お母さんはお雛様
今日は3月3日。端午の節句だ。女の子がいる家庭の多くはひな祭りをする。それはとても楽しいもので、女の子は楽しみにしている。
川瀬優子は34歳の女性。兵庫県の神戸市に生まれ、現在は東京に住んでいる。夫の隆と結婚し、1男1女に恵まれて、幸せな家庭を築いている。
「今年もひな祭りか」
優子はひな壇とひな人形を見ている。とても美しいが、優子はどこかさえない表情だ。どうしたんだろう。泣いているように見えるが、泣いていない。それらに何か思い出があるんだろうか?
「どうしたの?」
「いや、お母さんを思い出してね」
母、冴子はすでに30年ぐらい前に亡くなっている。その冴子に何か思い出があるんだろうか?
「どんなお母さんだったの?」
「優しい人だった。だけど、あの日に天国に行ってしまった」
冴子はとてもやさしくて、優子の成長を見るのを楽しみにしていた。だが、1995年の1月17日に突然、亡くなった。父や近所の人々はみんな悲しんだという。それは、今でも忘れられない出来事だった。
1995年1月17日は、揺れで目を覚ました。今まで経験した事のない揺れだ。大地震だ。
「えっ!?」
「地震?」
優子と父の栄治は驚いている。何があったのかわかっている。だが、突然の出来事にアワアワしている。
「そんな・・・」
「隠れろ!」
栄治の言葉に、2人と冴子は布団に隠れた。だが、冴子は崩れてきたタンスの下敷きになった。そんな中、2人はおびえていた。
しばらくして、ようやく収まった。2人はほっとした。だが、別の部屋にいる冴子が心配だ。
「収まった・・・」
このまま家の中にいたら危ない。早く外に逃げよう。だが、冴子が心配だ。
「早く逃げよう!」
と、優子は冴子を気にしている。どこに行ったんだろう。一緒に逃げないと。
「ママは?」
栄治も焦っている。早く見つけ出さないと。どうなっているんだろう。とても気になるな。
「探すから待っててね。先に出ていきなさい」
「わかった・・・」
優子は先に家の外に出た。幸いにも家の中の損傷は少なく、簡単に逃げられた。だが、優子は気がかりな事がある。冴子だ。大丈夫だろうか?
外に出ると、そこには近所の人々がいる。彼らは地震で起こされて、外に逃げてきた。所々では火事が起こっているが、この辺りは大丈夫そうだ。
「優子ちゃん、大丈夫だった?」
声をかけたのは、近所の川上だ。川上は夫と2人暮らしの老婆で、倒壊した家の中には夫がいるらしい。
「うん」
しばらく川上と話をしていると、栄治が家から出てきた。だが、冴子がいない。そして、冴えない表情だ。何かあったんだろうか?
「あれっ!? ママは?」
「病院に行ったんだよ・・・」
栄治は寂しそうな表情だ。何かあったんだろうか? もっと深刻な何かがあったんだろうか? 優子は一気に不安になった。
冴子は入院したまま、全く帰ってこない。そのまま端午の節句を迎えた。だが、そこに冴子はいない。去年は一緒にいたはずなのに。入院していて全く帰ってこない。もう二度と帰ってこないんじゃないかと思っていた。
「今日はひな祭りだね」
「うん・・・」
栄治は喜んでいるが、優子は全く喜んでいない。冴子がいないからだ。どうしてこんなに帰ってこないんだろうか? 冴子の身に何買ったのでは?
「どうしたの?」
「お母さんがいないから・・・」
栄治は何か考え事をしている。入院していると言うが、本当はあの日にタンスの下敷きになって亡くなっている。話しても受け入れてくれないだろう。だから、入院していると言っている。だが、いつかはばれるだろう。その時、優子はどんな反応をするんだろう。とても不安だ。
と、栄治は指をさした。そこには、お雛様がある。そのお雛様に、秘密があるんだろうか?
「そこにいるさ」
「えっ!?」
どういう事だろう。優子はその意味が全くわからなかった。冴子は病院にいて、そこにいないはずなのに、どうしてだろう。
「ママはね、お雛様になったの」
「えっ!?」
ママがお雛様になったって? 優子はいまだにわからない。
「だから、お雛様になったの」
「どうして?」
優子は聞きたかった。どうして冴子はお雛様になったのか?
「いつまでも見守りたいと思ったから」
それを聞いて、優子は思った。もしかして、お母さんはあの日に死んだのでは? 入院したってのは嘘では?
「そんな・・・」
いつの間にか、優子は泣いてしまった。どうしたんだろう。
「どうしたの?」
「お母さん、死んじゃったの?」
栄治はまた焦った。どう言い訳しようか?
「いや、そうじゃないよ。生まれ変わったんだ」
結局、そう言う事しかできなかった。でも、いつかはばれる。ばれた時、どんな反応をするんだろう。そう考えると、下を向いてしまう。
そして、来年も端午の節句がやって来た。だが、今年も冴子はいない。いや、去年の1月17日からずっといない。病院からなかなか帰ってこない。優子はもうあきらめていた。もう死んでいるだろうと思っていた。
「今年もひな祭りだね」
「うん」
今年もやって来たが、やはり優子の表情は冴えない。その理由は知っている。冴子がいないからだ。お雛様に生まれ変わったと言っても、やはり実際に生きていて、目の前にいる方が幸せに決まっている。
優子はお雛様を見つめて、何かを考えている。何を考えているんだろう。栄治は気になった。
「どうしたの?」
「お母さん、死んじゃったんでしょ?」
そう聞いて、栄治は震えた。本当の事を言わなければならないのかな? もう言うべきなんだろうか?
「優子・・・、ごめんな。父さん、嘘をついてた。お母さん、地震で倒れてきた家屋の下敷きになって、死んだんだ。だけど、優子に伝えたくなかった」
だが、優子の表情は変わらない。まるで死んでいたのを知っているかのようだ。
「そうだったんだ。でも、お雛様に生まれ変わったって聞いて、そうかなと思ったの」
「そうだったんだ・・・」
やっぱりそうだったのか。お雛様に生まれ変わったってのは、嘘だったのか。やはり、お雛様に生まれ変わったんではなく、天国に行ってしまったんだな。だが、優子は悲しまなかった。もう死んでいると察していたからだ。
そういう思い出があったのか。そして、優子の母がそんな事で亡くなっていたとは。思えば、阪神・淡路大震災から今年で30年。今一度、あの日の悲劇を考え、備えをしっかりしなければ。
「そんな思い出があったんだね」
「あれからもう30年が経ったけど、あの日を忘れられないんだ」
結局、優子はあの日を忘れる事ができないようだ。だけど、忘れられないからこそ、その悲劇を伝えていくのが、被災者の使命なんだろうか?