【3】 旅の記憶と旅の終わり
【3】 旅の記憶と旅の終わり
僕と同じ前衛職のアレスとは、勇者養成機関でいつも喧嘩ばかりしていた。
没落貴族の流れを汲むアレスは常に「お前と俺達は違うのだ」とか言って鼻につく言動ばかり吐いていたし、実際、その言動が似合うぐらいには手合わせでも負けなしだったから同期の誰からも好かれてはいなかった。
でも、僕は此奴を越えるべき壁だと思ったし、いつだって全力で押せば応えてくれる気概には騎士道精神のなんかよく分からない誇りみたいなものを感じた。
「結局、僕は彼奴に一度とたりとも勝てはしなかったんだ」
誰に語ると言う訳でも無く、告げる。
妖精機関の訓練所でも、魔王城へ向かう道中でも、アイツは僕よりもずっと速く、僕よりもずっと力強く、剣や槍を振るい、僕を打ちのめし、魔族を討ち滅ぼした。
後ろに迫った魔族の脅威から何度も救われた。
「僕と組むって言いだした時は驚いたな―……」
アレス曰く。
「俺がお前と組まなかったら、誰がお前と組んでくれると思っているんだ」
だったか。
「とにかく、俺様精神の体現者って感じでさー。魔王討伐を成し遂げた後は、家の名誉を回復させて、近衛騎士として雇ってもらうんだって言ってたよ」
僕は杖代わりの槍を手に、ひたすら荒れ果てた大地を歩いていた。
「なるほどな。それほどの手合いであればこの戦果も頷ける」
「だろう?」
おびただしい数の死体が、転がっていた。
所によっては多くの魔族が一纏まりに。……かと思えば、転々と。僕が辿るべき足取りを示すかのように、仲間の繰り広げた戦いの痕が刻まれていた。
楽な撤退戦ではなかったことが、その惨状から伺える。
それでも、数多くの死体を積み上げながら、彼らの旅路はまだ先へと続いている。
続いていると、思っていた。
この場所に、辿り着くまでは。
「……なるほどなー」
まぁ、このペースで戦いを繰り広げていたのなら遅かれ早かれ、そういう事にはなっているだろうなって予感はあった。
「……アレス」
大きく切り立った崖。
そこを登る為に切り出された道を守るように、彼は岩に背もたれ、息絶えていた。
その足元には此処に至るまでの道中に積み上げられて来た数を同等か、それ以上の死体が転がっていた。
「バカだな。お前」
口先ではいつも僕達の事を足手纏いだの、やる気がないなら置いて行くだの言っていた癖に、「最終的にお前が置き去りにされてんじゃねーよ……」
寝てる訳じゃねーよな。と気になって突っついてみたが、その身体は力無く横に倒れ、息もしていなかった。
蘇生魔法を掛けられた形跡も無く、恐らくはマーリンとユリアを先に行かせる為に此処に残ったのだろう。
自らの命と引き換えに。迫る大群を引き受けるつもりで。
「バカだよ……」
言って横になってしまった身体を抱え起こし、握っていた剣を鞘に戻してやって眠りに着かせる。
分かり切っていた事だ。
魔王を討てたとしても帰る事など出来はしないという事を。
報酬目当てに集まった勇者候補生達ではあったが、実際の所は勇者として派遣される事で遺族に支払われる最低保証が目的であり、身売り当然の行いであったことも。
――それでも、僕達は帰ると約束したのだ。
いつか、おとぎ話の語り部となる為に。
「お前はどうするつもりだ?」
魔王討伐への旅に出発してから一週間ほどが経過し、そろそろ魔族領へと近づいて来たかという夜。野営地を張り、焚火を囲みながら夕食を取っているとアレスが何という事もなく尋ねて来た。
「いつも言ってるだろ。特に考えてないよ」
この手の話は養成機関時代から尽きることがない。
いつだって話の転がる先は報奨金の使い方であったり、特権階級として王政に食い込んでやるだのお姫様と結婚してハッスルしたいだの、夢想に花を咲かせるのが常だった。
ただ、僕はどうにもそう言った願望というものには疎く、孤児院で暮らす妹がまともな生活を送れるようになってくれたのならそれ以上の何かを望むつもりはなかった。
魔族の襲撃によって家族を殺され、村を奪われ、妹一人、まともに養ってやることもできない兄だ。
妹に身売りさせるぐらいなら僕がこの命を使って彼奴の将来を用意してやる。
そんな目的の為だけに僕は勇者養成機関の門を叩き、いまこうして勇者となった。
「僕の目的はもう達成できた。融通を効かせて最後の挨拶の時に金を渡して貰ったよ。逃げたら妹を売り飛ばすからなって脅されたけどさ」
それなりに真面目に訓練と向き合って来たつもりなのにひどくね? と笑うと、アレスは不満げにこぼした。
「貴様の未来について尋ねているのだ。妹の事など知った事ではない」
「ねーねー、酷くない?」
僕が同意を求めると「アレスは一人っ子だもんね。仕方ないよ」とマーリン。
そこから視線を向けられたユリアは困り顔で「ぁー……、うん。そうだね。アレスさんは他人の気持ち、あんまりよく分かってないみたいだから……」と曖昧に笑って返す。
マーリンは三人姉妹の長女。ユリアは孤児院育ちで血のつながっていない妹や弟の面倒をよく見ていたと言っていた。
「でもね。アレスさんのいう事も分からなくはないんですよ?」
若干の気まずさを覚えたのか、ユリアは気まずさを誤魔化す様に続けた。
「ギルくんはさ、もうちょっと生き残るって事に真面目になったほうが良いと思います」
ちょっと先生口調になったユリアに叱られるのもいつもの事ではある。
ただ、その物言いが普段よりも真面目で、心から心配されているのが分かったのでつい、
「ぇー……、僕は真面目だけどなぁー……?」
などと、誤魔化してしまった。
「だめだよ。そういうとこ。よくないっ」
ぷんすかぷんっ、といった感じに更に怒りをあらわにするユリアさん。
「あーあ、おこらせちゃったー」と煽るようなマーリン。
アレスに至っては呆れて物も言えないとでも言いたげに肩を竦めて見せた。
「バカか、貴様は」
「いや、アレス。これはお前のせいだろ」
「なぜそうなる」
「とにかくおまえのせいなんだよ!」
空気を読め! と言外に含ませるが、アレスは馬鹿正直というか、やっぱり鈍感なのだ。
言葉にして伝えないとこの騎士道精神を鎧にして被っているような堅物には伝わらない。
ぐぎぎ、と至近距離で威嚇し合っているとユリア先生の雷が落ちた。
「真面目に考えて!」
流石にこうも叱られると、黙るしかなかった。
「ちゃんと考えて。ギル君はどうしたいの? 私達と魔王を倒して、その後、帰って来て何をしたい? 自分には何もないとか言うのは簡単だけど、でも何かあるはずだよ。なにも無いっていうのなら、今からでも遅くないからやりたいこと、考えよ? きっとその想いは、いざってときに力になるからさ」
「って言われてもなァ……」
馬鹿にしている訳ではなく、本当に僕にはなにも無いのだ。
帰る場所など無く、妹がただまともに暮らせるだけの金さえあればそれでいい。
妹との仲が悪い訳ではないけれど、いつまでも僕が傍にいては彼奴は独り立ち出来ないだろうし、兄妹で引き取り手を探すよりも、世渡りの上手い妹は一人の方が良い家に養子として迎え入れて貰えるだろう。
「僕は……、やっぱり分からないかな……」
囲んだ焚火を前に、沈黙が舞い降りる。
「情けない奴だな」
「なにおう!?」
アレスに喧嘩を売られ噛みつきはするがどうにも空虚なものに感じてしまったのは、僕自身、ユリアに言われた「いざという時、力になりそうな願望」ってものが必要だと分かっているからで、「ま、魔王城に辿り着くまでには考えておくよ」僕は話を打ち切る。
長い旅になる。
その間にも様々な困難に出くわすだろうし、何度も死に掛けるだろうから、そのうち何か見つかるだろう。
いや、見つかって欲しいと、思う。
「ちなみにアレスは近衛騎士団に入るって言ってるけど、マーリンとユリアは? 参考になるかは分からないけど、教えて貰えると嬉しいかなー……?」
勇者養成機関で僕らは男子寮と女子寮に分けられ、生活区画は結構厳密に分かたれていた上に前衛職と後衛職の彼女達とではまともに語らう機会すら得られなかった。
ただ、模擬訓練で何度か組まされ、その都度、それなりに良い戦績を残せたから実戦への投入でもこのメンツで行く事になっただけだ。
だから、あまり深い話はしたことが無かったし、そう言ったことは旅の間にでもすればよいだろうと楽観的に考えていた。
「そうですね、良い機会ですし私もマーリンさんの夢、聞いてみたいですっ」
この場の空気をどうにかしようと思ったのだろう、ユリアは少しだけ明るい口調で尋ねた。
話の水を向けられたマーリンは杖を布で拭きながら頷く。
「ま、隠す事でもないしねー」
くるくるっと腕の中で木製のそれを回し、カッコよく構えて見せて笑う。
「あたしは魔法の研究に戻るよ。元々大学まで行って古代魔術の勉強するつもりだったし、世界が平和になったんならそういう誰もやらないような勉強をしたい」
「平和になった世界でか?」
アレスが眉をひそめる。
本来魔法とは戦いの為にもちいられる物であり、魔王が討たれ、平和が訪れれば日常生活に使われるようなもの以外はあまり必要とはされないだろう。
「いまでこそ魔法の研究開発には多額の国家予算が割かれてはいるが、情勢が落ち着けばそれも減らされてしまうだろうに」
ようは「そんな研究では食っていけない」と言っているのだ。
しかしマーリンは「ちっちっちっ」と指先を振って口の端を吊り上げる。
「分かって無いなぁー。食える食えないの話じゃないんだよ。第一、本当に魔王倒したらあたしたちって英雄じゃん? 報奨金もたんまりと貰えるし、儲かる儲からないは別に良くない?」
確かに、一生遊んで暮らせるだけの金が貰える予定なので、ただ好きな事をして暮らしたい、というのは何も間違っていなかったりする。
「ていうか、それを言うなら、王族の近衛騎士団の方がお仕事なくなっちゃうんじゃない? 魔族の侵略は減って、王族の護衛が主な任務になるだろうけどさ、それって退屈そ」
式典とかで行軍したり、旗を振り回したり――、とあってもなくてもよさそうな仕事の内容を上げるマーリンは少し小馬鹿にした調子ではあったが、アレスは気を悪くする素振りも見せなかった。
それどころか、
「それの何が悪い。平和な世の中だからこそ必要とされる仕事ではないか」
鼻息荒く、胸を張る。
「一切の汚れ無き鎧を金の無駄遣いだと笑う連中もいるが、血の流れぬ世こそ本来誇るべきものなのだ。俺はそういう時代を守り続ける騎士になりたいと思う」
曇りなき眼というのはこういう事を指すんだろうなって、勇ましいアレスの横顔を眺めながら思った。
僕は、臆面も無くそのような事を言ってのけるアレスの事が少しだけ羨ましい。
戦争が終わればやりたい事だらけだとでも言いたげなマーリンの事も。
そして恐らくはユリアも同じような希望を胸に抱いてはいるハズで、……なのに、今日を生き抜く事しか考えて来なかった僕には何もない。
……いや、見ようとしてこなかったのか。
そんな先の事など考えた所でどうしようも無い現実しか、目の前に転がってはいなかったから。
「……………………」
「……だいじょうぶだよ」
騒がしい二人とは対照的に沈んでしまった僕を見て何を思ったのか、ユリアが覗き込んで来た。
「きっとそのうち、何か見つかるから」
戦争とは無縁そうな柔らかい笑みを浮かべながら、そっと僕の膝に小さな手を乗せる。
まるできっとそうなると確信を持っているかのように頷き、ユリアは微笑む。
「なにか、か……」
もう一度、少しだけ、考えてみる。
この仲間たちと魔族の支配する西大陸を行き、魔王を討って帰って来た後の事を。
「……やっぱり、僕には難しいかな」
苦笑し、再び誤魔化した。
アレスのような家を復興したいという野望も、マーリンのように好きな事をして生きたいという願望も、僕には浮かんでは来なかった。
「そっか」
「……ごめん」
「ううん。ゆっくりで、良いんだと思う」
ユリアは優しく頷き、続ける。
「旅は、始まったばかりなんだから」
諭されるように言われ、僕は三人の仲間を見る。
勇者養成機関で知り合い、最低限の自己紹介しかしてこなかったパーティメンバーたち。
これからきっと、仲間になっていくであろう戦友たち。
仲間たちから視線を外し、焚火をぼんやり眺めていると突然アレスが腰を上げ、突然拳を振り上げた。
しゅばっ、と、力強く。
あまりにも突然の奇行に僕もマーリンも、ユリアでさえも目を丸くし、アレスを見上げる。
「いいか、俺達は、魔王を打ち倒して僕達は此処に戻って来るんだ。半年を掛けて踏破した道のりを半年を掛けて引き返して、凱旋するんだ」
民衆が我々を出迎え、天が我々を祝福するだろう! とまるで為政者のように語る姿に俺とマーリンは気圧され、ユリアは思わずと言った感じで拍手してしまっていた。
周りの空気など微塵も気にすることなく、アレスは続けた。
「だから、その時は、お前の夢を聞かせろ」
アレスの真っすぐな視線が僕を貫く。
微塵も疑う気など毛頭ないとでも言いたげに。
「そんな先じゃなくても、思い付いたら教えてやるよ。お前の王国近衛騎士団就任以上のでっかい夢って奴をさ」
僕は少しだけ恥ずかしくなり、視線をそらしてしまう。
なんだか負けた気がするが、……だって仕方ないだろ。こんな純粋バカの相手をまともに出来るほど、僕はもう子供でも無いんだから。
だが、アレスは屈託のない笑みで返す。
「それは楽しみだ」
どうしてあの時、アレスが僕にそこまでの期待とも呼べる感情を抱けたのかは未だに分からないのだけど、それでも、あの時見せたアレスの嬉しそうな顔は、いまもまだ脳裏に深く刻まれていた。
僕が初めて、アレスを越えるべき壁ではなく、「戦友」だと思う事が出来た瞬間だったから。
「……カッコよく逝きやがって」
物言わぬ死体となった戦友に僕はいま一度話しかけ、何を告げるべきか、いま一度胸の内であの夜の会話を反芻する。
「僕はさ、英雄なんて柄じゃねーし、戦争のなくなった未来なんて想像もできねーけど、」
なんとなく、浮かんで消えていくのは魔族に奪われる前の故郷の景色で、
でもそれは、すぐに燃え盛る炎によって飲み込まれ、暖かった家族の思い出は、残酷な悪夢へと塗り替えられていく。
「お前達と一緒に、もう一度旅が出たらいいなって思ってたよ」
少なくとも、それ程にまでこの旅は僕にとってかけがえのないものだった。
養成機関で過ごした三年間よりも、故郷で過ごした十年よりも、魔族と戦いながら歩いた、この旅路が僕の中では掛け替えのない思い出で、宝物だった。
「まぁ、先に自爆宝珠使った僕がいうのもお角違いなんだけどさ」
魔王の魔法を止める為に術者の息の根を止めた。
それでアレスたちが助かるのなら、帰りの旅路に僕はいなくて良いと本気で思った。
思ったのに――、「……アレス」
何度呼ぼうがあの生意気な騎士見習いは二度と言い返して来ることはない。
本来であれば魔族を道連れにし、……また長引く死への苦痛への救済となり得る自爆宝珠を自らに使用する事無く、迫り来る大群に向けて投げたのだろう。
岩の裏手に転がる死体は大きく損傷し、所々が焦げていた。
最期の最後まで此奴は剣を振るい、追っ手にとっての脅威となり続けたのだ。
さながら、主君を命に代えても守ろうとする騎士のように。
「お前は立派な近衛騎士だよ」
生き残ることが出来たのならきっと、騎士団長とかにもなれたんじゃねーのか?
そんな軽口をたたく気にはなれず、僕は戦友を置き去りに先を急いだ。
杖代わりの槍が、少しだけ、重くなったように感じられた。
「人は、愚かな生き物であるな」
崖伝いの細道を登っていると魔王がいった。
「種としての生存。後に連なる者共が生き残りさえすれば良いというのはあまりにも個の価値を低く見積もり過ぎておる。優秀な一つの個体を育てる為にどれほどのコストが掛かっておるのかを分かっておらんのか?」
馬鹿にする風ではなく、ただ一つの疑問として投げかけられる言葉に僕は頷く。
「分かってないんだよ。使う側も、使われる側も」
「ふむ?」
曖昧な返答に魔王は首をかしげるような素振りを見せるが、首から上しかないのだ、口先を捻らせるにとどまった。
「ていうか、自分の命が一番大切だなんて言ってたら、戦争なんて出来ないだろ」
「それもそうじゃな」
「ああ、そうさ」
ヒト一人。一兵卒に一つの命。
そんな風に考えてしまったら敵の命さえ奪えなくなってしまう。
あくまでも僕達は使い捨てられる戦場のコマで、使い捨てられたとしても代わりの効く存在でしかない。
そうやって割り切る事で初めて僕達は死地へと踏み入ることが出来る。
否、踏み入ることが出来たのだ。
戻る事の出来ない旅路だとしても、そうやって使い捨てられることが当然なのだと思い込む事で、恐怖を、抑え込んだ。
「なのにアイツらは戦いの終わった後の事を真剣に考えろだなんて言いだしやがった」
言い出しっぺはアレスだったがマーリンも、ユリアもその論調には同調した。
戦いを最後に有利にするのは心の持ちようだとか、いざとなった時の踏ん張りとして心の中に支えがあれば強くなれるんだとか、精神論でしかないはずの「夢」について仲間たちは真剣に語らった。
「矛盾してるよな。色々と」
戦う為には人間性を捨てるしかなくて、
でも、戦っていると捨てるべき人間性こそが、人の本質だと気付かされる。
「敵の命は奪いたいけど、仲間の命は奪われたくない、なんて、本当に、良い性格してるよ」
それを矛盾と呼ぶには余りにも容易い。
しかし、僕達はそういった曖昧な価値観の中で揺られながらこの旅を通して、互いを良く知り、仲間になったのだ。
最初は「足手纏いになるなら、帰りは置いて行くぞ」なんて言っていた癖に、自分が残ることを選ぶ程度には。
「分からぬな。やはり我には分からぬ」
槍の先で揺れながら魔王は繰り返した。
「自らの死した後の世の事など、些事でしかないであろうに」
揺れる魔族の王は、王らしからぬ論調を展開し、
「ああ……、そっか、お前は魔王として生まれただけで魔王に成ったわけじゃないんだもんな」
僕は少しだけその生首の事を可哀そうに思った。
「魔王としての責務は果たしたつもりだ」
「ああ……、そうだよな。うん。そうだよ」
魔王は手強かった。
本当に手強かった。
これまで相対して来たどの魔族よりも。
これまで目の当たりにして来たどの魔法よりも。
強大で、足がすくむような恐怖すら感じた。
実際、仲間の助けが無ければ隙を作る事も出来なかったし、自爆宝珠を使わなければとどめをさすことだって出来なかった。
強かったのだ、どの魔族よりも。
……でも、此奴には仲間はいなかった。
従えるべき配下は用意されてはいても、共に旅する仲間は用意されてはいなかった。
アレスと戦って死んだ魔族達も、魔王を殺された事に怒り狂ってのものではなく、人間達に一矢報いねばという想いから来るものであり、魔王を人間に討たれたのであれば、魔族は勇者を討たねばならないという古より幾度となく繰り返されて来た風習の結果でしかない。
魔王は勇者に殺され、勇者は魔族に殺される。
それが有史以来繰り広げられて来た魔王と勇者との物語であり、魔王は最初から討たれるもの、なのだ。
「そう考えるとお前も大概可哀そうだよな」
少しばかり抱いてしまった悲哀も、あながち間違いではなかったことを知る。
配下の者に守られる訳でも無く、死して時代の終了を告げる為だけに存在する、だなんて。
「ふん。バカにするでない」
しかし、魔王は鼻を鳴らして見せた。
「いまでこそこのザマではあるがな、我は貴様らと繰り広げたあの死闘こそが、わが生涯にとっての宝であり、童の存在意義であったと考えておるぞ」
身体がついていたら胸を張って言っていそうな物言いに思わず面食らう。
「憎くねーのかよ。お前を殺した僕達を」
「憎んでどうなるという話でもあるまい。全力で殺し合い、いまはこうして死人として互いに語り合っておる。手足が無いが故に文字通り手足も出ぬ状況ではあるが、なんならここからもう一戦、命を賭した戦いに興じたいと思うほどには我は満足しておるぞ」
「ああそうかい」
「うむ」
やはり人と魔族とでは相容れない。
僕達がどれだけ必死にこの化け物に立ち向かうだけの勇気を振り絞り、どうやって未来に希望を見い出して、剣を抜いたかも知らないで――。
「僕はテメェが憎いよ。魔王」
「ふむ」
憎しみを込めて呟いたつもりなのに、矛先で揺れる生首は気に留めるそぶりも見せず、笑った。
「心底、今の貴様とやり合えぬのが残念でならん」
と。
じぐり、と既に止まっているハズの心臓が痛みを覚える。
本当なら、僕は此奴と刺し違え、あの世に行くはずだった。
それなのに何がどうして、こんな奴を連れて仲間の後を追っているのか――。
「……テメェが人質として役に立たねぇと分かったら、鳥の餌にしてやるからな。覚悟しておけ」
煮えたぎる怒りをぶつけるように言ってみるが、魔王は相も変わらず涼し気な顔で揺れるばかり。
僕の独り相撲でしかないと虚しさを覚え、もくもくと、崖を登っていった。
あまり急ぐと取れそうになる左足に気を遣いつつ、僕はひたすらに歩みを進め、崖には血の跡が残るばかりで戦闘の傷跡が殆どない事に安堵した。
ここを登れば大森林。
追っ手を撒くには丁度いい場所ではあるし、魔族領だというのに聖水の湧く湖もあった。そこまでいけば、身体を休め、態勢を整えることが出来る。
前衛職の僕とアレスを失ったのは痛いが、ユリアが治療を行えるようになれば極力戦闘を避けながら森の中を進み、どうしても避けられない戦闘があったとしても、一旦魔力を回復させればマーリンの手数の多さでどうにか押し切れるだろう。
アレスの死は、無駄ではなかった。
……いや、アレスの死を無駄にはしない為にも、きっと二人は休息地まで辿り着くだろう。
いまの僕を彼奴らがどう受け止めるかは分からないが、残り少ない時間を囮役なり、壁役なり、出来ることをして二人を逃がそう。
いまの僕に出来る事は、……それぐらいだ。
ユリアは驚くだろうか。
マーリンは笑うだろうな。
アレスの事を尋ねられたら、……僕は上手く、伝えられるだろうか。
彼奴の死に様を。
出来ることなら――、と、思う。
これがどうか悪い夢で、本当は僕はもう既に死んでいて、追っ手は掛からず、アレスも無事で、三人とも、もう、人間の領土にまで辿り着いていて欲しい、――なんて。
少しずつ。
本当に少しずつではあるケレド、この死した肉体から自分の魂が削れていくのを感じながら、僕は仲間の元へと向かった。
死せる生。リビングエンドの分際で在りながら。