第10話 偽りの盤上、仕組まれた駒
巨大なドーム型アリーナに、学苑長の甲高い声が響き渡っていた。
「これより、栄光と名誉を賭けた、学内ランキング戦の開幕を宣言する!」
眩いほどの照明と、地鳴りのような歓声。
学内全チームが整然とフィールドに整列し、その中心で、神凪蓮が率いるチーム『アストレイ』もまた、緊張した面持ちで立っていた。
しかし、その華やかな雰囲気とは裏腹に、観客席のVIPエリアでは、様々な企業のロゴを付けた大人たちが、まるで品定めでもするかのように、生徒たちに値踏みするような視線を送っていた。このランキング戦は、単なる学内イベントではない。未来の「商品」である生徒たちの価値を決定する、巨大な品評会でもあったのだ。
蓮の隣に立つ月読朔は、周囲の熱狂にも全く動じることなく、冷たい瞳でアリーナを見渡していた。
「くだらないお祭りだ。猿山の順位決めと何が違う」
その呟きに、すぐ隣にいた大友が反応した。
「ああん? やる気ねえならとっとと帰れよ、エリート様」
「勘違いするな。俺は任務を遂行しに来ただけだ。君たちのような感情的なお遊戯に付き合う気はない」
一触即発の雰囲気を纏う二人を、蓮は静かに制した。今は、内輪で揉めている場合ではない。見えざる敵が、この会場のどこかから、自分たちを見ているかもしれないのだから。
◇
ランキング戦、一回戦。
相手は、データ上では格下のチーム。蓮は、朔の加入を前提として、いくつかの新しい連携パターンを用意してこの初戦に臨んだ。朔の圧倒的な個人技を活かしつつ、他のメンバーがそれをサポートする。理論上は、負けるはずのない相手だった。
しかし、試合開始のブザーが鳴った瞬間、蓮は強烈な違和感に襲われた。
『――なんだ!?』
大友が驚愕の声を上げる。彼が仕掛けようとした奇襲攻撃が、まるで予知されていたかのように、完璧なタイミングで迎撃されたのだ。
蓮が指示を出す前に、その意図を完全に先読みされている。蓮が右と言えば左に罠があり、左と言えば右に伏兵がいる。こちらの思考が、相手に筒抜けになっているかのようだった。
「クソッ、どうなってやがる!」
鈴木の援護射撃も、佐藤の電子妨害も、ことごとく事前に対応され、機能しない。
チームは、完全に敵の手のひらの上で踊らされていた。
最終的には、朔が「見ていられない」とばかりに蓮の指揮系統を半ば無視し、彼の圧倒的な個人技で敵の陣形を無理やりこじ開け、そこを大友たちが意地で押し切る形で、辛くも勝利を収めた。
だが、司令室に戻った蓮の心には、勝利の安堵感など微塵もなかった。
試合後の重苦しいブリーフィング室。蓮は、チーム全員に告げた。
「今回の試合、我々の情報が、相手に漏洩していた可能性が極めて高い」
その言葉に、チームメイトたちの視線が、一斉に一人の男へと突き刺さった。月読朔だ。
「お前しかいねえだろ!」
大友が、隠すこともなく敵意を剥き出しにする。
「こんな絶妙なタイミングでチームに入ってきて、俺たちの戦術を敵に売ったんじゃねえのか!」
しかし、朔はそんな追及を、まるで意に介さなかった。彼は鼻で笑うと、冷ややかに言い返す。
「疑うのは自由だが、証拠もなく責任転嫁をするのは三流のやることだ。そもそも、司令官の陳腐で読みやすい戦術が、誰にでも予測できるだけのことではないのか?」
「てめぇ……!」
「やめろ、大友」
蓮が制止する。だが、チームの雰囲気は最悪だった。蓮と朔の対立は決定的となり、鈴木や佐藤も、どちらを信じていいか分からず、ただ戸惑うばかりだった。
◇
その頃、戦場から遠く離れた病室で、天野光は、たった一人で戦っていた。
ベッドの上でタブレット端末を握りしめ、蓮たちの試合の公式録画映像を、食い入るように見つめていたのだ。
コクピットの映像が映るたびに、フラッシュバックの恐怖が彼女を襲う。呼吸が浅くなり、冷や汗が噴き出す。それでも彼女は、仲間たちの力になりたい、その一心で、何度も、何度も、映像を再生し続けていた。
そして、パイロットとして戦っていた時には決して気づかなかった、様々な「情報」が、彼女の目にはっきりと見え始めていた。
光は、蓮にビデオ通話をかけた。画面に映る蓮の疲れた顔を見て、胸がちくりと痛む。
「蓮くん、さっきの試合、勝ててよかった。でもね、ちょっとだけ、気になったことがあるの」
光は、相手チームのリーダーの、些細な癖について指摘した。
「彼はね、蓮くんが相手の意表を突くような大胆な手を打とうとする直前、必ずコクピットの中で一度だけ、小さく頷く癖があるみたい」
「……なんだと?」
さらに光は、チーム全体の動きについても、彼女ならではの視点で分析してみせる。
「それとね、相手チームの動きなんだけど、蓮くんの指示そのものよりも、大友くんの動きに、少しだけ過剰に反応してる気がするの。まるで、チームの本当の起点は大友くんだって、誰かにあらかじめ教えられているみたいに……」
それは、戦闘データや戦術マップの分析だけでは、決して見抜くことのできない領域。数値化されない、「人間の心理」や「チームの空気」そのものを読み解く、光の天性の洞察力だった。
蓮の自室。光からの言葉に、彼は衝撃を受けていた。
言われたシーンを再生してみると、確かに、相手リーダーは指示を出す前に小さく頷いている。そして、チームの動きも、光の言う通り、不自然なほど大友の機体に引きずられていた。
「そうか……。俺は、盤上の駒の動きだけを見ていたのか……」
情報漏洩の事実は変わらない。朔への疑念も、まだ消えてはいない。
だが、蓮は、暗闇の中に差し込んだ、一つの確かな光を見出していた。
それは、戦場から離れた場所で、誰よりも深く、そして優しく戦場を見つめる、「仲間」という名の、最高の視点だった。
蓮は、通話先の光に、心からの感謝を伝えた。
「ありがとう、天野。お前は、俺たちの最高の『目』だ」
電話の向こうで、光が照れたように、しかし嬉しそうに微笑む気配がした。
見えざる敵との、新たな情報戦。その舞台の幕は、今、静かに上がったのだ。
蓮の表情には、次なる二回戦へ向けた、かすかな、しかし確かな希望の光が宿っていた。