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化け物の哀恋

 ファンファーレが鳴り響いた。


 ニールは期待に胸を膨らませ、広間の扉へと視線を向けた。

 夕日を反射する湖面上で踊って以来……いや、あの日ミルドレットから口づけをされて以来、ニールの心は完全にミルドレット一色となっていたのだから。


 どれほどにこの日を待ち焦がれていたことか。


 アレッサも棄権した、もう誰もミルドレットが王太子妃となる事を邪魔する者などいない。

 ここに訪れてくれないのではと不安に陥ったが、彼女は自分を裏切る事なく戻って来てくれた。


 ついに、彼女を手に入れる事が出来るのだ。


——この日をどれほどに待ち望んでいた事か知れない。

 私の妃となった暁には、これまで以上に愛し大切にすると誓います。


 集まった貴族達も、王太子妃として確定されたミルドレットの姿を見るため、視線を広間の扉へと向けた。


 だが……。


 ルーデンベルン王アーヴィングにエスコートをされながら入場したのは、揺れる豪華なドレスを身にまとったアリテミラだった。


 輝く銀髪を上品に結い上げて、幼少期から叩き込まれた第一王女としての威厳を放ちながら、彼女は存分にその美しさを見せつけて深紅のカーペットを歩いた。


 誰もが認める彼女の美しさに、感嘆の声が漏れる。


 成程、傷物の姫であるミルドレットもまた『棄権』したのだろう。


 王太子妃候補全てが棄権したのであれば、元々王太子シハイルの婚約者であったアリテミラが召喚されるのは当然の事だ。と、貴族達はそう考えて、堂々たるアリテミラの姿をうっとりとして見つめた。


 エスコートしていたアーヴィングの肘から手を放し、アリテミラはヒュリムトンの王族達の前ですっと膝を折った。


 アーヴィングはアリテミラの横からドワイトを、ユーリを、そしてニールへと視線を移して見つめて、言葉を述べた。


「ルーデンベルン第一王女、アリテミラ・グレイス・ルーデンベルンを連れて参った。貴国の感謝祭を彩るに最も相応しい花であろう」


 その言葉に、ドワイトが満足げに笑った。


「噂にたがわぬ美しさだな」


 ドワイトの言葉に、アリテミラはふわりと微笑んだ。


「お褒めの言葉、感謝致します陛下」


 そして、恋焦がれる熱い眼差しをニールへと向けた。


「不出来な愚妹が、皆様にご迷惑をお掛けしてしまった様ですね。深く、お詫びいたしますわ。この身をヒュリムトンに捧げ、誠心誠意尽くして参ります」


「私は認めません」


 ニールが静かに怒りを抑えた様に言った。


「既に婚約者として決定していたアリテミラ姫が婚約を解消した代わりとして、ヒュリムトンは各国に通達してまで私の妃となる候補を集めたのです。今更無かった事になどできるとお思いですか」


 その言葉に、アーヴィングはあざ笑うかのような瞳を向けた。


「お言葉ですがヒュリムトン王太子殿。妃候補は全員脱落したように見受けられるが」


 沸々と沸き起こる抑えようの無い怒りを噛み潰し「まだミルドレット姫が来ておりません」と答えると、アーヴィングは小ばかにした様に鼻を鳴らした。


「だが、()()の背の傷を見たものは多いと聞き及ぶが?」


——その背の傷をつけたのは貴様だろう!!


 ニールは必死に怒りを噛み潰しながら、「傷があるから何だと言うのです?」と苦し紛れの様な言葉を吐いた。


 会場内がざわめいた。ヒュリムトン王妃に『罪人』と(なじ)られたミルドレットは、王太子妃に相応しくないと思う者たちは多い。

 本命のアリテミラが来たのであれば、それこそ最も王太子妃に相応しい、と。


「しかも、()()は紫焔の魔導士グォドレイと共に戻らぬと聞く。アリテミラ以外に誰が残っている?」


 更に放ったアーヴィングの言葉が決定打となった。


「王太子妃アリテミラ様!」

「未来の国母、アリテミラ様!」

「ヒュリムトンに栄光を与える美しい女神、アリテミラ様!」


 アリテミラを称える声がそこここから発せられた。

 アリテミラは、僅かに口元に笑みを浮かべ、そっとニールへと視線を向けた。


『皆がこう認めているのです。貴方も、私を受け入れなさい』


 彼女がまるでそう言っているかのようにニールには感じた。首を左右に振り、ニールは反論するかのように言った。


「これでは、今まで王太子妃選抜で努力を重ねてきた姫君に面目が立ちません。各国へもどう説明するおつもりですか?」


「その通りです」


 ユーリがニールを助ける様に声を放った。


「我が国の王太子妃を決めるのです。他国の王である貴方に、指図される謂れはありませんよ」


 会場内がどよめいた。お茶会でミルドレットの背の傷を指摘したヒュリムトン王妃は、アリテミラを王太子妃にと望んでいるものと誰もが思っていた。それに異を唱えたのだから、王族の顔色を伺う貴族達が動揺するのは当然の事だろう。


 うんざりした様にドワイトが小さく笑うと、主君の話を聞こうと皆静まった。


「ならば、王太子妃候補選抜の手順に沿って、投票で決めれば良かろう。残るミルドレット姫とアリテミラ姫。どちらが王太子妃として相応しいかを、公平に決めれば良い」


 ニールはぎゅっと拳を握り締めた。父王の言う言葉には従う他ない。


——何が、『公平』なものか。もともとそんなものは微塵も無かった。圧倒的に不利な状況下であったというのに、それでもミルドレットが必死に努力をしたからこそ、今まで残って来れたのだ。


 これは彼女に対する冒涜だ。


 口元を歪ませながら、アーヴィングが言った。


()()が、わざわざ戻って来るとは思えぬが」


  アーヴィングにとっては、どちらが選ばれ様とも損は無い。この男はミルドレットに掛けられた契約の魔術が解かれている事を知っているはずなのだから。


 グォドレイはヒュリムトンの貴族になどなりはしない。

 紫焔の魔導士であるあの男にミルドレットを連れ去られては、追う術が無い……!


 必死に怒りを押さえつけているニールの傍らで、ドワイトがため息を吐いた。


「無論、ミルドレット姫が戻らぬ場合はアリテミラ姫の不戦勝ということになろう。皆、異論は無いな?」


 ドワイトの言葉に皆は手を叩いて賛同を表明した。

 まるで、アリテミラの不戦勝が決定されたかの様な喝采にも似た拍手を、ニールは唖然として聞いていた。


 勝ち誇ったかのような顔を向けるアーヴィングの隣で、アリテミラは瞳を伏せ、落ち着いた様子で一言も発する事無く、決定した事柄の全てをただ無心に受け入れるかの様だった。


——ミルドレットは、まだ現れない。


 ニールの口の中で、ギリリと音が発した。


——いいや、このような敵ばかりの場に現れたのなら傷つくに違いない。もうヒュリムトンなどどうでもいい。いっそのこと、この場に居る者全てを皆殺しにしてやろうか……。


 すぅっと、ニールの周囲の空気が変わった。


 ドワイトとアーヴィングは瞬時に察知し、ニールへと視線を向けた。

 白銀の仮面を被ったニールは、椅子に腰かけ微動だにせず、凍り付く様な死神の笑みを口元に浮かべていた。


 人は得体の知れないものを恐れ、畏怖する。あまりの恐怖は心を狂わせ、正常に意識を保つ事すら難しくさせてしまうのだ。


 突如向けられた得体の知れない殺気は、確実に自分の命を奪うだろうという危機的恐怖が伴い、集まった貴族達の数名が気を失った。


 何も起こっていないというのに、一人、また一人と倒れていく異常な事態に、気が動転して悲鳴を上げる者達が続出し会場内は騒然とした。


「化け物め……」


 アーヴィングが小さくつぶやく様に言った。


——この化け物にアリテミラを嫁がせる気は無かったが、ルーデンベルン王たる自分の身には代えられない。


 アーヴィングは、捕虜となった自分の身を解放させる代償として、愛娘のアリテミラを差し出したのだ。

 生誕祭の夜、ニールを追い払った後にドワイトから伝えられた話はそれだった。つまりは、全てがドワイトの筋書き通りであるということだ。


「アリテミラ、ここはまずい」

「ですが、お父様……」

「黙って来い!!」


 身の危険を察知し、アーヴィングはいち早くアリテミラを連れてその場から離れた。臆病であるが故の危機回避能力は人一倍優れているのだから始末が悪い。


「シハイル」


 静かに言葉を放ったのは、ユーリだった。


「抑えなさい。貴方は王太子なのですよ」


 だが、ユーリの声などニールの耳には届いていなかった。ゆらりと立ち上がったニールの殺気に気圧されて、更に数名の貴族。そして、アレッサまでもが気を失い、デュアインが抱き留めた。


 感謝祭のお祝いムードであった会場は一変して死刑場であるかのような恐怖に包まれた。


 何が起こっているのか分からないまま、招待客達はとにかくこの場から離れようと、我先にと広間の扉へと向かった。


 そんな時、ファンファーレが鳴り響いた。


 パニック状態の会場内には似つかわしくない、まるで死への行進へと誘うかのようなその音に、一同は更に騒然とした。


 だが、扉は固く閉じられたままで、誰も入場してくるような気配が無く、皆が更なる言いしれない恐怖に襲われたその瞬間。


 室内を照らしていた全ての燭台の明かりが、一層明るく光り輝いた。


「待ち侘びていたようだな。何だ? 地獄絵図じゃねぇか」


 突如、深紅のカーペットの上に現れた男が言葉を放った。


「あーあー、ニコニコ仮面の野郎。気が短ぇにも程があるなぁ。少しは待ってろっての」


 目深に被った鍔の広い帽子で顔を隠し、深い紫色の髪をサラリと揺らして、彼は溜息交じりに言った。


「さて、紫焔の魔導士グォドレイ様が、お待ちかねの姫君を送り届けてやったぜ。有難く拝みやがれ」


 すっと手を差し伸べて指を打ち鳴らした途端、広間の扉が開け放たれた。


————そこには、輝く様な純白のドレスに身を包んだ銀髪の女性が立っていた。


 エレンのエスコートを受けながら彼女が一歩広間へと足を踏み入れると、純白のドレスの裾がふわりと可憐に揺れた。

 ためらいがちに結ばれた桜色の唇。儚げに伏せられたサファイアの様な瞳。誰をもくぎ付けにする程に魅力的なミルドレットの姿に、阿鼻叫喚と化していた場内がしんと静まり返る。


 ニールは一瞬のうちに殺気をどこかへと消し去った。


 待ち焦がれたミルドレットを迎え入れるかの様に、数歩前へと進み出たニールは、その足を止めることなく壇上から駆け下りた。


「お待ちしておりました。ミルドレット姫」


 ミルドレットへと手を差し伸べると、エレンが小さく会釈をしてエスコートを王太子へと譲った。


「殿下……?」


 戸惑う様に視線を向けたミルドレットに、ニールは微笑んだ。


「貴方を、ずっと待ち侘びておりました。貴方だけを」


 二人が手を取り合う様子を、皆が固唾をのんで見守った。

 先ほどまで理解不能な命の危険に晒されていたというのに、ミルドレットがこの広間へと足を踏み入れた瞬間、まるで女神が降臨したかの様に、場内が浄化されたのだ。

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