あたたかい家族
学園を卒業したら実家の籍を抜けて、この国に永住しよう。今は留学生の立場だけどちゃんと就職して、この国の国籍を得よう。だから学園を一日たりとも休むことはなかったし、成績だって上位をキープした。本当はやりたくないクラス委員やボランティアにだって真面目に取り組んだ。
品行方正、成績優秀ともなれば王宮への推薦状が貰えるかもしれないし、国籍も取りやすくなるかもしれない。そんな打算に満ちた考えだったけど、俺はかなり頑張った。自分の未来は自分で切り開く。そんな物語の主人公みたいなことを掲げてた。
でも、それでも。
現実はそう甘くはなくて、理不尽はいつだって俺を捕らえて離さない。
「セオドア・ペレム君。ペレム伯爵家がね、お取り潰しだって。三親等までは毒杯を賜る可能性もあるかもね」
3年生の卒業式の途中、ボランティアで生徒会を手伝っていた俺を先生方が慌てたように呼び出した。訳もわからず着いていくと、放り込まれたのは学園長室。この国の公爵でもあるエドワード・ハノーヴァー学園長が真っ白な髭を指で撫で付け、開口一番、そう告げたのだ。
ペレム家は隣国の伯爵家で、俺はそこの長子だった。
完全な政略結婚だった両親は不仲で、俺と母は離れでひっそりと暮らしていた。父は結婚する前から付き合っていた平民の女を迎えいれ、ずいぶんと華やかに暮らしていたようだ。
病弱だった母が亡くなると、喪が明けると同時に平民の女を正式に後妻に迎えた。あちらには俺と同い年の子供がいたようで、俺は次男として隣国へ留学生として送られることになった。つまるところ、厄介払いだ。
母を虐げ、俺を捨てたペレム伯爵家と何もかも決別したくて今まで生きてきたのに。まだ俺の籍はペレム伯爵家にあって、何をやらかしたのかは知らないがアイツらのせいで、俺まで毒杯を賜ることになるのか。
怒りで目の奥が熱くなる。腹の底に黒い何かが沈んで行く。本当は今ここで叫んで、何もかもなぎ倒してめちゃくちゃにしてやりたい。でも、ここはお世話になった隣国で、俺はこの国の人になりたかったから。
いなくなるなら、迷惑をかけないよう綺麗にいなくなりたい。
「……こ、れから強制送還ですか、それとも、も、ここで…っ、死んだほうがいいですか」
泣くな、泣くんじゃない。耐えろ。泣いたって何にもならない。そうは思っても喉の奥は引き攣り、奥歯はカチカチと音をならす。嗚咽混じりにそう問うと、学園長は大きく横に首を振った。首の動きと共に髭が左右に揺れた。
「もっと抗いなさいよ、若者でしょ」
「むり、です…。俺が、い生きてることで、っ…迷惑かけちゃうか、ら」
「誰に迷惑かかるの?え、もしかしてこの国に迷惑かかると思ってるの?」
学園長の言葉に頷くと、彼は心外と言わんばかりに天を仰いだ。
「悪いけどねぇ、隣国は属国、この国は宗主国なの。属国の伯爵家ごときの子がかける迷惑なんてたかが知れてるよ。君は若者…いや、子供かな?子供らしく、頼れる大人に泣きついてもいいんじゃないの?」
演技ががったようなわざとらしい抑揚。でも、皺だらけの眼尻は優しさしかなくて。言ってもいいのかな。言って、嫌われないかな。駄目な子だって、利にならないって、厭きられないかな。
「あ、あの…えっと、」
ふと誰かが言っていた話が頭を過る。幸運の女神は前髪しかないって。だから、掴めるときに、掴まなきゃって。
手を伸ばして、いいのかな。
「──た、助けてください」
声は小さく、震えていたけど、学園長の耳には届いていたようで。いつの間にか隣に来ていた学園長は満足げに頷いて、俺を抱きしめてくれた。ふくよかな学園長は温かくて、真っ白な髭は少しくすぐったいけど、この温もりは心地がいい。人に抱きしめられたのは母以来だと思い出し、こんなに心が救われるのかとまた少し泣いた。
その後の学園長の行動は早かった。
泣きつかれて寝落ちした俺はいつの間にか学園長の家に運ばれて、翌日目が覚めると彼の養子になっていた。宗主国の公爵であり、前皇帝の弟、と言うのはかなり大きい影響力を持つらしい。属国である隣国は何も言わず、留学生としてこの国に来た日にペレム伯爵から籍を抜いていたことにしてくれた。
セオドア・ハノーヴァー。俺の新しい名前。学園長には子供が三人いて、全員が成人している。次期ご当主の長男と、既に有力貴族に嫁いだ双子の長女と次女。奥様やご兄妹に反対されるかも、なんて不安もあったが、温かく迎えてくれてほっとしている。
これからもっと頑張って、ハノーヴァー家に恩返しができればなって思っている。
父上が他国の子供を養子として引き取ってきた。しかも聖女召喚やら王太子による婚約破棄など騒動ばかりのきな臭い隣国の伯爵家から。子供は成績も素行も申し分ないようだが、いきなり公爵家の養子にしなくてもよかったのでは、と少し納得はしていない。将来美しく育ちそうな顔立ちはしていたから、伯爵家あたりでも良かっただろうと思うのだがな。
そんなことを考えていたが、彼を迎えて1ヶ月、私はとんでもない出来事に直面するのだった。
夜遅くまで仕事をこなしていたある晩のこと。何かを引きずるような音と小さな足音がゆっくりと部屋に近づいてきた。そして、控えめなノックの音。
「はいってくれ」
入室の許可をだすと、扉がギィと音を立てて開く。現れたのはシーツを頭から被った義弟であるセオドアだった。泣いているのか眼の縁は赤く、頬は濡れている。
「どうした、こんな夜遅くに。それになんで泣いているんだ」
仕事の手を止めセオドアに近づく。口をつぐんだまま涙を流す彼の頬を拭い、赤子をあやすように背中を叩く。16歳にしては幼すぎる様子に、内心面倒だなと思いつつ、彼が口を開くまではと一生懸命慰めた。
やがて彼は絶望に満ちた顔で、ポツリと呟いたのだ。
「俺の存在が、ハノーヴァー家のご迷惑になっていると伺いました」
俺の思考が読まれたのか、と思ったが、俺は迷惑とは感じていない。ただいきなり公爵家養子は順番が違うだろうと父上に思っているだけだ。セオドアがこの家に来てから父上と母上が楽しそうにしているのは確かだ。それを感じている侍従らが彼にそんなことを言っているとは思えない。
「誰がそんなことを言ったんだい?」
「……トンプソン夫人です。犯罪者の子どもを迎え入れると政敵に漬け込まれる。義兄上の今後の婚姻にも影響すると」
トンプソン夫人はセオドアのマナー講師として呼んだ女だ。養子であるが、セオドアはれっきとした公爵家の一員だ。よくもまぁそんなことを言えたものだ。選民感が強い女だと思ってはいたが、まさかここまでとは。
「セオドア、この公爵家に政敵など居らぬよ。それに君はあの家とはすでに縁を切った。そうだろう?」
優しい声音になるように意識しながらそう諭しても、彼は嫌々と首を振り、はらはらと涙を流す。何が彼をそこまで追い詰めているのだろう。幼くして両親に捨てられ、この国に送られたと言う。聞けば実家からの援助はなく、奨学金を得るために一人で相当な努力をしていたとか。
「でも!俺は!何も出来ないんです!こんなに良くしてくださるのに、何にも返せない。俺には何も価値がないんです…!」
「そんな価値だなんて、君は」
「高位貴族のマナーも教養もない、ハノーヴァー家に利益をもたらせない、俺がいるだけで、皆さんが悪く言われ、」
パンッと、気づけば俺は彼の頬を張っていた。人を叩いたのは人生で初めてだ。彼は呆けたような顔で頬を押さえている。
「君は我々の言葉よりトンプソン夫人の言葉を信じ、あまつさえ我が家を利益を求める冷徹な家と愚弄するつもりか」
「っちが、そんなつもりではっ」
「ならばそのネガティブな考えは改めることだな」
「……………は、い」
不承不承と言わんばかりの返事に、少し笑いが漏れてしまう。誤魔化すように彼の髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜ、その身体を抱き上げた。
「そもそもこんな夜更けに考えるからネガティブになる。良く寝て、温かい朝食を取ったあとに、もう一度話そうか」
「………はい」
セオドアを寝台に放り投げ、おれ自身も潜り込む。春とは言えどまだまだ夜は冷える。体温を求めるように彼の身体を後ろから抱え込むと、すぐに睡魔が襲ってきた。うつらうつらとする中、セオドアの背中が震えていることに気づいた。こやつはまた、泣いているのか。
「なにがかなしい?ほおがいたむのか…?」
「温かくて、嬉しいから泣いているんです」
「なら、いい」
互いの気持ちが恋慕に変わるのはまだ先の話し。
今はまだ、ぎこちない義兄弟として、ここにいる。