第20話 抵抗の砦
作戦室のモニターに、青白い学園の立体マップが映し出されていた。
『――ポイントを特定したよ、蓮くん』
内部回線を通じて、天野光の、いつもより少し緊張した声が響く。彼女は、閉鎖された医務室から、その驚異的な集中力で学園ネットワークの僅かな隙間を突き、偵察ドローンを遠隔操作していた。
『食料備蓄庫とドール用のエネルギーチャージャーが併設された「第二ドールハンガー」。まだどの勢力にも占拠されていない。ここを最初の拠点にするのが、一番生存確率が高いと思う』
「了解した。全機、第二ハンガーを目標とする」
蓮の号令一下、チーム『アストレイ』は、それぞれのドールを起動させた。
しかし、彼らの動きは、既に「選民派」の知るところとなっていた。
学園の中央タワー最上階。かつての生徒会室を占拠した司令部で、ジークフリートの元側近だった男――現「選民派」のリーダーは、アストレイの動きを示すアイコンを、愉悦の表情で見つめていた。
「フン、優勝チーム『アストレイ』か。奴らは、我々が真のエリートであることを、他の愚民どもに示すための、格好の生贄だ。全隊に通達! 奴らを叩き潰し、その首を、我々の新時代の幕開けを飾るオブジェとせよ!」
蓮たちの、最初の拠点確保の道は、既に血に飢えた狼の群れによって閉ざされようとしていた。
◇
アストラル・ドールを駆り、第二ハンガーへと向かう道中、蓮たちは、変わり果てた学園の惨状を目の当たりにした。
破壊され、火花を散らす施設。割れた窓ガラス。そして、物陰に隠れ、恐怖に震える生徒たちの姿。
その時だった。前方の広場で、数機のドールが、一方的な暴力を振るっていた。選民派のエンブレムを付けた機体が、ドールを起動することもできず、ただ命乞いをする数名の一般生徒を、嬲るように追い詰めている。
「てめぇら、やめろぉッ!」
大友が、叫びと共に機体を飛び出させようとする。
だが、その動きを、朔の冷静な声が制止した。
「待て、大友。無駄な戦闘は避けるべきだ。我々の現在の最優先事項は、拠点の確保。ここで戦闘になれば、我々の位置が完全に露見する」
「だが、目の前でやられてる奴らがいるんだぞ!」
「非効率な感傷だ。彼らを助けたところで、我々が負うリスクの方が大きい」
二人の意見が、鋭く対立する。チームの空気が、一気に険悪になった。
蓮は、一瞬だけ、思考を巡らせた。
朔の言うことは正しい。合理的で、司令官として正しい判断だ。ここで彼らを助ければ、自分たちが選民派の主力を引き寄せてしまう可能性が高い。
しかし――。
目の前で踏みにじられようとしている命を見捨てて、その先に、自分が守りたいと誓った未来があるのだろうか。
「――助ける」
蓮は、決断を下した。
その声には、もう迷いはなかった。
「朔、お前の言う通り、これは非効率な判断だ。だが、俺はもう、目の前の命を切り捨てるような、ただの『人形』には戻らない」
その言葉に、大友は「だよな、司令官!」と力強く頷いた。
朔は、チッと小さく舌打ちをしたが、何も言わずに、その漆黒の機体を、静かに戦闘態勢へと移行させた。
アストレイの介入は、一瞬だった。
蓮の的確な指揮の下、大友が正面から敵の注意を引きつけ、その隙に朔が背後から一撃離脱。鈴木と佐藤の援護射撃が、残りの敵を的確に無力化していく。
圧倒的な連携の前に、選民派の斥候部隊は、なすすべもなく撃退された。
しかし、安堵したのも束の間、レーダーが、多数の敵影がこちらへ高速で接近していることを告げていた。やはり、本隊を引き寄せてしまったのだ。
絶体絶命。その時だった。
蓮のコクピットに、暗号化された、未知の回線から通信が入った。
『――新米司令官、なかなか骨のある決断をするじゃないか』
その声は、深く、しわがれていたが、不思議なほどの落ち着きと威厳があった。
『委員会の犬どもに、本物の戦術というものを教えてやるとしよう。馬鹿共が来る前に、さっさと第二ハンガーの第7ゲートから入れ。そこなら、しばらくは見つからん』
「あなたは、一体……?」
『戦術教官の、長谷川源蔵だ。』
◇
長谷川と名乗った老教師の手引きで、アストレイと、救出された一般生徒たちは、第二ハンガーの、忘れられたように埃を被った旧式の格納庫へと、身を隠すことができた。
救出された生徒たちは、蓮たちに何度も頭を下げ、心からの感謝を述べた。
「ありがとうございます……! 俺たちも、何かできることはありませんか!?」
「戦うことはできないかもしれないけど、整備や情報の分析なら手伝える!」
彼らの中には、優秀な技術科や情報科の生徒もいた。その瞳には、恐怖だけではない、抵抗の光が宿っていた。
蓮は、集まった十数名の生徒たちを前に、静かに口を開いた。
それは、彼がリーダーとして行う、初めての演説だった。
「俺たちは、委員会が言うようなエリートじゃないかもしれない。怖くて、足がすくむ時もある。だが、俺たちは、感情を捨てた人形じゃない。心を持った、人間だ」
蓮は、一人ひとりの顔を見渡し、言葉を続ける。
「だから、俺は抵抗する。この狂ったゲームに、俺たちの、人間の尊厳を賭けて、最後まで抵抗し続ける」
その言葉に、呼応するように、生徒たちの顔が上がった。
地図の片隅に、小さな、しかし確かな意志を持った、「抵抗の砦」が誕生した瞬間だった。
隠された拠点で、長谷川教官が、ホログラムの地図を広げ、蓮に助言する。
「ただ籠城していても、ジリ貧だ。まずは、奴らの『目』と『耳』を奪う必要がある」
彼が、その年季の入った指で指し示したのは、学園の全ての監視システムと通信網を統括する、「中央管制室」だった。
「ここを叩けば、奴らは一時的に盲目となり、我々は反撃の糸口を掴める」
蓮は、光や朔、そして、新たに加わった頼もしい仲間たちと共に、その地図を睨みつけた。
中央管制室の奪取。
それは、あまりにも無謀で、困難な作戦。
だが、この絶望的な状況を覆すための、最初の、そして唯一の反撃計画だった。