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第3話 人形のチェス盤、命のポーン

 

 神凪蓮の自室は、深夜の静寂に支配されていた。

 壁一面のホログラムスクリーンには、対ファーデン帝国用の最終作戦シークエンスが、青白い光を放ちながら浮かび上がっている。

 それは、無数の戦術分岐と確率計算を重ねた末に導き出された、冷徹な勝利の方程式。

 その中心には、ひときわ目立つ赤いアイコンが存在した。単独で敵陣中央に突撃する、一つの駒。

 コードネームは**【ポーン(Pawn)】**。パイロット、天野光。

『――いかなる犠牲を払ってでも勝利しろ』

 父の言葉が、亡霊のように脳内で反響する。

 蓮は完成した作戦データを見つめ、無感情にその数値を口にした。

「損耗率85パーセント。だが、これが作戦成功のための最適解だ」

 彼は自らの心を、思考を、完全に凍結させた。これはチェスの盤上で駒を動かすのと同じ、ただのロジックだ。そこに感傷が入り込む余地はない。

 迷いなくコンソールに指を伸ばし、蓮は作戦の最終承認キーを押した。

 確定の電子音が、静かな部屋に無機質に響き渡った。

 ◇

 翌日、招集されたA組選抜チームが待つ作戦会議室の空気は、張り詰めていた。

 中央の戦術マップを前に、蓮はいつもと変わらぬ淡々とした口調で、その非情な作戦の概要を告げた。

「作戦の要は、陽動だ。天野光が搭乗するアタッカー機が単独で敵陣中央に突貫。ファーデンが得意とする重装甲タンク部隊を引きつけ、その機能を完全に麻痺させる」

 説明に使われる機体は、すべて形式番号とコードネームのみ。パイロットの名前が呼ばれたのは、天野光、ただ一人。

 その名が出た瞬間、チームのエースパイロットである大友が、怒りで顔を歪ませて机を叩きつけた。

「ふざけるな、神凪! それじゃあ天野は袋叩きじゃないか! 生きて帰れるわけがない!」

 その声に呼応するように、他のチームメイトたちからも怒号が飛ぶ。

「そうだ! あいつら相手に単独で突っ込むなんて、自殺行為だ!」

「これは見殺しにする作戦じゃないか!」

 蓮は激昂するチームメイトたちを、まるで出来の悪い機械でも見るかのような冷たい目で見渡し、一蹴した。

「彼女一人の犠牲で、国家の勝利が得られる。これほど効率的な取引はない。個人の感情で国家の勝敗を左右させることこそ、愚の骨頂だ」

「天野は転校してきたばかりなんだぞ! お前にとって、あいつもただの数字なのか!」

 食い下がる大友に、蓮は言い放った。

「そうだ。パイロットも、機体も、すべては勝利のためのリソース(資源)に過ぎない。我々が操るアストラル・ドール――その正式名称を知っているか?『代替戦略戦術用再構成型装甲生命体人形』。そう、しょせんは人形であり、道具だ。パイロットも、その延長に過ぎん」

 会議室の空気が、完全に凍りついた。

 それは、チームの亀裂が決定的になった瞬間だった。

 蓮は、これ以上の反論を一切許さぬという威圧感を放ち、一方的に作戦会議の終了を告げた。

 ◇

 その日の放課後、蓮は天野光を学苑の屋上に呼び出した。

 夕暮れの赤い光が、二人のシルエットを長く伸ばしている。光はすでに大友たちから作戦の全容を聞かされているはずだったが、その表情は意外なほど穏やかだった。

 蓮は、一切の感情を排した声で、作戦の真意を改めて伝える。

「お前の生還確率は、シミュレーション上15パーセント以下だ。だが、これは司令官としての命令であり、この国の決定事項でもある」

 拒否は許さない。これは、そういう話だった。

 光は黙って足元のフェンスを見つめていたが、やがて顔を上げ、蓮の瞳をまっすぐに射抜いた。

「ねぇ、神凪くん。どうしてそんなに『勝利』にこだわるの?」

「……何が言いたい」

「その『勝利』が手に入ったら、神凪くんは幸せになれるの? 君が本当に欲しいものは、本当に、それだけなの?」

 彼女の問いは、作戦の是非ではなかった。それは、神凪蓮という人間の「心」そのものに向けられた、鋭い刃だった。

 蓮は一瞬、言葉に詰まる。脳内にノイズが走り、思考が停滞する。

 だが、彼は即座にそれを振り払い、表情を完璧な氷の仮面へと戻した。

「俺に心などない。俺は神凪家の道具であり、この国を勝利に導くための装置だ。それ以上でも、それ以下でもない」

 その答えを聞いた光は、少しだけ悲しそうに、しかしどこか納得したように微笑んだ。

「……そっか。分かった。なら、その作戦、私がやってあげる」

「何?」

 予想外の返答に、蓮がわずかに目を見開く。

 光は一歩前に出ると、悪戯っぽく笑って続けた。

「でも、一つだけ約束して。もし、私がその15パーセントを乗り越えて、ちゃんと生きて帰ってきたら……その時は、神凪くんの『本当の顔』、私に見せて」

「……本当の顔だと?」

「そう。道具じゃない、司令官でもない、ただの神凪蓮くんの顔。泣いたり、笑ったり、怒ったりする普通の男の子の顔が見てみたい。それが、私の報酬。どうかな?」

 それは、あまりにも馬鹿げた賭けだった。

 自分の命をチップにして、人形の心を引きずり出そうという、決死の提案。

 蓮は何も答えられなかった。ただ、夕日を背に受けて立つ少女の姿が、彼の網膜に強く焼き付いた。

 ◇

 そして、運命の日が来た。

 ファーデン帝国アカデミーとの「親善交流試合」当日。

 出撃ゲートへと続く薄暗いコンコースを、選抜されたパイロットたちがそれぞれの機体へと向かっていく。彼らの意識を戦場へと繋ぐ器――アストラル・ドール。パイロットの神経と直結するNSI(神経同期インターフェイス)によって、ドールは彼らの第二の肉体となる。その性能を最大限に引き出すため、機体はパイロットの適性に合わせて極限までカスタマイズされていた。

 司令官席へと向かう蓮と、自分のアタッカー機へと向かう光が、コンコースですれ違う。

 光はふと足を止め、蓮に向き直った。そして、いつもと変わらない太陽のような笑顔で、小さく右手を挙げてみせる。

 ――約束だよ。

 その唇が、声なくそう動いた。

 蓮は何も言わず、表情も変えず、彼女の横を通り過ぎる。

 だが、司令官席に座り、ダイブギアを装着するまでの間、彼の脳裏には屋上での光の言葉と、今見せた笑顔が、何度も繰り返し再生されていた。

『――全機、ダイブギア装着完了。NSI接続、オールグリーン』

『アストラル・コア、出力安定。シンクロ率、規定値内』

 オペレーターたちの冷静な声が響く。

 蓮はシステムの最終チェックを行いながら、自らに強く言い聞かせた。

(……余計なノイズだ。作戦遂行の障害となりうる不確定要素。速やかに排除し、任務に集中しろ)

 彼はゆっくりと瞳を閉じた。

 その瞬間、管制室のスピーカーから、無機質なカウントダウンが響き渡った。

『全機、出撃ゲートへ! カウントダウン開始! 5、4、3、2、1……』

 轟音と共に、目の前の巨大なゲートがゆっくりと開いていく。

 ゲートの向こうには、偽りのスポーツが行われる戦場が、眩い光と共に広がっていた。

 その光に向かっていくアストラル・ドールたちのシルエットを、蓮は、人形の瞳で見つめていた。

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