【6】 悪魔との取引
【6】 悪魔との取引
戦いに勝つことはそう難しくはない。
勝てない相手には立ち向かわなければいい――。
そう僕達に教えてくれた戦士は臆病者、と村の人達に言われていた。
その昔、小鬼の大群に襲われた村を助ける事も無く、ただ、避難民の誘導と守護に当たっていたからというだけの理由で。
大人になった今なら分かる。
あの人は出来る限りの事をしたのだし、村の人達もそれを分かった上で割り切れない想いをぶつけていたのだ。
小鬼を退治できる戦士とはいえ一人で大群を相手に出来る訳も無く、村人全員を救える訳もない。
ただ、彼の存在がある事で小鬼たちは慎重に行動せざる得なくなり、深追いはせず、村の中で逃げ遅れた人々を襲う事に精を出すようになる。
全てを救う事が出来ないのなら、どれだけ救えるのかに頭を切り替えるべきだ。
そう教えられて「はいそうですね」と頷くことが出来たのなら、その人はきっと傭兵に向いている。
決して負ける戦には参加せず、勝てる局面を追い求める姿勢は「生き残る」という一点において、何事にも勝るものだと、僕は思う。
「小鬼どもが引き上げて来たか」
森が終わりに差し掛かった時、微かな話し声に気付いて物陰に隠れ、様子を伺っているとその背丈は子供ほどしかない怪物たちが姿を現した。
数にして三十か、それ以上。
別動隊がいるらしく、ひときわ大きな個体が指令を飛ばして走らせている。
「ゴブリンキング、とか言うのはいないみたいだね」
話に聞く小鬼たちに担がれた指導者の姿はない。
「大方、敗戦の責任を取らされて食われでもしたのだろう。奴らはおろかであるからな」
同族、同胞と呼んでよいのかは分からないが、人の価値観の上では同じ括りである魔王は毒を吐く。
正直手駒の末端。
勝手に増えては勝手に暴れる使い捨ての消耗品程度にか考えていないのだろう。
「切り結ぶにしても、武器がないしな……」
聖剣はユリアかマーリンが持っているのか、あの広間には落ちていなかったし、杖代わりのアレスの槍は真っ二つだ。
振り回して使うには心許無く、なによりもこれが無ければ僕はまともに歩けない。
「目からビームとか出せないの」
「なんだそのバケモノは。出せる訳が無かろう」
魔王の生首の癖に話すしか能がないなんて馬鹿にしているのはどっちだ。
「んじゃ、お前を人質にして交渉するかな」
生首だろうが魔王であることを告げれば時間稼ぎ程度にはなるだろう。
幸いなことに切れ味の悪そうなナイフは拾うことが出来た。
所詮は死体だと言い張るかもしれない。
でも、これは喋る生首だ。
流石の魔族であっても――、「無駄だぞ。奴らは我の顔など覚えておらん」
「…………は?」
覚悟を決めて思いっきり「さぁ、いくぞ」と踏み出した矢先の衝撃だった。
「嘘だろ。助かりたいからってそんな、」
「嘘などではない。貴様らは下民の隅から隅に至るまで、国王の顔と名を覚えておるか? ――おらぬであろう。所詮は象徴でしかなく、奴らに我の首を掲げた所で驚きこそはすれ、躊躇はせぬだろうさ」
「魔王だぞ。魔王。魔王の生首だって言い張ってもか?」
「言ったであろう。魔王は討たれる事に意味がある。打ち滅ぼされた後の魔王の首に何の意味があろう?」
最悪だ。
大前提、此奴を連れて歩けば交換材料に出来ると思っていたのに、無駄だった。
「え、まじ……? じゃ、本当に連れ歩き損じゃん……」
「割と早い段階で価値はないと言っておった気もするが――……、まぁ捨て置くなら好きにせい」
槍の先で無様に揺れる生首。
これじゃ単に僕が生首連れて歩くのが楽しくて吊るしてるだけみたいじゃん……。
しかも魔王っていうか、女の子の生首だし……。
「最悪だ……」
もう一度うなだれておく。
魔王を人質にとる時点でちょっとどうなのかなー、と思っていたのにそれが全くの無駄だったなんて、徒労も良い所だ……。
「そう落ち込むでない。あながち無駄と言う訳でもないだろうからな」
「ん……?」
言って魔王から一筋の魔力の筋が降りて来た。
「労働には対価を払わねばならぬ。万全とはいかぬだろうが、その死人の身体であろうと小鬼程度には苦戦もせぬだろうさ」
言うが早いか、その魔力は僕の身体に流れ込み、それまで継ぎ接ぎだらけだった体の感覚が、少しずつ、いや、本当に僅かばかりにだけど、溝が埋まり、繋がったような感覚が生まれた。
「魔法は使うでないぞ? 激しく動いても消耗が激しいからな。最低限の戦闘に留めよ」
偉そうな口調で告げながら揺れる魔王の生首。
「お前……」
「捨て置いても買わんとは言ったがな、死に際ぐらいは選びたいというのが本心だ。貴様らとの死闘の末、荒野に転がって果てるのを待つというのも味気なかろう」
つまりは利用価値がある間は自分を連れて歩け、という事なのだろう。
「感謝はしない」
「する必要も無い。これは取引であるからな」
魔王は鼻で笑い、僕もまた鼻で笑い返す。
どの世界に互いに殺し合い、道連れにしあった相手と手を取り合う勇者と魔王がいる?
そんなの、おとぎ話としては下の下。
一流の吟遊詩人であっても語るに困るネタだろう。
「んじゃ、いきますかっ……」
くるり、と、矛先に魔王を吊るしたまま槍を振り回して、僕はゴブリンたちの死角に回り込んだ。
多勢に無勢。
いつだって数に劣る勇者の基本戦法は奇襲であり、暗殺だ。
だからこそ、狙いはいつだって大物狙い。
僕らがこっそり魔王城に乗り込んで魔王を討ったように、今回も僕は息を潜め、岩陰を移動し、騒がしく走り回る小鬼たちに見つからないように息を殺して、
「…………おやすみ」
一番でかい、指示を飛ばしていた小鬼の首を切り裂いた。
口塞ぎ、喉を切り裂いた後は後ろから脇腹に差し込み、捩じり、心臓を捩じり切って、岩陰に身を潜めたまま様子を伺って、距離を取って。
――背後に、気配を感じた。
考えるよりも先に振り向きざまに一閃。
振り下ろされていた小鬼の腕を切り裂き、絶叫が木霊する。
無駄だと分かっていながらも顎を砕き、胸を一突き――。
振り返れば、多勢に無勢の小鬼たちと、目が合った。
「……バカものめ」
「あはは……」
力無く、笑って見せる。
生きている間だったら頬を汗が伝ったかもしれない。
一斉にとびかかって来る小鬼たちに槍を構えて勢いよく振り回れた魔王の悲鳴を耳にしつつも、やけくそに僕は叫ぶ。
「死にたい奴から掛かってこい! 僕は今日、ここに、死にに来た!」
否、既に死んでいるのだから眠りに来た、とか言うのが正しい表現なのだろうが――。
……どの道、小鬼たちの脳では僕の言葉の多くを理解する事などは出来ず、すぐに袋叩きに合うハメになった。
――そして僕は再びの散乱死体となる。
バラバラになった時点で蘇生魔法の効果が切れて、元の死体に戻ったらどうしようとか思っていたのだけど、そんな気配はなく、僕は身体が引き裂かれ、切り裂かれている間も僕でいることが出来た。
痛覚が無いのがせめてもの救いだ。
僕の手と足と腕と体が、あっちこっちに散らばっていくのを眺めつつ、隣に転がった魔王の頭が冷めた目で僕を見ていた。
「…………」
「…………」
無言で、お互いに時々小鬼に蹴飛ばされながら。砂で頬を削られる。
魔王殺しの英雄が、小鬼たちに蹂躙され、解体されるだなんて、なんて情けない……。
そう心底呆れられているのは考えるまでも無く明らかで、あからさまに機嫌が悪い。
そりゃそうだろう。僕も逆の立場だったら呆れているだろうし、言葉も出ない。
だから、
「ごめん……」
情けなく、僕は瞼を閉じた。
穴があったら入りたい……。
墓穴以外の、穴でお願いしたいのだけど。