。

「計算外だ……。ルール違反の兵器だと……? ありえない。このようなものは……」

 蓮の完璧だった方程式が、音を立てて崩壊していく。彼の脳が、初めて理解不能な事態にフリーズした。

 その時、プライベート回線を示す警告灯が点滅し、父・神凪副長官の冷徹な声が蓮の鼓膜にだけ届いた。

『――蓮、動揺するな。想定されるリスクの一つだ。彼女も国のための尊い犠牲となる。それ以上の意味はない。作戦を続行し、勝利を掴め。それが神凪の務めだ』

 そうだ、その通りだ。父の言うことが正しい。これは許容されるべき損失だ。そう思考しようとした。

 今までなら、その一言で彼は冷徹な「道具」に戻れたはずだった。

 しかし、今の蓮には、その絶対的な命令が、なぜかひどく遠く、空虚に聞こえた。

 彼の視線は、モニターの片隅に映し出された、小さなウィンドウに釘付けになっていた。

 そこには、苦痛に顔を歪め、意識を失いかけている光の姿がアップで映し出されている。唇の端から血が流れ、虚ろな瞳から涙がこぼれ落ちている。

(俺が……)

 脳裏に、夕暮れの屋上がフラッシュバックする。

『――私が生きて帰ってきたら……神凪くんの『本当の顔』、私に見せて』

 あの約束が、彼女をこの地獄へ送り込んだのか。

(俺が、彼女をここに追いやったのか……? 俺の作戦が、彼女を……殺すのか?)

 胸の奥深くから、今まで一度も感じたことのない、鋭く、冷たい痛みが突き上げてきた。

 心臓を直接握り潰されるような、息もできないほどの圧迫感。

 それは「罪悪感」と「恐怖」という、彼が最も排除すべきだと教えられてきた「ノイズ」だった。

 この損失は、許容範囲を超えている。

 これは、ただのポーンの喪失ではない。これは――

「天野光」という、たった一人の人間の、命の喪失だ。

「蓮、どうするんだ! このままじゃ天野が死んじまうぞ!」

 大友の絶叫が、蓮の意識を現実に引き戻した。

 司令室は、混乱の極みにあった。

 蓮は、震える手でコンソールを操作し、父からの通信を一方的に遮断した。

 人生で初めての、絶対的な命令への反逆。

 彼はゆっくりと、しかし確かな意志を持って席から立ち上がった。

 ダイブギアのヘルメットの中で、彼の瞳は大きく見開かれ、かつてない光を宿していた。

 彼は、全回線に繋がるマイクを掴むと、震える声で、しかし司令室の全てを圧するほどの大声で、叫んだ。

「――作戦、全面破棄ッ!!」

 その場にいた誰もが、息を呑んだ。

 蓮は、言葉を続ける。

「全機、現時刻をもって陽動及び奇シューッ……奇襲作戦を中止! 目標を変更するッ! アタッカー、天野光の救出を、最優先とするッ!!」

 語尾は裏返り、声はかすれていた。

 それはもはや、冷徹な「人形」のものではなかった。

 感情を、理性を、全てをかなぐり捨てた、一人の「人間」の、魂の絶叫だった。

 驚きと戸惑いの表情で、大友をはじめとするチームメイトたちが、呆然と蓮を見つめていた。

 彼らの目に映っていたのは、もはや『感情のない人形』ではなかった。

 ただ、仲間を救いたい一心で、世界に反逆しようとする、一人の少年だった。

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