第28話 アルゴノーツ
轟音と共に、アルゴノーツ号の後部ハッチが閉じられると、外の世界の喧騒は完全に遮断された。
アストラル・ドールを格納したドックから、神凪蓮たちが案内されたのは、外見の無骨なトレーラーからは、到底想像もつかないような、ハイテクな空間だった。そこは、居住区画であり、整備ドックであり、そして、全てを統括する司令室を兼ねた、移動要塞の心臓部だった。
蓮たちを出迎えたのは、先ほどの声の主だった。
オイルで汚れたオレンジ色のツナギを着こなし、肩にかかる無造作な黒髪をかき上げながら、彼女は快活な笑みを浮かべた。
「ようこそ、アルゴノーツ号へ。改めて、あたしは、この船の船長兼チーフメカニック、橘玲奈だよ。よろしくな、お尋ね者さんたち」
その姉御肌然とした雰囲気に、大友たちは少しだけ緊張を解いた。
玲奈の後ろから、タブレットの光で顔を照らされた、中性的な人物がひょっこりと顔を出す。その目は、気怠げなようでいて、全てを見透かすような鋭さがあった。
「……どうも。僕はクロウ。しがない情報屋さ。君たちのデータは、なかなかスリリングで、面白い読み物だったよ」
◇
司令室の中央にある、ホログラムテーブルを囲み、自己紹介と、これまでの経緯の情報交換が行われた。
玲奈は、コーヒーを啜りながら、自分たちのことを語り始めた。
「あたしたちは、あんたたちと同じ、委員会によって人生を狂わされた者たちの、しがない集まりさ。小規模だけど、奴らのイカれた支配に抵抗する、レジスタンス組織ってとこだね」
このアルゴノーツ号は、彼女たちが長年かけて、スクラップの山から作り上げた、移動式の拠点であり、戦うための、唯一の「船」なのだという。
「あんたたちが、学園でやったことは、クロウの情報網で全部見てた」
玲奈は、真剣な眼差しで蓮を見つめた。
「あの鉄壁の委員会に、初めて一撃を食らわした、本物の英雄だ。だから、助けた。そして、あたしたちも、あんたたちの力を必要としている」
その言葉を引き継ぐように、クロウが、そのタブレットを滑らかに操作した。テーブルに、世界地図のホログラムが浮かび上がる。
そして、その地図上の、各国の主要都市が、次々と赤いアイコンで塗りつぶされていった。
「委員会は、日本だけの問題じゃない。アメリカの軍産複合体、ヨーロッパの国際金融資本、アジアの情報通信インフラ……その全てに、奴らの根は、深く、深く張られている」
クロウは、淡々と、しかし恐るべき事実を告げる。
「そして、『アストラル・コンバット』は、その巨大なネットワークを利用して、世界中の有望な若者の戦闘データを収集し、来るべき『新世界秩序』のための、使える駒と、使えない駒(その他)を選別するための、巨大なシステムなのさ」
その言葉は、蓮たちが、学園という、あまりにも小さな鳥かごの中で戦っていたに過ぎないという現実を、改めて、冷酷に突きつけた。
◇
その夜、橘玲奈は、アストレイのドールに残されていた、膨大な戦闘ログの解析に没頭していた。彼女は、元・委員会の、それもトップクラスの技術者だった。その瞳は、獲物を見つけた獣のように、鋭く輝いていた。
「……なんだ、これは……」
解析を進めるうち、玲奈は、ある一つのデータに釘付けになった。それは、天野光がアナリストとして使用していた端末のログと、彼女がNSIシステムに接続した際の、断片的な脳波データだった。
玲奈は、驚愕に目を見開いた。
「……ありえない。なんだ、この子のデータは……!」
玲奈は、司令室に蓮と朔を呼び出すと、厳しい表情で、自らの仮説を告げた。
「おい、お前ら。あのお嬢ちゃん……天野光は、ただのアナリストじゃないぞ」
彼女がモニターに映し出したのは、常人の脳波と、光の脳波を比較したグラフだった。
「あの子の脳波は、NSIシステムに対して、異常なまでの親和性(シンクロ率)を示している。もはや『才能』というレベルじゃない。あの子の精神そのものが、アストラル・システムに、直接干渉できる可能性があるんだ」
その言葉に、蓮と朔は息を呑んだ。
玲奈は、核心を突く。
「《ネフィリム派》の連中が、躍起になって彼女を狙う理由が、やっと分かった。奴らは、あの子を、ただの優秀なパイロットやアナリストとして見ていたんじゃない」
玲奈は、一つのキーワードを、スクリーンに表示させた。
【オリジン・キー(始祖の鍵)】
「奴らは、あの子を、人類を進化させ、全世界のネットワークを支配する、究極の統制AI『マザー・ブレイン』を起動させるための、この世にただ一つの、**『始祖の鍵』**として、狙っているんだ」
天野光は、もはやチームの一員というだけでなく、この世界の運命そのものを左右しかねない、極めて重要で、そして危険な存在となっていたのだ。
◇
その夜、蓮は、アルゴノーツ号の簡易ベッドで眠る光の寝顔を、静かに見つめていた。
玲奈の言葉が、彼の心に、重く、重くのしかかる。
自分が守ると誓った、太陽のような笑顔の少女。その存在が、世界の存亡を賭けた戦いの、まさに中心にいるという、過酷な現実。
蓮は、そっと、光の手を握った。冷たくなった、その小さな手を。
その時だった。
眠っているはずの光の指が、かすかに、本当に、ほんのかすかに、蓮の手を握り返したように、感じた。
蓮は、決意を新たにした。
委員会から、ただ逃げるのではない。光を、何としてでも守り抜く。そして、この狂った世界を解放するために、自らの意志で、戦いを挑むのだと。
「――司令官さん」
蓮が顔を上げると、背後に、いつの間にかクロウが立っていた。
「面白い情報が入ったよ。君のお父さん……神凪副長官が、近々、極秘裏にある人物と接触するらしい。場所は、第三セクターの、廃棄された化学プラントだ」
父との再会。
それは、蓮にとって、避けては通れない道だった。
物語は、次なる波乱の展開を予感させながら、鋼の船と共に、夜の闇の中を、どこまでも進んでいく。