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ランセンの魔女

 ヒュリムトンとルーデンベルンの戦が始まってほんの二週間で、国境付近の領土ランセンは陥落した。


 ルーデンベルンはすぐさま降伏し、ランセンは条約によりヒュリムトンの領土となった。

 街は民が追いやられ、残った貴族はヒュリムトン統治下に置かれる事となったのだ。


 そんな中、ユーリの住むマクレイ家にルーデンベルン王室から書簡が届いた。


 そこには、ユーリとアーヴィングの婚約解消と共に、ヒュリムトン王太子ドワイトとの婚約が決定したといった内容が書かれていた。

 敗戦国であルーデンベルンの、ヒュリムトンへの献上品として、『ランセンの天使』が贈られることとなったのである。


 ドワイトの言った、『献上されるのは好きだがな』という言葉が現実となったのだ。


 悲しみに暮れているであろう、ユーリを心配してオーレリアがマクレイ家を訪ねると、使用人も殆ど残って居ない邸宅は静けさに包まれており、まるで喪中であるかの様だった。


「ああ、来てくれたのね。オーレリア……」


 すっかり憔悴しきった姿で出迎えたユーリを、オーレリアはぎゅっと抱きしめた。


 暫くの間、客間ではすすり泣く声のみが響いた。


 婚約破棄の知らせが届いて依頼、こんな調子で彼女は泣き続けていたのだろう。やつれている顔の瞳が腫れ、桜色だった唇はカサカサに乾き、持ち前の可憐な美しさがすっかりと損なわれていた。


「心配要らないわ、ユーリ。私が、なんとかするから」


 オーレリアはユーリの手を握ると、意思の強いサファイアの様な瞳を向けてそう言った。


「なんとかするって、一体どうやって?」


 不安気なユーリの問いかけに、オーレリアは決心した様に強く頷くと「ヒュリムトン王太子と話してみるわ」と言った。


 ユーリは青くなって慌てて首を左右に振った。


「そんな真似は止めて、オーレリア! あの人は恐ろしい方よ!」


 ユーリはドワイトの目的が自分ではなく、グォドレイの魔法薬であると分かっていた。だからこそ、オーレリアがドワイトに近づく事は危険なのだ。


——ヒュリムトンの目的が魔法薬だと知ったら、オーレリアは私を巻き込んだと自分を責めてしまうわ。

 でも、それ以上にまずい事がある。オーレリアが、紫焔の魔導士グォドレイ様にとって大切な人だから。

 彼女を人質にされでもしたら、グォドレイ様は魔法薬を献上せざるを得ないわ。けれどあの野望に満ちた目をしたヒュリムトン王太子は、その程度では済まさない。

 グォドレイ様自身を欲しがるはずよ……!

 これ以上ヒュリムトンが力をつければ、ルーデンベルンはより不利な状況となりかねない。

 そしたら、アーヴィング様が……。


「お願いよ、オーレリア。私が、大人しくドワイト様の元へ嫁ぐから! それで丸く収まるのなら良いでしょう?」

「ちっとも良くなんかないわ!」


 オーレリアは涙で濡れたユーリの頬を両手で優しく包んだ。そして、サファイアの様な瞳を悲し気に細めて、コツリと額と額をくっつけた。


「ユーリ。知っているのよ。ヒュリムトンの本当の望みは、貴方ではなくグォドレイ様の魔法薬なのでしょう?」


「!!!!」


 絶句するユーリを抱きしめて、その背を宥める様に優しく叩きながらオーレリアは言葉を続けた。


「私が貴方を巻き込んでしまったのだわ。本当にごめんなさい、ユーリ。幸せになるはずだった貴方を、私は不幸にしてしまった!」


 優しく抱きしめるオーレリアの両肩をか細い手で掴むと、ユーリは首を左右に振った。


「解っているのなら、尚更よオーレリア! グォドレイ様の力を、ヒュリムトンに渡しては駄目!」


 取り乱すユーリを宥める様にオーレリアは微笑んだ。


「大丈夫。決して渡したりなんかしないわ。考えがあるの。任せて頂戴」


 心配するユーリを他所に、オーレリアはそう言い切ると力強く頷いて見せた。



◇◇



 ガタゴトと揺れる荷馬車を止めると、オーレリアはランセンの街の中央広場で従者と共に積荷を下ろした。

 手際良く露店を設置すると、グォドレイと共に調合した魔法薬を売り始めたのである。


 戦争の傷痕の残るランセンの街では瞬く間に売れ、その日のうちに噂が広まることとなった。


『ランセンの魔女』


 オーレリアにはそんな仇名がつき、その名はヒュリムトンの王城にも伝わった。すぐさま王城への登城指示が書かれた書簡が、オーレリアの自宅であるエイデン男爵家へと届けられた。


 それこそがオーレリアの狙いだったのだ。ヒュリムトン王太子ドワイトは、ユーリではなく自分を手に入れようと躍起になるだろう、と。


 そうなれば、ルーデンベルン王太子アーヴィングは、ユーリと復縁するはずなのだから。


 幸いにして、紫焔の魔導士グォドレイが魔法薬の調合に関わっているという噂は流れていない。

 今ならば、オーレリアが自身の責任を取る形でユーリの代わりにヒュリムトンに嫁げば、解決するだろう。


——グォドレイ様の事は慕っていたけれど。これ以上彼の側に居れば、やがて訪れる別れの時が一層辛いものになってしまう。

 今ならまだ、傷は浅くて済むわ……。


……だが。


 オーレリアは突然自宅に訪れた男に戸惑いながら、ぎゅっと拳を握り締めた。


「ふむ、そなたが『ランセンの魔女』か」


 自分と似た銀髪を整えたその男は、ルーデンベルン王太子アーヴィングだった。


 最早ヒュリムトンの統治下となったランセンは、ルーデンベルンでは非ず。

 アーヴィングがヒュリムトンの許可無く訪れる事は決して許される事ではない。


 つまりは、誰にも知られぬ様、秘密裏に訪れたということなのだ。


「この地を訪れる事は殿下にとって危険極まりない事でございますわ。一体どういったご用件なのでしょう」


 ジロリとアーヴィングは品定めするかのような目でオーレリアを見つめた。


 まさか……と、オーレリアは恐れて、ぎゅっと拳を握り締めた。


「そなたに逢いに来た」


 オーレリアを見つめるその顔は、敗戦国の王太子故か、疲れている様にも思えた。


「私に、ですか? そのような価値など、私には……」

「そなたをヒュリムトンにくれてやるわけにはゆかぬ。即刻私と婚姻を結ぶのだ」


 その言葉を聞き、オーレリアはすぅっと青ざめた。


「お待ちください! 殿下はユーリと……」

「あの娘との婚約は解消した」

「ですが!!」

「ルーデンベルン国王である我が父は、先の戦が敗戦した責を取り斬頭台へと送られることとなった。無論、王族共々な。この、私もだ!」


 アーヴィングは、愛するユーリをその罪から逃れさせる為、敢えて婚約を解消したのだ。


 ユーリは無関係であるが故に、無罪である、と。


「だが、そなたは唯一、私を死から逃れさせる希望だ。紫焔の魔導士グォドレイの弟子なのだからな!!」

「!!!!」


 オーレリアを手に入れる事で、人智を凌駕する魔導士をルーデンベルンの味方に加えられたのならば、大国ヒュリムトンと言えども迂闊に手を出す事などできはしないだろう。


「何故、殿下はそれを……?」


 そう問いかけたが、話の出どころは明らかだ。


 ユーリが、アーヴィングに伝えたのだろう。

 それは恐らく、ユーリはこのような展開を望んでのことではなかったに違いない。ヒュリムトンへと単身嫁ごうとする親友を救う為、必死の思いでアーヴィングへと打ち明けたのだ。


 どうか、親友を止めてください。私が、ヒュリムトンへと大人しく嫁ぎますから……。


 ユーリとオーレリアの互いを思いやる気持ち輻輳(ふくそう)したのだ。


 アーヴィングは強引にオーレリアの手を掴んだ。


「ヒュリムトンは一夫一婦制。妃は一人しか認められず、当然ながら生娘でなければならぬ」


 アーヴィングの言葉に、オーレリアは青ざめて悲鳴を上げた。


「殿下!! お止めください!!」


 抵抗するオーレリアの頬を強く叩き、アーヴィングは乱暴に彼女を押し倒した。


「国の為にその身を捧げるのだ、有難く思え、オーレリア!!」

「国の為……? ご自分の為でしょう!!」


 再び強く頬を殴られて、オーレリアの喉に熱い液体が流れ込んだ。苦しくて咳き込むと、真っ赤な鮮血が飛び散った。


 オーレリアの脳裏に、アメジストの様な瞳をした男の顔が浮かんだ。


 優しく微笑み、寂しげに見つめる彼は、ただ静かに人に寄り添っていたいだけの欲の無い男だった。


——グォドレイ様。人は余りにも身勝手で、汚れているわ。

 純粋な貴方が関わるには、醜過(みにくす)ぎる……。


 オーレリアはぎゅっと歯を食いしばり、抵抗するのを止めた。

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