グォドレイとの約束
悲しみがニールの心を支配していた。
ユーリの言った言葉を思い出す度、鋭い棘の様に胸に突き刺さる。
『ミルドレットが愛しているのは、グォドレイ様よ』
黙れ。黙れ!! と、打ち消す様に心の中で叫びながら唇を噛み締める。
——愛など所詮は戯言に過ぎない。何もかも全てを終わらせてしまえばいい!
皆殺しにし、アーヴィングも抹殺することで自分の命も潰えることだろう。
そうすれば、グォドレイの隣で幸せそうに笑うミルドレットの姿を見ずに済むのだから。
ニールが腿に固定してあるスローイングナイフに手が触れた時、ふと背後に何者かの気配を察知し、パッと振り向いた。
「やれやれ。殺気が駄々洩れだぜ? 何でもぶっ殺しゃあ済むってモンでもねぇだろうに、おっかねぇ奴だな」
ため息交じりにそう言いながら深い紫色の髪を揺らし、耳に下げた大きなピアスから微かに金属音を発する男の姿に、思わず身構えた。
「……グォドレイ」
「待ちわびただろ? 逢いたかったか? 俺様に」
その整った顔に不敵な笑みを浮かべて言うグォドレイを見つめながら、ここで騒ぎを起こすわけにはいかないと、ニールは顎で合図して王城の屋根へと飛び乗った。
グォドレイが追って来るのを確認しながら裏庭へと向かうと、墓碑の前で足を止めた。
振り向きざまにすらりとスローイングナイフを指の間に挟み込んで構える。
「何をしに戻ったのです?」
殺気を放つニールに、グォドレイはやれやれと肩を竦めてため息を吐いた。
「お前さんは相変わらず殺伐としてんなぁ」
「……ミルドレットは何処です?」
「ミリーの事は心配いらねぇ。感謝祭にはちゃんと送り届けてやるからな」
その言葉の真偽を確かめようとじっと睨みつけた。が、ニールは直ぐにグォドレイの様子がいつもと違う事に気が付いた。
僅かに息を切らせ、その場にどっかりと腰を下ろしたのだ。
「……歳ですか?」
「ははは。冗談にもならねぇや」
苦笑いを浮かべながらそう言うと、グォドレイは幅の広い袖口から煙管を取り出し、ぷかぷかとふかし始めた。
「安心しろよ。お前さんとやり合う気はねぇさ。殺す気ならとっくにヒュリムトンの王城ごとふっとばしちまうしな。俺様にとっちゃあ、造作もないことだ」
——流石に、不意を突かれてそれをやられてしまえばひとたまりもない。
「どういう風の吹き回しですか? 私を妙な異国に拉致しておきながら、今度はミルドレットを帰すという言葉を信用しろと?」
ジロリとダークグリーンの瞳で睨みつけるニールに、グォドレイは一瞬寂しげな顔を浮かべた。
「信用……ね。俺様を信用しろだなんて言うつもりはねぇが、お前さんはどうせ誰の事も信用できねぇんだろ? ミリーの事もな」
「ミルドレットを返さない気ならば、死んで貰うだけです」
——この男を殺せば、ミルドレットは悲しむだろう。涙に暮れて、死んでしまうのではないかというくらいに泣き尽くすに違いない。
そう考えた時、ニールは初めて躊躇した。手に握るスローイングナイフの刃先が僅かに震える。
「……グォドレイ。私は、彼女に何を与える事ができますか?」
人の命を奪う事しか覚えて来なかった男が、懇願するように問いかけたのだ。貼り付けた笑顔の仮面が消え去り、困惑したようにダークグリーンの瞳を揺らしている。
「私は、誰からも愛情を与えられぬまま生きてきました。最早そんなことはどうでもいい事でくだらないとすら思っていたというのに、今になってそれが悲しい事だと認識したのです」
眉を寄せ、ニールが苦しそうに顔を顰めた。
「私は彼女が幸せそうに笑う姿が見たいのです。それだというのに、私は……彼女の幸せを奪うことしかできない!」
グォドレイはニールのその様子を見つめ、異国へと捨てて来た甲斐が少しはあったなと考えた。独りよがりで押しつけがましい行動ばかりをとっていたニールに、ミルドレットを思いやる考えが芽生えたのだから。
少しの間口を閉ざしニールを見つめた後、ため息交じりに言葉を吐いた。
「お前さんが与えられるもの、か……てめぇで考えろと言いてぇところだが……」
グォドレイの言葉に、ニールは小さく頷いた。
「私にも貴方の様な師がいたのならと思わずには居られません。そうすれば、こんな心の壊れた化け物にならずに済んだのではないかと」
嫌に素直にそう言うニールに面食らって、グォドレイは照れた様に頬を掻いた。
「お灸が効きすぎたか? お前さんだって苦労したんだろうからな。なんつーか、これじゃ俺様がまるでお前さんら二人の邪魔する悪者みてぇじゃねーか?」
ニールはグォドレイの言葉を理解するのに若干の時間を要した。自分こそがグォドレイとミルドレットの邪魔をしていると思ったからだ。
少しの間を空けた後、「今頃気づいたんですか?」とさらりと言うと、グォドレイはバスン! と頭の上に湯気を上げた。
「お前は、っんとにムカツク野郎だな!?」
「別に貴方に好かれたいと思ってはいませんから」
「ああそうかよ!?」
グォドレイは大きなため息を吐いて深い紫色の髪の頭をわしゃわしゃと掻くと、ジロリとアメジストの様な瞳でニールを見つめた。
「なあ、ニコニコ仮面。手を貸してくれねぇか?」
「お断りします」
「だろうな。だが、ミリーを救う為だ」
「何をすれば良いのです?」
すぐさまそう切り返したニールに、グォドレイは「ふはっ!」と噴き出した。
「お前さん、ミリーに対してだけは人間に戻るんだな?」
「貴方こそ、ミルドレットに対してだけは特別でしょう。いえ、ミルドレットの母、オーレリアと重ねているせいですか?」
ピタリと動きを止めると、グォドレイはアメジストの様な瞳をしぱしぱと瞬きした。そして気まずそうに視線を外した後、ぶつぶつと呟く様に言った。
「えー? 嫌だなぁ、何でンなこと知ってんだ? いや、えーと。確かにまあ、似てっけど……。だから特別っていうわけじゃ。あいつはあいつだし? リアと違ってちんちくりんだし……まあ、でも……うん、そうか? いや、あいつはあいつで……」
「気味が悪いので照れるのを止めてください」
「お前が変な事言うからだろ!?」
顔を真っ赤にして反論したグォドレイに、ニールは小さく笑って構えていたスローイングナイフを腿のベルトへと戻した。
ドワイトとグォドレイの間にはなんらかの密約があるだろうとは思っていたが、まさかあのような複雑な因縁だったとはとため息をついて、グォドレイに視線を向けた。
「いいでしょう。協力しますよ」
「本当か!? え、まじで!?」
嬉しそうにパッと顔を明るくしたグォドレイに、ニールは「貴方の為ではありません」とキッパリと言い捨てた。
「願ってもねぇこった。言った通り、俺様はミリーの為にしか動かねぇ。とはいえ、お前さんにしかできねぇことがある」
グォドレイの言った言葉の意味を脳内で考えながら、恐らくそれはニールが求めている答えであるのだと理解した。
だが、すんなりと言う事を聞く気など毛頭ない。
「一つ条件があります」
「うわぁ、やっぱ嫌な奴!」
「それはお互い様でしょう」
「一緒にするんじゃねぇや。俺様は、お前さんと違って性格捻くれてねーし?」
はぁ、とため息をつくと、グォドレイは「で? その条件とやらは何だよ」と不貞腐れた様に言った。
「アーヴィングと母が結んだ契約の魔術を解いて頂きたいのです。その契約により、私はアーヴィングの飼い犬にならざるを得なかった。ヒュリムトンに戻った今、不要となった契約であるにもかかわらず、あの男は決して解こうとしないのです」
——ミルドレットの契約の魔術を解いたグォドレイならば、私に掛けられた契約の魔術もまた解く事が可能なはず。
そうすれば、何の躊躇もなくアーヴィングを殺す事ができるだろう。
ニールの言葉に、グォドレイは絶句した。
そして、暫くの沈黙の後、瞳を細めて渋い顔をしながらポツリと言った。
「……お前さん、俺様にチューしろって? それも、濃厚なやつ……」
「え……?」
嫌な風景を思い浮かべそうになり、ニールは慌ててその妄想を手を振って掻き消した。
「それ以外に解く方法は無いのですか!?」
「無茶言うなよ。そうそうおいそれと解けるなら、契約もクソもねぇだろうが。あの契約書は何重にも重ねて魔術をかけてあるんだぞっ。人の命すら奪う効力だってあるもんなんだからな。血縁者じゃなけりゃ結べねぇ様にしてある上に、それなりの家一軒建つ金額だってのに、うちの売れ筋商品なんだぜ?」
「とはいえ、解く為の何かは用意するものでしょう!?」
「契約主が解除するしかねぇから契約なんだろう? あとは、俺様が強制的にそいつの身体に魔術を吹き込んで初期化してやるかってことだ。勿論、俺様の寿命が縮むがな」
——その、強制的に魔術を身体に吹き込む方法というのが……。
全身に鳥肌を立てるニールに、グォドレイは片眉を吊り上げてため息を吐いた。
「まあ、アーヴィングを殺すのは諦めな。ミリーの為にもな」
「何故です? あんな男、消えた方がミルドレットの為でしょう」
「ばっかだなぁ。死んでどう償うってんだよ。後味の悪さしか残らねぇっつーの。それじゃあミリーを救う事になんかならねぇの! ったく、何でもぶっ殺しゃあ良いと思いやがって、この殺人鬼め」
グォドレイがそう言って肩を竦める様子を、ニールはつまらなそうに見つめた。
「貴方こそ、アーヴィングに復讐する為にこのヒュリムトンに攫ってきたのでしょう?」
「……復讐?」
「恍けるのは止めてください。母上とアーヴィングから事情を聞きました。アーヴィングは、いつか貴方に殺されるだろうと毎日怯えながら過ごしているのです。その為に私という殺人鬼を育て上げ、自分を護らせたのですから」
ニールの言葉に、グォドレイは鼻を鳴らして笑った。
「アーヴィングを殺す事でリアが還って来るなら、とっくに殺ってるだろうな。だが、そうじゃねぇ」
「殺す気はないと?」
「言った通りだ。殺して解決出来る事なんか一つもねぇのさ。俺様は永い時を生きる分、過去にいつまでも囚われてなんかいられねぇ性分なんだ」
すっと、グォドレイは煙管をニールへと向けて言葉を続けた。
「お前さんも、今を生きているんだろう? アーヴィングを攫ってここに連れて来たのは、大事な女の為に決まってるだろうが」
ニールはその言葉に苛立った。グォドレイは今、ミルドレットの事を『大事な女』であると宣ったのだから。
「ミルドレットは貴方のものではありません」
「んなこと知ってらぁ。あいつは誰のものでもねぇよ。ミリーはミリーのもんだ」
「人攫いが、盗人猛々しいとはこのことですね」
グォドレイは膝を叩くと「違いねぇ!」と言って笑った。
「だがな、俺様はミリーの為にならないことは何もしないぜ? 俺にとってそれほどにミリーが大事な女だって事だ。あいつが俺をどう思ってるかなんて話はしてねぇよ」
「アーヴィングをヒュリムトンに攫ってきたのは、ミルドレットの為だと?」
「当然だな。それ以外何があるってんだ」
うんざりした様にグォドレイはそう言うと、煙管をぷかぷかとふかした。
「いいか? お前さん、アーヴィングの野郎には絶対に手を出すんじゃねぇぞ? 絶対にだ。ミリーの為を思うなら……いや、あいつを愛しているならな」
グォドレイの忠告を聞きながらつまらなそうに舌打ちしたニールに、グォドレイは「本気でぶっ殺す気だったのかよ!?」と突っ込みを入れたが、ニールはプイと顔を背けた。
「っんとに、可愛くねぇ野郎だな!?」
「貴方に可愛いなどと思われたくはないので好都合です」
「ああ、微塵も思ってなんかねぇよ! 良かったな!?」
グォドレイは喚く様にそう言うと、ぶつぶつと「ったく、こんな奴の一体どこが良いってんだ? 趣味が悪ぃにも程があるぜ。服のセンスが独創的だと男のセンスも独創的なのか?」と呟いたが、ニールは最早グォドレイの呟きなど耳に入っていなかった。
つまりは自分が訊きたい事があるので、相手の言葉などどうでもいいという自己中である。
「一つ正直に答えて頂きたいのですが」
「俺様はいつだって正直者だぜ? お前さんと違ってな」
いちいち腹の立つ男だとニールはカチンと来たものの、咳払いをして受け流した。
「何故ミルドレットに、契約の魔術を解いた事を伝えないのです?」
ニールの問いかけに、グォドレイは鼻を鳴らした。
「あのなぁ、考えてみたらすぐ分かる話だろ? ミリーは他の候補者達と自分が違うってことに気づいちまったら、それを良しとしねぇで悲しむ性質だろうが。だからといって俺様としちゃあ、ドワイトの契約の魔術があいつに付けられたままってのは、気持ちのいいものじゃない」
つまらなそうにため息を吐いた後、更に言葉を続けた。
「王太子の立場を乗っ取るだとか、お前さんの捻くれまくった想像通りじゃなくて悪いが、俺様はあいつにとって幸せになることしか望んじゃいないんだ。勿論、あいつが国を欲するならくれてやるさ。それが本当にあいつの為になるならな。王太子妃になることを望んでいやがるから、協力してやるってだけに過ぎねぇよ。少しはお前さんもマトモにミリーの心を尊重してやれってんだ」
グォドレイは一気に話して舌打ちをすると、「それに、契約の魔術を交わした対象者の居場所は、契約主に丸わかりだしな」と言ってすっくと立ちあがった。
先ほどは疲れていた様に見えたが、見間違いかと思う程にいつも通りの飄々とした様子だ。
「気を付けな。お前さんが何処にいるか、アーヴィングの野郎には筒抜けだってこった」
「居場所がわかるくらい、どうでもいい情報です」
グォドレイは鼻を鳴らすと「折角忠告しといてやったってのに、親切のし甲斐のねぇ奴」と悪態をついて肩を竦めた。
「つまりは、ミリーに掛けた契約の魔術が解かれた事を、ドワイトの野郎は感づいてるってこった」
ミルドレットがグォドレイに攫われた時点で、ドワイトは契約の魔術の力で契約対象者がどこに行ったのか、とっくに検索を掛けたはずなのだから。
——成程、警戒しておいた方が良さそうだ。
と、ニールは思ったものの、口が裂けてもグォドレイに感謝の言葉を言う気などない。「それより、私への依頼とは何です?」とさらりと返した。
グォドレイは小さくため息を吐くと、煙管を幅の広い袖の中へと仕舞い込んだ。
「まあ、お前さんへの依頼は、お前さんにとっても不利益を被る様なことじゃねぇさ」
そう言って、ニールへと何やら事細かに書かれた紙を手渡した。




