第15話 学園祭と人形のワルツ
1年A組の教室は、普段の張り詰めた雰囲気とは無縁の、どこか浮ついた熱気に包まれていた。
議題は、間近に迫ったアストラル学苑の一大イベント、学園祭のクラスの出し物について。
「やっぱり、ここは定番のメイド喫茶っしょ!」
「いや、うちら優勝チームのクラスなんだから、もっとこう、硬派なやつがいいだろ!」
「だったら、両方やればいいじゃん! メイド&執事カフェ!」
クラスの中心で、大友たちが盛り上げたその提案は、あっという間にクラスの大多数の賛成を得て可決されてしまった。
そして、その流れ弾は、当然のように、教室の隅で静観していた二人の男へと飛んでくる。
「で、執事役はもちろん、ウチのクラスが誇るツートップ、神凪と月読で決まりだな!」
大友がニヤニヤしながら言うと、クラスの女子生徒たちから「賛成!」という歓声が上がった。
蓮は眉をひそめ、朔は無表情のまま興味なしという態度を貫いていたが、民主主義という名の強制力には逆らえなかった。
こうして、蓮と朔の、人生で最も不本意な共同作業が始まった。
教室の飾り付けのため、不器用な手つきで風船を膨らませる蓮。その隣で、無表情のまま、しかし完璧な手際でリボンの輪飾りを作っていく朔。そのシュールな光景に、鈴木や佐藤は腹を抱えて笑い、他のクラスメイトたちも、遠巻きに微笑ましいものを見るような視線を送っていた。
『蓮くん、そこ、色が偏ってるよ。青の隣は黄色の方がバランスがいいと思うな』
病室のベッドの上からビデオ通話で参加している光が、的確な指示を飛ばす。
彼女は、アナリストとしての知識を遺憾なく発揮し、「お客様の動線予測と満足度向上のための最適オペレーション」と題された、完璧すぎるシフト表と、状況別の接客マニュアルまで作成し、クラスメイトたちを驚嘆させていた。
戦いから離れた、ほんの束の間の、普通の高校生らしい時間。その温かい雰囲気に、蓮の心も、知らず知らずのうちに解かされていた。
◇
新たな転校生、エヴァ・シュタインメッツも、そんなクラスの輪の中に、ごく自然に溶け込んでいた。
「まあ、すごい。これが日本の『GAKUENSAI』なのですね」
誰にでも完璧な笑顔を振りまき、どんな作業も、まるで長年経験してきたかのように、そつなくこなす。その人形のように美しい容姿と、優雅な物腰に、クラスの男子生徒たちはすぐに心を奪われていった。
だが、蓮と朔は、彼女の完璧さに、言いようのない不気味さを感じていた。
彼女の笑顔には、感情の色が一切乗っていない。他者との会話は、まるでプログラムされた応答のように、淀みがなく、完璧すぎる。
まるで、彼女は周囲の人間を観察し、「普通の女子高生」という役割を、ただ完璧に演じているかのようだった。
準備の合間、資材を運んでいた蓮に、エヴァがふわりと近づいてきた。
「神凪さん。あなたは素晴らしい司令官でいらっしゃいますが、時折、感傷に流される癖がおありのようですね。それは、指揮官として、最大の弱点となり得ますわ」
その言葉と口調は、かつて父から幾度となく投げつけられた言葉と、不気味なほどに酷似していた。
蓮が言葉を失っていると、今度は一人で窓の外を眺めていた朔の元へ、エヴァは歩み寄る。そして、流暢なドイツ語で、静かに囁いた。
『――Tsukiyomi-san. あなたほどの才能がありながら、なぜ敗北者の下につくのですか? 委員会は、いつでもあなたを歓迎しますのに』
朔は何も答えず、ただ冷たい視線で彼女を見返した。
エヴァは、二人の最も触れられたくない心の傷を、的確に、そして静かに抉り出してくる。そのやり口は、あまりに狡猾で、洗練されていた。
◇
『蓮くん、気をつけて』
病室の光から、蓮の個人端末にメッセージが届いた。彼女もまた、ビデオ通話の向こう側で、エヴァの不気味さに気づいていた。
『あのエヴァって子、なんだか人間じゃないみたい。笑っているのに、目が少しも笑ってないの』
蓮がそのメッセージに返信しようとした、まさにその時だった。
学苑全体に、緊急放送を告げるチャイムが鳴り響いた。
全教室のモニターが一斉に起動し、学苑長のホログラム映像が、満面の笑みで映し出される。
「諸君! 間近に迫った学園祭に、素晴らしいニュースが舞い込んできた! なんと、今年の学園祭のメインステージで、スペシャル・エキシビションマッチが開催されることが決定した!」
ざわめく生徒たち。
学苑長は、もったいぶるように間を置くと、高らかに宣言した。
「対戦カードは、先のランキング戦で見事優勝を果たした、我が校が誇るチーム『アストレイ』! 対するは、エヴァ・シュタインメッツさん率いる、精鋭の留学生選抜チームであります!」
教室のモニターに、プロモーション用の告知映像が流れる。
そこには、最新鋭のパイロットスーツに身を包み、氷のように冷たい瞳でこちらを見つめる、エヴァの姿があった。彼女は、留学生チームの司令塔兼エースパイロットとして、華々しく紹介されていた。
クラスメイトたちが、驚きと興奮の声を上げる。
その喧騒の中で、蓮と朔は、これが『教育指導委員会』によって巧妙に仕組まれた、自分たちの実力を衆目の前で測り、分析するための、新たな「実験」の舞台であることを、即座に確信した。
騒然とする教室。全ての視線が、蓮、朔、そしてエヴァの三人に集まる。
当のエヴァは、心底驚いたかのように、しかし完璧な笑顔で、可愛らしく肩をすくめてみせた。
「まあ、驚きましたわ。わたくし、アストラル・コンバットは、少し嗜む程度ですのに」
しかし、その目が蓮と朔を捉えた瞬間。
彼女の唇の端が、ほんのわずかに、愉悦の色を帯びて吊り上がったのを、二人は、決して見逃さなかった。
それは、獲物を前にした、冷徹な捕食者の微笑みだった。
偽りの平穏は、音を立てて崩れ去った。
学園祭という華やかな舞台の上で、人形たちの、新たな戦いの幕が、静かに上がろうとしていた。