第9話 空席のエース
戦術シミュレーション室に、無慈悲な電子音声が響き渡った。
『――シミュレーション終了。評価:Dマイナス』
神凪蓮が率いる新生チーム『アストレイ』の司令官席で、彼は固く唇を噛みしめた。メインスクリーンに表示された惨憺たる結果から、目を逸らすことができない。
仮想敵は、学内ランキングでは中堅クラスのチームデータ。以前の彼らならば、苦戦すらせずに圧勝できたはずの相手だった。
しかし、現実はこの有様だ。
「クソッ! またかよ!」
コクピットシミュレーターから吐き捨てるように言ったのは、チームの主砲を担う長距離支援担当の鈴木だ。彼の隣で、電子戦と索敵を担当する佐藤も、深いため息をついている。
「どうにも、動きが噛み合わないな……」
その原因は、全員が痛いほど理解していた。
チームの絶対的エースアタッカーだった天野光のポジションが、今はぽっかりと空席になっている。あの太陽のような少女が、嵐のように敵陣を切り裂いていた場所は、今やチームの最大の弱点となっていた。
蓮はその穴を埋めるため、そして「誰一人見捨てない」という自らに課した誓いを守るため、極めて慎重で、防御に偏った戦術を指示していた。
『――大友、前に出るな! 陣形を維持しろ!』
『――鈴木、射線が通っても撃つな! 敵の誘いだ!』
仲間を危険に晒すことを恐れるあまり、蓮の指示はことごとく攻撃のタイミングを逸させた。その結果、チーム全体の動きは硬直化し、ジリ貧の末に敗北する。これが、ここ最近の彼らの常だった。
司令官席から見る仲間たちの背中は、ひどく小さく、頼りなく見えた。いや、彼らをそうさせているのは、他ならぬ自分自身の迷いなのだ。
シミュレーションの後、蓮は一人、自室で過去のファーデン戦のログを見返していた。
そこに映し出されているのは、神がかり的な操縦で敵陣を切り裂く、光のアタッカー機の姿。それは、今のチームにはない、圧倒的な「光」だった。
「俺のせいだ……。俺が、彼女を戦場から……」
罪悪感が、冷たい鎖のように彼の心を縛り付ける。仲間を守りたいという想いが、皮肉にも、リーダーとしての彼の判断を鈍らせていた。
その頃、光もまた、病室の真っ白なベッドの上で、同じように無力感に苛まれていた。
タブレット端末に映し出された、仲間たちの苦戦する模擬戦の映像。画面の中の誰もが、焦り、迷い、苦しんでいる。
「みんなの……役に、立ちたいのにな……」
お見舞いに訪れた大友に、光は弱々しく呟いた。その声には、涙の色が滲んでいた。
「バカ野郎。お前はここに、生きててくれるだけで十分なんだよ」
大友はぶっきらぼうに、しかし精一杯の優しさで彼女を励ましたが、その言葉が、光の心の穴を完全に埋めることはできなかった。
◇
翌日のホームルーム。
季節外れの転入生の紹介に、1年A組の教室はわずかにざわついていた。
担任教師に促され、おもむろに姿を現したのは、息を呑むほどに美しい少年だった。
月光を溶かし込んだような、艶やかな銀髪。全てを見透かすかのような、怜悧な色の双眸。その存在は、昼の教室にはあまりに不似合いで、まるで異世界の住人のようだった。
「――月読朔だ。よろしく」
彼の挨拶は、それだけだった。
そのミステリアスな雰囲気に、クラス中の視線が集中する。
そして担任は、爆弾を投下するかのように続けた。月読朔は、学園の上層部からの「特命」により、蓮たちが所属するチーム『アストレイ』に、戦力補強として編入される、と。
あまりに唐突で、不自然な人事。蓮と大友は、顔を見合わせた。その背後には、間違いなく何者かの政治的な意図が渦巻いている。
放課後、チームの顔合わせを兼ねたブリーフィング室の空気は、張り詰めていた。
蓮が提示した防御重視の最新の戦術データを見るなり、朔は、何の遠慮もなく鼻で笑った。
「これが、あの神凪蓮の作戦か? 仲間を失うことを恐れるあまり、勝利の可能性まで捨てている。実に非効率で、感傷的なプランだ」
その言葉に、大友がカッと目つきを鋭くする。
「てめぇ、いきなり来て何様だ!」
鈴木や佐藤も、あからさまな敵意を朔に向けた。
蓮は彼らを制すると、冷静に、しかし強い意志を込めて反論した。
「俺は、誰一人見捨てないと決めた。犠牲を前提とした勝利に、もはや意味はない」
すると朔は、まるで出来の悪い生徒を諭すかのように、冷ややかに言い返した。
「その感傷的な理想論が、いずれチーム全員を破滅させることになるだろう。戦場に必要なのは、甘い救済ではない。最も合理的で、冷徹な『最適解』だけだ」
朔は席を立つと、侮蔑とも憐憫ともつかぬ視線を蓮に向けた。
「――今のあなたには、司令官の資格がない」
ブリーフィリーングの後、朔は一人でシミュレーター室へと向かった。
その手には、蓮たちが苦戦した仮想敵のデータが握られている。
彼は、アタッカータイプのシミュレーターに乗り込むと、たった一人でシミュレーションを開始した。
その動きは、驚愕の一言だった。
圧倒的な分析能力で敵の行動パターンを完全に予測し、トップクラスの操縦技術で、無駄な動き一つなく敵を殲滅していく。まるで、精密な機械がチェスの駒を一つずつ盤上から取り除いていくかのように。
結果は、パーフェクトスコア。チームで挑んでも勝てなかった相手を、たった一機で、しかも無傷で屠ってみせたのだ。
その一部始終を、別室のモニターで見ていた蓮は、戦慄と共に、ある種の既視感に襲われていた。
目に映る月読朔の姿が、かつての自分自身――仲間を駒としか見ず、非情で、完璧だった頃の『人形』の自分と、二重写しになった。
月読朔。
チームの救世主か、それとも破壊者か。
蓮の前に現れた「過去の亡霊」は、彼の、そしてチームの未来に、暗く、大きな影を落としていた。