第22話 選民の逆襲
中央管制室の制圧成功という、つかの間の勝利は、嵐の前の静けさに過ぎなかった。
拠点『砦』と管制室を繋ぐ内部回線には、安堵と、未来への希望に満ちた声が飛び交っていた。救出した生徒たちと協力し、負傷したドールの補修や、乏しい食料の再分配など、小さな共同体としての活動が始まっていたのだ。
蓮もまた、管制室から得られる膨大な情報を元に、学園内に散らばる他の抵抗勢力との連携を模索し始めていた。
だが、その司令官席の隣で、長谷川源蔵だけは、厳しい表情でメインモニターに映し出される学園の勢力図を睨みつけていた。
「……静かすぎる」
その呟きは、誰に言うでもなく、しかし確かな重みを持っていた。
「嵐の前の静けさ、というやつだ。委員会が、この重要拠点をやすやすと手放すはずがない」
その言葉は、すぐに現実のものとなる。
『――蓮くん、大変!』
光の切迫した声が、司令室に響き渡った。彼女が操る偵察ドローンが、信じられない光景を捉えていた。
学園の外周部を守っていたはずの選民派の部隊が、一糸乱れぬ統制の取れた動きで、一斉に、中央管制室へと進軍を開始していたのだ。その数、アストレイと抵抗派の戦力を、遥かに上回っていた。
◇
「なんだ、こいつらの動きは……!?」
大友が、驚愕の声を上げる。
モニターに映し出された選民派の部隊は、これまでの彼らとは比較にならないほど、統率が取れており、一切の無駄がない、プロフェッショナルの動きだった。
陽動として技術科が仕掛けた小規模なシステムエラーにも、彼らは一切引っかからず、ただひたすらに、最短ルートで管制室へと迫ってくる。
その部隊を率いているのは、前回の戦闘で撃破した学生隊長ではなかった。
委員会の息がかかった、プロの傭兵か、あるいは軍人であろう、冷徹な壮年の男が、後方の指揮官機から全軍を掌握していた。
「ちっ、指揮官が代わったか。それも、本物の殺しのプロにだ」
長谷川が悪態をつく。
蓮の指揮は、初めて経験する「プロの戦術」の前に、完全に後手に回っていた。
こちらの防御陣形の弱点を的確に突き、連携の隙間を縫うように、敵は着実に距離を詰めてくる。
管制室の防衛ラインが、一枚、また一枚と、じわじわと剥がされていく。
「くそっ、このままじゃジリ貧だ……!」
蓮の額に、冷や汗が浮かぶ。焦りが、彼の思考を鈍らせていた。
その時、隣に立つ長谷川教官が、静かに口を開いた。
「司令官が動揺すれば、部隊は崩壊する。落ち着け。深呼吸しろ」
その落ち着き払った声に、蓮ははっと我に返る。
長谷川は、敵の完璧な布陣を眺めながら、その口の端に、不敵な笑みを浮かべた。
「敵が、完璧な正攻法で来るというのなら、話は早い。こちらは、最も泥臭く、最もセオリーから外れた、とっておきの奇策で迎え撃つしかないだろう」
彼は、管制室周辺の立体地図を呼び出すと、蓮に一つの作戦を授けた。
それは、この管制室周辺の複雑な地形や、旧式の施設を最大限に利用した、大規模な「罠」を仕掛けるという、大胆不敵な作戦だった。
◇
蓮は、長谷川が提示した作戦の、そのあまりの無謀さと、成功した際の効果の大きさに、一瞬言葉を失った。そして、彼は、司令官として、極めて重要な決断を下す。
彼は、通信回線を繋いだ仲間たち全員の前で、深く、頭を下げた。
「皆に、頼みがある。この防衛戦の指揮権を、一時的に、長谷川教官に委任したい」
『なんだって!?』と驚く大友たち。
蓮は、顔を上げて続ける。
「俺の力だけでは、この敵には勝てない。俺たちは、学ばなければならない。本物の戦い方を。……だから、教えてください、長谷川教官」
その決断に、最も驚いたのは、月読朔だった。彼は、完璧主義者である蓮が、いとも容易く他者に頭を下げ、指揮権を委ねたことに、静かな衝撃を受けていた。それは、蓮が司令官として、そして一人の人間として、大きく成長した証だった。
朔は何も言わなかったが、その瞳は、蓮の決断を肯定していた。大友たちも、その覚悟を信じ、力強く頷いた。
「フン、面白い小僧だ。よかろう」
長谷川の指揮の下、抵抗派の、文字通りの総力戦が始まった。
技術科の生徒たちは、管制室へと続く地下通路に、強力な電磁パルスを発生させるトラップを急造で仕掛ける。情報科の生徒たちは、敵の通信に偽の情報を紛れ込ませ、彼らの連携を妨害する。
そして、アストレイのメンバーは、長谷川の指示通り、敵本隊を罠が仕掛けられたキルゾーンへと誘い込むための、危険極まりない「囮」となる。
それは、これまで蓮が立ててきた、スマートで理論的な作戦とは全く違う、極めて泥臭く、しかし、人間の知恵と勇気が試される作戦だった。
◇
作戦の最終局面。
敵の本隊が、ついに、罠が仕掛けられた地下通路へと、その足を踏み入れた。
敵の指揮官は、アストレイが追い詰められ、後退していると信じきっている。
その瞬間を、長谷川は見逃さなかった。
「――今だッ! 起動させろぉ!」
その号令を合図に、地下通路の全てが一斉に火を噴いた。
床下から吹き荒れる強力な電磁パルスの嵐が、敵ドールたちの動きを強制的に鈍らせる。偽情報によって指揮系統が乱れ、敵陣が混乱に陥った、まさにその頂点。
その頭上から、アストレイの部隊が、一斉に強襲を仕掛けた。
『なっ……!? 罠だと!? 馬鹿な、なぜこんな原始的な手に!』
敵指揮官の、驚愕に満ちた声が響き渡る。
セオリー通りの完璧な戦術は、セオリーを完全に無視した泥臭い奇策の前に、その前提を崩されたのだ。
蓮は、長谷川の神がかった指揮を、その目に、その肌に焼き付けながら、自らも的確な指示を飛ばしていく。
司令官として、そして一人の戦士として、彼は今、この戦場で、急激な成長を遂げていた。
学園の地下深くで繰り広げられる、知略の限りを尽くした防衛戦。
この戦いの先に、アストレイの、そして抵抗派の未来はあるのか。