第18話 証明
漆黒のドールが、稲妻となって戦場を駆けた。
月読朔の駆る機体は、全ての感情を削ぎ落したかのような、ただひたすらに合理的で、洗練された動きで、エヴァ・シュタインメッツへと肉薄する。
「――邪魔だ」
朔は、眼前に立ちはだかる留学生チームの僚機を、最小限の動きで、まるで邪魔な石ころでも蹴飛ばすかのようにいなし、その進路をこじ開けた。
『裏切り者がッ!』
初めて予測不能な事態に陥ったエヴァは、動揺から逃れるように、目の前の脅威――朔の排除に、その思考の全てを集中させる。
彼女の背後で、蓮の指揮によって覚醒した『アストレイ』のメンバーたちが、エヴァの「手足」である僚機を確実に無力化していくことにも気づかずに。
ここに、宿命の一騎打ちの幕が切って落とされた。
かつて同じ場所で「作られ」、一方は「人間」の道を選び、もう一方は「完璧な人形」であり続けた者同士の、決着の儀式。
高出力のビームサーベルが激しく交差し、アリーナ全体に甲高い金属音と、閃光をまき散らす。
『お前はまだ、委員会の操り人形のままか、エヴァ』
朔の冷静な問いかけが、エヴァの心をさらにかき乱す。
『黙れ、裏切り者! 私は、あなたのような出来損ないとは違う! 私は完璧だ! 委員会に選ばれた、次世代の支配者だ!』
激昂と共に、エヴァの攻撃はさらに激しさを増す。しかし、その動きは、もはや完璧な円舞曲ではなかった。ただ、怒りに任せた、荒々しい暴力の連鎖だった。
◇
「――見える」
司令官席で、蓮の瞳が、凄まじい速度で動く二つの機影の、さらに奥深くを捉えていた。
朔とエヴァの技量は、ほぼ互角。だが、精神的に追い詰められているのは、明らかにエヴァの方だった。
「仲間を信じる」という、アストレイが見せた不合理な戦術が、彼女の完璧な思考プログラムを、今もなお蝕み続けている。
そして、その焦りが、彼女の動きに、ほんのわずかな、しかし致命的な「癖」を生み出していた。
『蓮くん、今だよ!』
通信の向こう側から、光の、確信に満ちた声が飛ぶ。彼女もまた、アナリストとして、その「癖」が生まれる心理的なタイミングを、完全に見抜いていた。
――エヴァが、最もプライドを傷つけられた瞬間に、彼女の攻撃は、最も単純で、最も大振りになる、と。
蓮は、朔にだけ聞こえるプライベート回線を開いた。
「朔。今から俺が、お前のための、最高の舞台を用意する」
一瞬の沈黙。
『……死ぬなよ』
短く、しかし確かな信頼を込めた言葉が返ってきた。
蓮は、大きく息を吸うと、あえて全通信回線に響き渡る声で、叫んだ。
「エヴァ・シュタインメッツ! お前は、所詮、出来損ないの人形だ!」
『な……に……?』
エヴァの動きが、一瞬だけ、硬直する。
「仲間一人信じることができず、ただ与えられたプログラム通りにしか動けない、哀れな操り人形だ! お前に、俺たちは倒せない! 俺たちの絆は、お前のちっぽけな計算能力を、遥かに超えている!」
それは、彼女の存在意義そのものを、根底から否定する言葉。
完璧であるはずの自分を、「出来損ない」と断じられた瞬間、エヴァの冷静さは、完全に、そして決定的に、崩壊した。
「だまれええええええええええええええっ!!」
絶叫と共に、エヴァは、機体の全エネルギーを解放するかの如く、最大の必殺技――高出力の荷電粒子砲を、後先考えずに朔へと放った。
戦場全体が、白く染まるほどの閃光。
しかし、その動きこそ、蓮と光が、そして朔が待ち望んだ、最大の「隙」だった。
「――そこだ、朔ッ!!」
蓮の絶叫と同時。
朔は、まるで未来の全てを読んでいたかのように、その膨大なエネルギーの奔流を、最小限の回避運動で、自機の装甲を数ミリ削らせるだけで潜り抜けた。
そして、がら空きになったエヴァの機体の、その胸部――コクピットブロックに、カウンターのビームサーベルを、深々と、突き立てた。
時が、止まった。
『ワタシは……完璧、な、はず……なのに……』
それが、エヴァ・シュタインメッツが戦場で発した、最後の言葉だった。
彼女の駆る純白のドールは、その言葉を最後に、全ての光を失い、ゆっくりと膝から崩れ落ちていった。
◇
エキシビションマッチの終了を告げるブザーが、アリーナに鳴り響く。
だが、勝利を手にしたアストレイのメンバーに、歓喜の表情はなかった。
機能停止したエヴァの機体のハッチが、自動的にパージされる。中のコクピットが晒され、力なくシートに身を預けるエヴァの姿が、巨大スクリーンに映し出された。
彼女は、ただ虚ろな目で、何も映さない空を見つめているだけだった。
その時だった。
エヴァのコクピットから、彼女自身の声ではない、冷たく、平坦な合成音声が、アリーナ全体に響き渡った。
『――サンプルEによる、対イレギュラー戦闘データ、収集完了。多大な成果を確認。これより、プランはフェーズ2へ移行する』
その声を聞いた瞬間、蓮と朔は戦慄した。
エヴァもまた、あの『No.0』と同じ。自分たちと同じく、委員会の巨大な実験のための、ただの駒に過ぎなかったのだ。
戦いの後、後夜祭のキャンプファイヤーの赤い炎が、チーム『アストレイ』のメンバーたちの顔を照らしていた。
今回の戦いを通じて、彼らの絆は、もはや誰にも壊すことのできない、強固なものとなっていた。
蓮は、隣に座る光のホログラム映像に向かって、静かに言った。
「お前がいなければ、俺たちは勝てなかった。ありがとう、光」
光は、少し照れくさそうに、しかし嬉しそうに微笑んだ。
朔も、少し離れた場所から、その輪を、背を向けながらも静かに見守っている。
その穏やかな時間の終わりを告げるように、蓮の個人端末が、緊急の極秘通信が入ったことを知らせた。
表示された名前は、「学苑長」。
蓮が席を立つと、その声は、かつてないほどに切迫していた。
『――神凪くん、緊急事態だ。委員会が、ついに本格的に動き出した』
『彼らは、この学園そのものを舞台にした、最終的な『選別』を開始するつもりらしい。生き残れるのは、彼らが認めた、ほんの一握りのエリートだけだ…』
学苑長の、絶望に染まった声が続く。
『その計画のコードネームは…『プロジェクト・ラグナロク』』
偽りの日常は、完全に終わりを告げた。
学園全体を巻き込む、世界の終わり(ラグナロク)の名を冠した、最終決戦。
燃え盛るキャンプファイヤーの炎を見つめる蓮たちの物語は、次なる、戦いへと続いていく。