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第1話 人形と少女

缶ビール片手にうなだれながら書いています。

他の作品と違い読みにくいかもしれませんが最後まで読んでもらえたら嬉しいです。

では、新しい物語へどうぞ。

 

 無数の電子音が重なり合い、低く唸るようなサーバーの駆動音が満たす空間。そこが、神凪蓮かなぎ れんの世界のすべてだった。

 司令官席コマンダー・シートの硬質な感触だけが、唯一、現実との接点を教えてくれる。目の前にはホログラムの戦術マップが広がり、明滅する無数のアイコンが戦況の推移を冷徹に告げていた。

『――クソッ、左翼が崩される! 敵の機動、データより速いぞ!』

『こちらベクター2! もう弾薬が保たない! 撤退許可を!』

 チームメイトの焦燥に染まった声が、通信回線を通じて鼓膜を打つ。格下と分析されたはずの相手に、A組チームは明らかに押されていた。予測と現実の乖離。それは通常、司令官の動揺を誘うはずの事態だったが、蓮の心拍数は静かなままだ。

 彼の双眸は、瞬きも忘れたかのようにマップ上のアイコンの動きだけを追っている。脳内で高速に組み替えられる戦術ツリー。損失、確率、効率。あらゆる感傷を排したパラメータだけが、最適解を導き出すための変数となる。

「……プランCは破棄。プランDに移行する」

 静かだが、管制室の隅々まで響き渡る声だった。その声には、温度というものが欠落していた。

『プランD!? 待て、蓮! あのポイントには佐伯と中村がいるんだぞ!』

 チームのエースパイロットである大友が、悲鳴に近い声で反論する。プランD――それは、突出した友軍2機を囮として敵主力の注意を完全に引きつけ、その隙に手薄になった敵本陣を奇襲するというもの。成功率は高い。だが、囮となったユニットの生存確率は、限りなくゼロに近い。

「彼ら2機の犠牲で、勝利という結果が得られる。損益計算上、これ以上の最適解は存在しない」

『損益計算だと!? 仲間を、数字みたいに言うな!』

「これは戦争だ。感傷は、最も排除すべきノイズでしかない」

 蓮は冷たく言い放つと、司令官権限コマンド・オーバーライドでコンソールを操作した。佐伯と中村が駆るアストラル・ドールの制御系に介入し、強制的に進路を敵主力へと向かわせる。

『やめろ、蓮! やめてくれ!』

『うわあああああっ!』

 通信が悲痛な叫びと断末魔のノイズに掻き消されるのと、戦術マップ上で友軍アイコン二つが赤黒い光を放って消滅したのは、ほぼ同時だった。

 それと引き換えに、がら空きになった敵本陣へ、蓮の直轄部隊が殺到する。やがて、管制室に甲高く、しかしどこか空虚な勝利の電子音が鳴り響いた。

 戦闘後のブリーフィングを終え、無機質な廊下を歩いていると、前から来た大友とすれ違った。彼は蓮の数歩手前で立ち止まり、吐き捨てるように言った。

「……感情のない、人形め」

 蓮は反応しなかった。侮蔑も憎悪も、彼にとっては意味をなさないノイズだ。足を止めることなく、そのまま通り過ぎる。人形。そう、それでいい。それが神凪家の人間であり、「国の道具」としての正しい在り方なのだから。

 自室に戻り、壁一面を占める通信スクリーンを起動する。ノイズが走り、威圧感を纏った壮年の男のホログラムが浮かび上がった。内閣情報調査室副長官、神凪恭一郎。蓮の父だ。

「報告します。対抗戦、勝利しました」

『聞いた。損害2。勝利という結果以外、評価に値しない。無駄の多い勝利だ。神凪の人間は常に完璧でなければならない。感情というノイズは、お前にとって最大の敵だ。決して忘れるな』

「……はい、父上」

 通信が切れる。静寂が戻った部屋で、蓮は自身の両手を見下ろした。血も汗も流れない、綺麗な手だ。この手で、彼は仲間を切り捨てた。だが、そこにも感情の揺らぎはない。

 彼の日常は、任務と報告だけで構成されていた。明日も、明後日も、卒業するその日まで、それは変わらない。そう、信じていた。

 ◇

 翌日。国際戦略育成機関アストラル学苑の教室は、昨日の戦闘の話題でわずかにざわついていたが、蓮の周囲だけは真空地帯のように静かだった。誰も彼に話しかけない。彼の完璧すぎる成績と、味方すら駒としか見ない非情さは、クラスメイトたちから畏怖と反感を同時に買っていた。

 担任教師が教室に入ってくると、そのざわめきは収まった。

「諸君、静粛に。今日は転校生を紹介する」

 その言葉と共に、教室のドアから一人の少女が姿を現した。

 色素の薄い柔らかな髪が、窓から差し込む光を弾いてきらめく。快活そうな大きな瞳が、好奇心いっぱいに教室の中を見渡している。

「はじめまして! 天野光あまの ひかりです! 体を動かすのが大好きです! みんなと早く仲良くなれたら嬉しいな。よろしくお願いしまーす!」

 太陽、という陳腐な比喩が、これほど似合う人間がいるだろうか。彼女が頭を下げた瞬間、張り詰めていた教室の空気が、ふわりと緩んだ気がした。

 教師が示した席は、偶然にも蓮の隣だった。空席はそこしかなかった。光は小さな椅子を引くと、何のてらいもなく隣の席の主に笑顔を向けた。

「あなたが神凪蓮くん? すごい司令塔だって噂、もう聞いてるよ! よろしくね!」

 蓮は一瞥もくれなかった。視線は手元の端末に表示された次の対戦相手のデータに固定されたままだ。彼にとって、隣に誰が座ろうと、それは固定されたオブジェクトが一つ増えた以上の意味を持たない。

 完全な無視。普通の人間なら気まずさに口を閉ざすだろう。だが、彼女は違った。

「ねぇ、その端末、面白いの? やっぱり次の試合のこと? すごいなぁ、熱心なんだね」

「……」

「あ、もしかして集中してた? ごめんごめん!」

 まるで壁に話しかけているようでも、光は楽しそうだった。蓮は思考を切り替える。この声もまたノイズの一種だ。意識の外に追いやり、処理すればいい。

 しかし、不意に投げかけられた言葉が、彼の鉄壁の思考をわずかに穿った。

「でも、なんだろう。そんなに難しい顔してると、なんだか悲しそうに見えるよ。戦うの、本当は好きじゃないんでしょ?」

 ――悲しそう?

 その単語が、蓮の脳内で意味を結ばなかった。悲しい。それは、どのような感情だったか。父から、最も不要なものとして切り捨てるように教え込まれた感情。自分に向けられることなど、想定したことすらなかった。

 蓮は初めて、視線を端末から上げて隣の少女を見た。光は、彼の反応を待つように、じっとこちらを見つめている。その瞳には、憐憫でも同情でもない、純粋な興味と心配のような色が浮かんでいた。

 蓮は何も答えず、再び視線を端末に戻した。だが、一度生まれた思考の揺らぎは、消えることなく微かな残響となって彼の意識の底に留まった。

 放課後、最新鋭の操縦シミュレーターが並ぶ演習室に、その転校生の姿はあった。

 戦術科への編入テストを兼ねた実技試験。誰もが最初は戸惑う神経接続型のインターフェイスに、光はあっさりと適応してみせた。

『すごい……なんだあいつの反応速度!』

『セオリー無視の無茶苦茶な動きだ! でも、敵の攻撃を紙一重で避けてるぞ!』

 管制ブースで他の生徒たちのデータを確認していた蓮は、一つのディスプレイに釘付けになった。光の機体データだった。

 シミュレートされた敵機との近接戦闘。予測回避パターンを完全に無視した、まるで野生動物のような直感的機動。敵の射線軸に自ら飛び込み、刹那の瞬間にカウンターを叩き込む。常人なら神経が焼き切れるような無謀な動きを、彼女は楽しむかのように繰り返していた。

 表示されるスコアは、学年トップクラスのパイロットたちに匹敵、いや、近接戦闘能力に限ればそれを凌駕していた。

 蓮は無意識のうちに席から立ち上がり、ディスプレイの前に立っていた。

 彼の指が、まるでピアノを奏でるようにコンソールを叩く。光の戦闘ログを呼び出し、その一挙手一投足を詳細に分析し始める。

 思考の99%は、任務と勝利のために最適化されている。だが今、残りの1%が、目の前の未知のデータに強く惹きつけられていた。

 ――なんだ、この動きは。

 俺の知らない、俺の計算にない戦闘理論。

 それは、神凪蓮という完璧に設計された人形のプログラムに投じられた、最初のバグ(・・・・)だったのかもしれない。

 彼の完璧だった世界に、小さな、しかし確実な亀裂が走った瞬間だった。

最後まで読んで下さりありがとうございました。

引き続きよろしくお願いいたします。

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