第16話 人形の挑発
エキシビションマッチの発表後、チーム『アストレイ』の作戦室は、重苦しい沈黙と、やり場のない怒りに満ちていた。
「どう考えたって、ハメられたんだ! あの女、絶対何か裏があるに決まってる!」
大友が、机を拳で叩きつけて息巻く。鈴木や佐藤も、同意するように険しい表情で頷いていた。
月読朔は、そんな彼らを冷めた目で見つめながら、冷静に事実だけを口にした。
「感情的に騒ぐだけでは状況は変わらない。敵の目的は、ランキング戦で得た我々の最新データの、実戦における有効性の検証。そして、俺という『裏切り者』の能力の再評価だろう」
「目的が何であれ、俺たちは勝つだけだ」
蓮はチームをまとめるように言ったが、その声には、自分自身に言い聞かせるような響きがあった。エヴァ・シュタインメッツという不気味な存在と、その背後にいる『教育指導委員会』の意図に、彼は重いプレッシャーを感じていた。
◇
エキシビションマッチまでの数日間、エヴァは、学園内で完璧な「アイドル」を演じ続けた。
誰にでも優しく微笑みかけ、成績も常にトップクラス。彼女の周りには、いつも自然と人だかりができていた。
しかし、その完璧な仮面の下で、彼女はアストレイのメンバーに対し、毒針のように巧妙な揺さぶりを仕掛けていた。
自習時間、大友がシミュレーターでの成績に伸び悩んでいると、エヴァは「偶然」を装って隣に座った。
「大友さんは、素晴らしい突撃兵ですのに、もったいないですわ。今の司令官は、少し慎重すぎて、あなたの力が十分に発揮できていないのではなくて?」
その言葉は、大友が心の奥底で感じていた、蓮の慎重な采配への、わずかな不満を的確に刺激した。
またある時は、射撃訓練場で調整に苦しむ鈴木と佐藤に、彼女は聞こえよがしに呟いた。
「チームのエースは、やはり月読さんなのでしょう? あなたがたの役割は、彼を引き立てるための、献身的なサポートに過ぎないのかしら」
その言葉は、二人のプライドを深く傷つけ、朔という圧倒的な才能への、嫉妬心という名の毒を静かに注ぎ込んだ。
エヴァの言葉は、決して直接的ではなかった。だが、それは確実に、チームの結束という名の鎖に、少しずつ、しかし確実に亀裂を入れていった。
◇
「……ダメだ。弱点らしい弱点が見つからない」
作戦室で、蓮は呻くように言った。
彼と朔が、エヴァ率いる留学生選抜チームの過去の模擬戦データをどれだけ分析しても、そこにあるのは完璧すぎる戦術と、機械のような連携だけだった。
蓮の論理も、朔の合理性も、その鉄壁の布陣の前には、有効な手立てを見出すことができずにいた。
「このチームは、個々の人間の集まりではない」
朔が、珍しく険しい表情で結論づける。
「エヴァ・シュタインメッツという、一つの超高性能な頭脳(CPU)によって制御された、手足の集合体だ。我々が相手にするのは、チームではなく、一人の完璧な人間と、その人形たちだ」
その時、作戦室の大型モニターに、ビデオ通話の着信表示が灯った。天野光からだった。
『二人とも、ちょっといいかな?』
モニターに映し出された光は、真剣な表情で、蓮と朔を見つめていた。
彼女は、病室のベッドの上で、パイロットとしての視点ではなく、純粋な「観察者」として、エヴァ個人の膨大な映像データを、繰り返し、繰り返し見ていたのだ。
「エヴァさんね、本当にすごいよ。蓮くんの論理的な思考も、朔くんの合理的な判断も、それに、大友くんの野生的な動きまで、全部、データとして完璧に『模倣』してる。まるで、色々な人の良いところだけを集めて作った、最強のパイロットみたい」
光の言葉に、蓮と朔は息を呑む。
「だが、それ故の弱点があるはずだ」と朔が低い声で返す。
光は、力強く頷いた。その瞳には、アナリストとしての鋭い光が宿っていた。
「うん。彼女の最大の弱点は、あまりに完璧すぎること。彼女の戦術シミュレーションの中にね、『仲間を信じて、あえて危険な役割を任せる』っていう、人間特有の不合理な選択肢が、ただの一つも存在しないの」
その言葉は、暗闇の中に差し込んだ一筋の光だった。
光は続けた。その声には、確信が満ちていた。
「彼女のチームは、彼女一人の頭脳だけで動いてる。だから、予測不能な事態、特に仲間が彼女の完璧な計算を裏切るような、『自己犠牲』や『感情的な連携』が起きたら……彼女の完璧なプログラムは、きっとフリーズしちゃうはずだよ」
「――人形は、一人じゃ戦えない……」
蓮が、光の言葉の本質を理解し、呟いた。
そうだ。完璧な人形は、プログラムにないエラーには対処できない。そして、人間の「心」こそが、世界で最も予測不能なエラーなのだ。
蓮の論理、朔の合理性、そして光の直感。
三人の異なる才能が、初めて一つの結論へと収束し、「打倒エヴァ」への、具体的な光明が見えた瞬間だった。
蓮は、チームメイトたちに、緊急招集をかけた。
「全員に、新しい作戦を伝える」
作戦室のドアを開けた彼の瞳には、もう迷いはなかった。そこには、確かな勝機を見出した、司令官の強い光が宿っていた。
学園祭の喧騒が、遠くから聞こえてくる。
偽りの平和を謳歌するその舞台の上で、アストレイは、チームの絆という名の唯一の武器を手に、最強の「人形」へと立ち向かう。
決戦の時は、刻一刻と迫っていた。