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第39話 夜明け

 

 ゲルマニアの夜空を、二つの流星が引き裂いていた。

 一つは、復讐と罪の意識を背負った、漆黒の凶星。

 もう一つは、憎しみと絶望に魂を喰われた、狂える巨星。

 月読朔と、彼の兄・月読暁の精神を宿した怪物「キマイラ」との戦いは、常人にはもはや認識すら不可能な、異次元の領域へと突入していた。

 キマイラの動きは、まさしく悪夢そのものだった。暁の、神に愛されたとしか思えない天才的な操縦技術と、朔自身の、全てを読み切るかのような冷徹な思考パターン。その二つが、最悪の形で融合し、朔の取るべき全ての選択肢を、ことごとく封殺していく。

 だが、朔を本当に追い詰めていたのは、物理的な攻撃ではなかった。

『どうして僕を見捨てたんだ!』

『僕が、どんな思いで、あの冷たい機械の中で叫んでいたか、お前には分からないのか!』

『痛いよ、苦しいよ、寂しいよ、朔!』

 NSIシステムを介して、脳内に直接叩きつけられる、兄の、憎悪と絶望に満ちた魂の叫び。

 その奔流は、朔が、合理性という名の分厚い鎧の下に、ずっと封じ込めてきた罪悪感を、容赦なく抉り出していく。

 そうだ、俺が、兄を見捨てたのだ。

 俺が、生き残るために。俺が、最強になるために。

 あの白い部屋で、助けを求める兄の手を、振り払ったのは、この俺だ。

「――ぐっ…あああああっ!」

 激しい精神的負荷に、朔のドールの動きが、目に見えて鈍り始めた。

 ◇

「……もう、見てられないよ」

 アルゴ-ノーツ号の作戦室で、その地獄絵図を見守っていた天野光が、静かに、しかし、決して折れることのない強い意志を込めて、呟いた。

 モニターには、朔の精神汚染レベルが、危険領域レッドゾーンを振り切ろうとしていることを示す、無慈悲な警告が表示されている。

「無茶だ、光ちゃん! 今、あんたがキマイラの精神に接触すれば、その憎しみに、あんたの魂ごと取り込まれちまうぞ!」

 玲奈が、血相を変えて彼女を止める。クラウスもまた、冷静な表情の奥に、深い憂慮の色を滲ませていた。

「彼女の言う通りだ、天野くん。キマイラの精神は、純粋な憎悪の塊だ。あまりにも、危険すぎる」

 だが、光は、首を横に振った。

「ううん。違うよ。私には、聞こえるんだ」

 光は、そっと、自らの胸に手を当てた。

「あの人の、憎しみの、ずっとずっと奥の方で、たった一人で泣いてる、小さな男の子の声が。『寂しかった』って、ずっと、叫んでる声が」

 彼女は、自らの『始祖の鍵』としての力を、誰かに強制されるのではなく、初めて、自らの意志で、仲間を、そして、見ず知らずの魂を救うために、使うことを決意したのだ。

「お願い、玲奈さん、クラウスさん。私を、あの人の心の中へ、送ってください」

 ◇

 光の意識は、荒れ狂う情報の奔流を、一筋の光となって駆け抜けた。

 そして、彼女がたどり着いた場所。

 そこは、冷たく、どこまでも白い、無機質な実験室だった。

 部屋の隅で、幼い少年が、一人、膝を抱えて泣いていた。月読暁の、純粋な魂だった。

 光は、ゆっくりと、その少年の前にしゃがみ込むと、優しく、その頭を撫でた。

「……もう、一人じゃないよ。大丈夫」

 光の、温かく、そして、どこまでも優しい「心」の光。

 それに導かれるように、悪夢に囚われていた朔の精神もまた、その世界へと、引き寄せられた。

 目の前にいるのは、幼い頃のままの、泣きじゃくる兄の姿。

 そして、その後ろには、そんな兄を見ながら、どうすることもできずに立ち尽くしている、臆病な、もう一人の自分。

 朔は、初めて、その全てから、目を逸らさなかった。

 彼は、兄の前へと進み出ると、深く、深く、その頭を下げた。

「――すまなかった、暁」

 声は、震えていた。

「俺は、お前から、自分の弱さから、ずっと、ずっと、逃げていただけなんだ」

 その言葉に、暁は、顔を上げた。その瞳から、大粒の涙が、とめどなく溢れ出す。

 光の温かさに触れ、弟の、初めて聞く心からの謝罪の言葉に、彼の、憎しみで凍てついていた心は、ゆっくりと溶かされていった。

 憎しみは、愛情と、そして、どうしようもないほどの孤独の、裏返しだったのだと、彼は、ようやく理解した。

「……ずっと、会いたかったよ、朔……」

 長い、長い時を経て、二人の双子の魂は、ようやく、本当の意味で、一つになった。

 ◇

「――ありがとう、光さん。そして……さよならだ、朔」

 和解した暁の魂は、蓮たちに、最後の贈り物を託した。

 それは、キマイラのシステム中枢に記録されていた、クロノス・インダストリーと、世界中に散らばる委員会の残党に関する、全ての極秘データ。

 そして、暁は、光の、聖母のような光に守られながら、弟に、最後の言葉を告げた。

『ありがとう…兄さん…。昔、約束しただろう…? 二人で、本当の『夜明け』を、見に行こうって…。僕の代わりに、必ず……』

 その言葉を最後に、暁の魂は、満足したように、光の粒子となって、消えていった。

 それと同時に、ゲルマニアの市街地で暴れ狂っていたキマイラの巨大な機体も、全ての動きを停止させ、まるで眠りにつくかのように、静かに、静かに、その場に崩れ落ちていった。

 戦いが終わった街に、朝日が昇り始めていた。

 兄を解放し、自らの、過去の呪縛から完全に解き-放たれた朔。彼のドールが、ゆっくりとアルゴノーツ号へと帰還する。

 ハッチが開き、姿を現した彼の表情には、これまでに見たこともないような、穏やかで、そして、どこか吹っ切れたような、人間らしい感情が、確かに浮かんでいた。

 俺は、何も言わずに、彼の肩を、強く、叩いた。それだけで、俺たちの間には、もう、十分だった。

 クロウが、暁が残した膨大なデータを解析し、興奮した様子で、俺たちに報告する。

「こいつは、とんでもないお宝だ! これさえあれば、世界中に散らばる委員会の残党……いや、『クロノスの亡霊』どもを、一網打尽にできるぞ!」

 俺は、集まった仲間たち――アストレイ、アルゴノーツ、そしてエーデルワイスの、固い絆で結ばれた、新しい仲間たちの顔を、一人ひとり見渡した。

 そして、宣言する。

「俺たちの戦いは、もう、ただの抵抗じゃない。今日、この日から、俺たちは、この狂った世界を解放するための、国際的な協力組織――『アライアンス』となる!」

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